2004年八四一会 レセプションレポート
 (富山市立八人町小学校昭和41年度卒業生同窓会)

旧のホームページに掲載されていたものを再編集しました。

参加者全員で記念撮影。
37年ぶりに再会となる人もおり大変懐かしく感じました。
参加者名簿は下の「名簿」をクリックしてください。

 
   

 参加者名簿
 

「皆さん今晩は!今日は八人町小学校昭和41年度卒業生、6年1組と2組の37年ぶりに
なります学年登校日です。」という司会の渋井さんの名文句で同窓会は始まりました。
(この名司会看は4年生の時に転校してきたらしいのですが?言わば外様の生徒だったん
ですが、そんなことを微塵も感じさせないで当時と同じ様にこの日も同窓会を仕切って
くれました。)

続いて司会者から本同窓会の発起人の寺井(旧姓)則子さんの紹介があり、寺井さんが
挨拶そして同窓生に会いたいと思った四つの動機について話してくれました。

@二年前にある素敵な男性(同窓生)から声をかけられ嬉しかった。
A田中耕一さんのノーベル賞受賞で八人町小学校が有名になり嬉しかった。
B去年の2月に同窓生の稲林さんの訃報を新聞で知った。
C小学校の統廃合問題で八人町小学校がなくなりそうである。

以上の理由からどうしてもやろうと思ったとのことでした。
(17年前に一度集まっているんですがその時は先生の出席はなかった)

 

 

 

   

 

 

   

続いてお越しいただいた先生を代表して中島先生からご挨拶をいただきました。

お招きをいただき幸せに浸っている。「春風秋雨これ人生」という言葉があるように皆さん
いろんな喜び、悲しみそして苦しを経験されてきた人生だったと思いますが皆さん元気で
喜ばしいことです。田中先生の年齢は律しく申しませんが、。私は78歳になりました。
死について考えることも多くなりましたが、最近は歴史の本にある現場(北海道、山陰等)
に車で行く等、好奇心のかたまりのように過ごしている。それが長生きの秘訣かも。皆さん
にはノーベル賞をもらえなくてもいいからヽ精一杯今を大事に生さていつてほしい。
最後は世話人への感謝を述べられて挨拶を締めくくられました。

ここで乾杯です。乾杯の音頭は橋川博隆(旧6年1組)さんがとられました。

17年前に一度集まったんですが(そ時は先生はお呼びせず17名が参加)年齢が増すとともに
呆けも始まるので同窓生が呆けてしまう前にもう一度、今度は先生を交えて集まりたいという
思いから計画がされ実現となりました。ぜひ皆ん最後まで思う存分旧友と話をしてほしいと
思います。と述べた後「再会を祝しまして、乾杯という発声とともに習で乾杯しました。

 

 

 

   

 

 

   

乾杯後は司会者からの「それでは短い時間ではありますがゆっくりと懐かしい話をしてください。
あわせて両先生よりお心付けがあったことをお知らせします。」という言葉をきっかけに懇談が
始まりました。

みんな食事を取るのも忘れて隣の人と話し始めました。(座席は受付時に抽選で決めてました)
各テーブルには世話人が準備した卒業アルバムや懐かしい写真のコピーが置いてありました。
皆さん懐かしそうに隣の人と一緒に見ていました。すぐにみんな入り乱れて、あっちで笑い、
こっちで話始めました。両先生の周りにも何人も集まり思い出話に花を咲かせていました。

みんな37年前にタイムスリップしてしまったようです。

 

 

 

   

 

 

   

楽しく懐かしい時間はあつという間に過ぎてしまいました。終宴の時間が近づき司会者の
リードで全員起立して校歌を歌い終えてから(みんなよく覚えてました)両先生に花東の
贈呈です。中島先生には有江さんからそして田中先生には金子さんから、全員の拍手と
ともに贈られました。
今度は田中先生からお言葉をいただきます。

「本当に懐かしいひと時を満喫しました。私達も何十年も若返ったように思います。皆さんの
人生はこれからだと思います。これから一生懸命頑張ってください。ありがとうございました」

最後は閉会の挨拶が再び寺井さんからあり、同窓会は舞台を二次会そして三次会へと移して
時間を忘れて繰り広げられました。

 

 

 

   

 

 

   

 

 

 PHOTO(同窓会レセプション&二次会&三次会)

下からどうぞ!

 同窓会レセプション
 

 

 

   
 二次会
 三次会

 

 

   

 

 

2024年12月29日新設