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家での大工仕事

  父上原謙は倹約家で家の修理も自分でやる人であった。小さい頃はそんな父を見てよくやるなあと思っていたが今では自分が日曜大工に精をだしている。日曜大工センターに細かい部品等をよく買いに行くとのことでした。血は争えないなあ

TVで美味しい時の言い方

  TVで息子(山下徹大)と一緒に出演し、息子が体験してきた楊州焼飯を食べたときの事。息子のものも、息子の師匠のものも味は余り変わりなかったが番組の性格上師匠の方が大変美味いと評した。この手の番組では味の評価、表現にゲストがいろいろ苦労しているようだ。これから自分が評するときのサインとして本当に美味いときは食べてすぐ「美味い」と言うことにします。

「ウルルン・・・」での映像です。
このときは「一瞬にして食べた、すごく美味しい」とべた褒めでした。

小さい頃の家出(母との思い出)

 倹約家の父が大事にしていたセメントを長期ロケで留守にしている間に無断で使ったときにすごく叱られて家出を敢行、海辺で一人寂しい想いでいたときに母がおにぎりとやかんの水を持って迎えにきてくれた。母にはそれ以来なんでも話そうと思った。」
 日本語は「母」系の言葉が多い。「母国」「母校」「母港」「航空母艦」等、父であれば「父校(ふこう)」になってしまう。

加山雄三ショウで
加藤登紀子、伊奈カッペイと「母」について語り合う。

葬式の弔辞(黒アゲハ蝶)

   数日前にお世話になっている造船所の社長のお父さんの葬式に夫婦で参列してきた。急に弔辞を読むように要請を受けた。偉い方々の後に何を話そうかと悩んでいるときに「黒アゲハ蝶」が飛んできた。思い起こせば母や父の葬式のときにも飛んできていた。きっと亡くなられたお父さんが残された皆さんを見守っているのですよという弔辞を述べてきた。美辞麗句ではなく心に浮かんだ素直な想いで話す事ができて良かった。

 森繁久弥さんの船

   森繁久弥さんとは海の仲間としてもお付き合いしてきたが、光進丸を持つきっかけも森繁久弥さんの船「フジヤマ丸」の和室のオーナーズルームや檜の風呂をみて自分もこんな船を持ちたいと思ったからだった。

TVドラマ「社長になった若大将」での名場面。
居酒屋で森繁久弥扮するご老人の言葉に耳を傾ける田沼(加山さん)社長。

 父上原謙との最後の1年半

   父上原謙がワイドショ−を賑わせていた頃、よく二人でTVを見ていた。父は見終わると「すまんなあ」と言っていた。下戸の父が珍しく飲みたいと言ったので二人で初めての乾杯をして飲んだ。父は泣き上戸で最期は二人して泣きながら飲んでいた。私が父に「あんたはお母さんを本当に愛していたか」と聞くと、怒ったように「ああ、世界で一番愛していた」と答えてくれて嬉しかったのを覚えている。世間では大変騒がれていた時期の、父が逝くまでの1年半は私達親子にとってとても幸せな時間であった。

ワイドショウの取材に涙ながらに状況説明をする加山さん。

03年10月16日新規作成