DVD「ゴーゴー!若大将」オーディオコメンテータリー

  対談 江原達怡

DVD「ゴーゴー!若大将」の特典、オーディオコメンテータリーの、加山さんと江原達怡さんの対談をご紹介します。
(写真は映画「メッセンジャー」で共演された、加山さん(左)と江原さん)
出 会 い
司会)初めてお会いされたのは?

江原)ロケで志賀高原に行ったら、居たの。ぼくは上原謙さんと何本か一緒に仕事してましたから。
当時、ガンガンの硬派で、坊主頭だったよね。

高校のときはそうだけどね。

江原)その時が最初で、その次が昭和35年に「大学の山賊たち」のロケを白馬でやってたんだけど、そこへ来てた。

司会)見学で行かれたんですか?

(東宝へ)入ることを決めたから、見学で行ってみるかという気持ちでね。オヤジがロケやってるから。

江原)泊り込みでやってた。2,3日居たんだよな。

俺?そう。

江原)俺の部屋に泊まってた。

何処に寝たとか全然覚えてないけど。博打をやったのを覚えてるよ。みんなで夜、やることないから。博打って言ったってトランプやるだけなんだけど。

江原)加山君が入ってくるまでは、スキー出きる人がほとんどいなくて、滑りのシーンは俺がやらされてたんだ。

司会)最初に行かれた映画の現場はいかがでした?

あんまり現場には行かなかった。撮影はみんな山へ登っていくから行かなかった。何やってたんだかよく覚えていないんだけどね。多分、寝てたんじゃないか。

江原)その時に、なんで俳優になるの?って聞いたら、本当は船の設計師になりたかったんだよな。

そう。

江原)船というのはね、航海中にいい形になるために、停まってるときに少し前を沈めるのが理想なんだって、今でも覚えてる。

ス キ ー
司会)江原さんはスキーも加山さんと同じくらい上手いですよね。

江原)全然下手ですよ。加山君に、岩原の叔父さんのスキー場で滑ってたんで、リフトタダだから、上手いんだって言ってた。
「ニュ−ジーランドの若大将」のときに、酒井和歌子ちゃんの代わりに滑って、ヘリコプターで上まで連れてかれて、ヘリは下へ帰っていって、二人だけポツンと残されて、そのときにお互いにスキーやっててよかったなあって言ったのを覚えてる。

上は「ニュージーランドの若大将」で、酒井和歌子さんの代役でスキーシーンに登場した江原さん。
酒井さんにしては、とても大柄に見えてました。
上から見ると、白い筋が付いてるんだ。あれ、なんだろうなって、滑り出して、ちょっと行ったときに、クレパスがあった。雪が積もってて、知らないで横になって乗っかったら落ちちゃうなって、非常に危険だから、クロスするように滑らないとダメだなあと一緒に行こうぜって言ったら
「俺はお前の後ろを付いていく」って言うんだよ。

江原)加山が落ちたら、俺はそこへ行かなきゃいいんだ。

「おい、お前がおっこったら俺は止まるからよ」って。そういう奴なんだ。

江原)二人で怒鳴りあって。後で怒られて、お前女の役なんだから、もっと小っちゃく滑ろって。

司会)あそこはスキーのリハーサルは?

したら、跡が付いちゃうじゃない。ヘリコプターから撮影してるわけだからさ。初滑りで滑らないと意味がないから。

映 画
司会)加山さん、江原さんの印象は?

選手をやってたわけじゃないのに、よくスキーができるなあと思って。どうしてスキーが上手いのか不思議に思った。

江原)役者はスキーはやっちゃダメなの。黒くなっちゃいけないの、ゴーグルかけたら跡が付くでしょう。もし足を骨折すると撮り直しもできないじゃない。やめろっと言われてたんだけど。それだったら役者辞めるって言ってたんだ。

それくらい好きだったんだろ。「鐘の鳴る丘」っていう映画があったろ。悪役やってて、嫌な奴だなあって観てた。

江原)街歩いてると「あっ、イジメっこ」って指さされるんだよ。二度と悪役はやらないと思ったよ。

あの当時は、映画の中のイメージそのまんまに思ってるからさ。青大将の田中邦衛さんも可哀想なもんでさ。二度と青大将のイメージに戻りたくないから、「北の国」へ行っちゃった。

江原)彼は、1本だけだと思って、俳優座から来てた。

俺だってそうだよ。3本目で「日本一」になったから終わりだべって思ってたら、ハワイまで出ていって、「帰ってきた」まであるんだもん。

江原)「メッセンジャー」に出たときに、俺が出るのを黙っててもらって、現場で会ったときにビックリしてくれて嬉しかった。

あれはビックリしたよ。山へ引っ込んだ猿だと思ってたから、ビックリ仰天だった。でも嬉しかったよ。だけど、セリフがないんだ。「ずるいよ、お前は」

江原)セリフがあるのはいやだって言ったら、馬場君(監督)が「セリフがないのを作りましたから、約束通り出てください」って。でもね、セット4日間で一言も喋んないのも結構大変だよ。

そうだろ、つまんないだろ、かえって。黙って芝居をやるって大変だと思ったもん。

江原)監督はモニターを見に、どこかへ行っちゃって、遠くから「よ〜い、スタート!」って言うから、ちょっと違うんだよな。

俺はNGばっか出しちゃって嫌になっちゃった。やっぱり主役じゃないとやだね。脇役で誰かを引き立てるというのは、俺は向いてない。「おひつじ座」は頂点に立ってないとだめなんだってさ。だから、社長とか船長とか長がついてるのだと本領を発揮するんだって。

映画「メッセンジャー」から。
交通警察官姿(左)とエンディングでバイク便のユニフォームでラップを披露。
黒澤監督
司会)赤ひげが終わって一つの区切りがついたって感じですか?

黒澤さんと出会って、この世界に残ろうと思ったわけだから。
黒澤さんと出会った時というのは余にも俺が忙しくなっちゃってて、歌が入って、テレビがあって、そういう時間が多くなりすぎてた時期で。そうでなかったらもっと使ってもらえてたかもしれないと思ってる。

あるとき、黒澤さんが、
「お前、テレビに殺されるなよ」って言ってくれたのが印象に残ってんだよ。
どういう意味かっていろいろ考える
じゃない、あの人の言うことってのはさ。

江原)赤ひげで、加山君が「俺はだめだ」って、手を着くシーンがあるんだけど、あれは加山君の映画の中で最高のカットだと思うね。

作品の内容よりも、本番以外の想い出のほうが多くて楽しくて。
何が一番いいかって言うと、白黒映画で、黒澤さんに直に聞いたんだけど、
日に焼けてもいいですかって、「いいよ」って、それが一番嬉しかった。毎朝、仕事行く前に、サーフィンやって、休みの日は海で泳いで、真っ黒なってるわけだよ。メイクもそんなにしなくてもいいんだよ。彼は白いからしなくちゃいけないんだよ。手を抜いて、アゴのところまでしか塗ってないと、監督に、ちゃんと塗れよって怒られてんだ。

江原)黒澤さんはボーっとしてるようだけど、全部見てるんだね。

見抜いてる!そういうところが凄い面白いという印象が強くてさ。
お登世が橋の袂で物乞いするシーンで、遠くのほうから俺が
走ってくるのを3カメぐらいで撮るんだけど、セッティング待ちしてたら、随分遠くにいる監督が「加山、鼻クソほじるな」って、そんなの見えるのかって思ってたら、1,000mmぐらいの望遠で見てた。
藤原鎌足さんが、死んでいくシーンで、死に方について
延々と議論やってるんだよ。俺はそこで見守っているというシーンなんだけど、黒澤さんから見えないところで退屈でしょうがなくて、袖の中に知恵の輪を持ってたんで、それをそっと出してやってたら
「加山、気が散るからやめろ」って言うんだ。目が後ろに付いてるのか
なって思った。そういところに親しみを感じたり、そういう言い方されるのが嬉しくてしょうがなかった。
椿三十郎」のときだったんだけど、我々は(刀の)本身を使わされてた。撮影所の中を歩くときから、本物を差せっていわれてて、歩き方が分かってくるからって。
そして御殿場でロケやってるときに、待ち時間に直径が3cmくらいの藪を切ったりしてたら、凄い
良く切れるわけだ。面白いから調子に乗ってやってたら、小道具のボスが飛んできて、「何やってんだよ、刃こぼれおこすだろ!」って怒鳴られたの、確かに刃が欠けちゃったんだよ。そしたら黒澤さんがやってきて、ボスの頭を抱えたと思ったら、投げ飛ばしちゃった。ボスはビックリしちゃってさ、「こうやって覚えるんだ!」って。それ見て、俺は申し訳ねえなって。それでまた、おれ嬉しくなっちゃって。

江原)黒澤監督はね、「一生懸命に、ひたすらにやる」役者が好きなんだ。「きちんとするより、ちゃんとしろ」なんだよ、違いは難しいんだけど。
赤ひげでも、水桶を担いで通ってる役の人に、「その桶、水入ってるのか」って見抜いちゃう。誤魔化そうとしないで一生懸命やってると絶対怒られない。

芝居にしても、引き出しから出してきたようなのをやったりするとか、手を抜いて慣れてるからこれぐらいでと思うことだとか、そういうのが大っ嫌いな人なんだ。
床の磨き方一つにしてもそうだよ。「こっちは磨いてあるのに、なぜむこうは磨かないんだ」って、
なっちゃうから、毎日、撮影が始まる前から、藁やなんかで、みんな廊下を磨くんだよ。
なぜ、そんなことをすんのかというとね、
木というのは、使っていれば使うほど、年輪の部分が盛り上がるように減っていく筈だ。

江原)療養所のシーンでも、雨が降ってきて水が付くのを待つんですよ。

だって、雪のシーンは雪が降るのを待つんだもの。結納のシーンなんて、雪が降った翌日の晴れた日に撮れるのを待つ。

撮影裏話
若大将の現場に行くと、正反対のテンポだよ。
古澤憲吾さん(監督)なんかはね、撮影開始時間にセットに入ってきて「はい、本番行ってみよう!」って、いきなり怒鳴って誰もいないんだ。「監督、まだカメラないですよ」「カメラいらない、はい本番!」そういう監督で、「ハワイの若大将」のときは、「恋は紅いバラ」を歌っているシーンはロングで撮るのは現地だけど、あとは全部辻堂の海岸で撮ったから。
遠くのほうに良く見ると「烏帽子岩」が映ってますよ。波がカットごとに変わるんだ。

江原)アルプスの若大将のときに、アルペンもジャンプもやる選手の役なんですよ。そしたら、ジャンプを飛んで若大将が優勝するんだから、飛んだ後にテープを切れとか、大回転の旗の色を黄色にしろとか、二人は「ありえない」って言うんだけど。

そういう現場だったんだ。

司会)「ゴーゴー!若大将」では、江原さんはラリー指導をされてましたね。

江原)当時、私は日産のワークスに入っていて、ラリーに詳しかった。加山君がスピンターンを教えろって、うるさいんだ。教えたら、絶対どっかでやると思ったんで、どんなことがあっても公道ではやらないって約束してくれって。
覚えてっか?センスがいいから、すぐ出来たけど。

覚えてるよ、そんな約束守るわけがない!いろんなとこでやったよ。

司会)よく走ってましたけど。

まあ、結構走ったのは走ったね。ヘリコプターで撮ってたから。誰か走ればいいでしょって、言ったらダメダって言われて。

江原)帰ってきた若大将のときは、最後は苦しそうなのが映ってたね。えらいよね、あのときのあの年で。

42歳でね、毎日10kmづつ走ってた。みんな早いんだよ、スピードが。

映画「ゴーゴー!若大将」より 映画「椿三十郎」より
江原)一緒の部屋でさ、朝から歌ってるじゃない。よく飽きないなあっていったら、こんないいものを飽きるほうがおかしいよって、怒られたことがある。

ギターは指が5本しかないのに、なんで6本あるんだって、言ってたじゃんかよ。

司会)今後、どういったお仕事を?

わからないよ、仕事がきたらやるよ。コンサートももちろんやるし、まだ今のところ、声がちゃんと出てるし、信じられないくらい歌えるんで、当分はコンサート活動が続くだろうし。絵のほうもね、画業10周年になるんだよ、大きなイベントになると思うんだけど。

江原)職業は何って聞かれたら、なんて応えるの?

俺は俳優ですね。俳優業はほとんど廃業ですけど、映画の話はないわけじゃないんだけど、台本が面白くないんで断ってる。
若大将シリーズは、あの時代にしてみたら、今の時代を予言してたみたいな、未来志向、夢だよね。外国へ行くことができるとか、スポーツで優勝するとか、音楽を堪能するとか、全部、今はそれが夫々の分野で世界レベルになってきた。それを一人で、今から3、40年近く前に、やっていたことが受けた理由だと思うんだよね。音楽を変えたり、女性のファッションを変えるのは無理かもしれないけど、変えたら今でも通用するような映画だと思う。娯楽作品の面白さが凝縮されていると思う。
若大将っていうのが、決してハンサムでもなければ、スマートでもない、どこにでもありそうな雰囲気の中に、強さとか優しさがある、そういうのが受けたんだと思う。だから、二枚目がこれやってたらダメだったと思うね。

江原)大学に入ったら、きっとこういう世界があるだろうと思って、入ったら全然ありませんでしたってガッカリした人が多かった。

京南大学に入りたいから、探したのがいる。谷村新司君だよ。本気で探したんだって。それくらい憧れてたらしい。実際の学園生活ではないけど。でも慶応では俺は似たようなことやってた。学校行ったって授業なんて出ないもん。この中で何が面白いかと言うと、ハラハラしながら勝つということ。やっぱりスーパーマンじゃないとダメなんだなあ。

終わり

いかがでしたか、一世を風靡した「若大将シリーズ」の名コンビ”若大将”田沼雄一と”マネージャー”江口のコンビネーションの良さが、現在でも伺いしれる対談でしたね。
芸能生活50周年の今年、加山さんの魅力満載のイベントが催されると思いますが、盛り上げていきましょう!

10年04月01日新設