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世界一美しい新聞として、ニューヨークタイムズ日本版で紹介された |
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上は加山さんが描かれたチャッピーです。 |
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猫の絵を描くのは難しい。特に顔が。 五十九の手習い≠ナ始めた絵描き修行だったが、当初は、デッサンで猫を、描いていた。それも既製のポストカードを見ながら。しかし、あの二つの目と小さな鼻にかけてのバランスが、思うようにつかめないのだ。長年書いてきた船の設計用デッサンとはわけが違った。 ふと、愛猫のチャッピーを描いてみた。素描なしで、いきなり水彩の筆を画用紙にあてた。すると、どうだろう。でっぷりとした腹の感触、毛並みの柔らかさが、紙の上に蘇っていくのだ。僕の指先がチャッピーの温もりを、よくよく覚えているらしい。撫でたくなるような猫の姿が、自然と画用紙に映し出された。難関だった目と鼻のラインも、筆先がすんなりと辿った。時には、端整な出来ばえに固執しなくてもいいのだ。 生き物の体温が、画用紙やキャンバスにあぶり出されていく感じがあれば。 チャッピーはまた一つ、絵描きの愉しみを教えてくれたのだった。 |
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チャッピーとの出会いは17年前だった。近所の多摩川沿いにある玩具店だ。 |
チャッピーはウチ猫となった。けれども、なかなか人の肌になじもうとしなかった。上手に甘える術を知らないのだろう。家族との折り合いはすこぶる良いのだが、甘えた仕草はいっさい無しだった。 しかし、ある日のことだ。ぼんやりテレビを見ている僕の膝の上に、突如チャッピーがそろりと前脚をかけた。そして、こちらに飛び乗ると、腹を僕の胸に押しあてて、じっと僕の目を見つめたのだ。「どうしたんだ?」僕は大きな声で言った。次の瞬間、僕の胸の上にチャッピーが顔をうずめてきたのだ。ゴロゴロゴロ。チャッピーの喉の温かさが、体にじわり浸透する。僕は嬉しさのあまり、笑いながら、 |
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昨年、16歳で、チャッピーは逝ってしまった。2002年2月2日(ニャーニャニャニャーの日)だ。入院先の病院から連絡を受けて、娘と駆けつけた時には、 |
最期を迎えたのは、手術の翌日だったので、僕は呆然と、ペット医療や、生命に対する処方や保険について、考えさせられた。 猫の体温は、生活の一部みたいなものだった。小学生の時分だったか、ある朝、目覚めると、なんだか布団の中が湿っていて冷たい。見ると、僕の腹の脇で母猫が 子猫を産んでいた、なんて笑い話もあった。 猫たちとの暮らしは本当に驚きに満ちている。 |
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チャッピーがいなくなってから一年が経つが、その間彼女の鳴き声を三度聴いた。幻とは思えないくらい、はっきりしていた。 チャッピーは、いま、わが家の庭に眠っている。小さな箱に寝かせ、生まれたままの姿で土に還した。目印に、小さな柱を立てたので、僕はその前で、よくお線香をあげ合掌する。思い出がよみがえって、チャッピーの温もりが伝わってくるような気がするのだ。 さて、久しぶりに、チャッピーの絵を描こうかな。 |
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2015年02月19日新設 |
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