猫の体温
(月刊「ねこ新聞」 2003年)

世界一美しい新聞として、ニューヨークタイムズ日本版で紹介された
こともある「ねこ新聞」が今月創刊20周年を迎えたそうです。
加山さんのエッセイがこの新聞に掲載されていましたのでご紹介します。
お楽しみください。

上は加山さんが描かれたチャッピーです。
以下の文中の絵は画集「すべて愛なんだU」に掲載されていた猫の絵です。(チャッピーかどうかは不明です) お楽しみください。

 

猫の絵を描くのは難しい。特に顔が。
犬や馬を描くようには、すんなりいかないのだ。

五十九の手習い≠ナ始めた絵描き修行だったが、当初は、デッサンで猫を、描いていた。それも既製のポストカードを見ながら。しかし、あの二つの目と小さな鼻にかけてのバランスが、思うようにつかめないのだ。長年書いてきた船の設計用デッサンとはわけが違った。

ふと、愛猫のチャッピーを描いてみた。素描なしで、いきなり水彩の筆を画用紙にあてた。すると、どうだろう。でっぷりとした腹の感触、毛並みの柔らかさが、紙の上に蘇っていくのだ。僕の指先がチャッピーの温もりを、よくよく覚えているらしい。撫でたくなるような猫の姿が、自然と画用紙に映し出された。難関だった目と鼻のラインも、筆先がすんなりと辿った。時には、端整な出来ばえに固執しなくてもいいのだ。 生き物の体温が、画用紙やキャンバスにあぶり出されていく感じがあれば。

チャッピーはまた一つ、絵描きの愉しみを教えてくれたのだった

チャッピーとの出会いは17年前だった。近所の多摩川沿いにある玩具店だ。
もらってください≠ニ書かれた張り紙の元に、箱が置いてあった。中では子猫の兄妹たちが
ミーミー鳴いていた。
一緒にいた娘二人が箱の中をのぞいて、「欲しい欲しい」「猫を飼いたい」と、口々にせがんだ。 一番美人の猫が、生まれて間もないチャッピーだった。それまでのミルク代として五百円を店員に渡して、彼女はわが家の三女となった。
名前は、娘たちがつけた。海でよく使うchoppy(=波立つ)≠ニいう言葉の響きが、娘たちは、どうも気に入っていたようだ。

チャッピーはウチ猫となった。けれども、なかなか人の肌になじもうとしなかった。上手に甘える術を知らないのだろう。家族との折り合いはすこぶる良いのだが、甘えた仕草はいっさい無しだった。

しかし、ある日のことだ。ぼんやりテレビを見ている僕の膝の上に、突如チャッピーがそろりと前脚をかけた。そして、こちらに飛び乗ると、腹を僕の胸に押しあてて、じっと僕の目を見つめたのだ。「どうしたんだ?」僕は大きな声で言った。次の瞬間、僕の胸の上にチャッピーが顔をうずめてきたのだ。ゴロゴロゴロ。チャッピーの喉の温かさが、体にじわり浸透する。僕は嬉しさのあまり、笑いながら、
「おい、見ろよ、見てみろよ」と、妻に叫んだ。
「おまえ、猫らしくなったじゃないか。そうだ、猫はそうするもんだぞ」
10年間で初めての猫の体温≠セった。だが、そんな僕の喜びを知ってか知らずか、わずか2、3分で、チャッピーはいつものチャッピーに戻って、ひらりと床に降りた。

 

昨年、16歳で、チャッピーは逝ってしまった。2002年2月2日(ニャーニャニャニャーの日)だ。入院先の病院から連絡を受けて、娘と駆けつけた時には、
すでに息を引き取ったところだった。まだ、生きているように温かだったのが忘れられない。

亡くなる少し前から、チャッピーは、食欲がなくなって、調子が悪かった。視線が宙を泳ぐようだったので病院で診てもらい、食欲促進剤を注射してもらった。
その後、今度は過食のせいか、お腹が張って苦しそうにしていた。別の病院に連れて行くと、肝臓を患っているとのことだった。手術を受けるしかなかった。

最期を迎えたのは、手術の翌日だったので、僕は呆然と、ペット医療や、生命に対する処方や保険について、考えさせられた。
 幼少の頃から現在まで、いつでも、動物は家族の一員だった。小学・中学時代には、犬10匹、猫10匹と同居していたほどだ。

猫の体温は、生活の一部みたいなものだった。小学生の時分だったか、ある朝、目覚めると、なんだか布団の中が湿っていて冷たい。見ると、僕の腹の脇で母猫が 子猫を産んでいた、なんて笑い話もあった。

猫たちとの暮らしは本当に驚きに満ちている。

 

チャッピーがいなくなってから一年が経つが、その間彼女の鳴き声を三度聴いた。幻とは思えないくらい、はっきりしていた。
生前、帰宅したときなど、時々チョコンと玄関にすわって、三つ指ついてまっているときがあったのだ。
ニャンと愛らしい態度だろうと思ったもんだ。しかしおもしろいのは、長い船旅から帰った時などは、知らんぷりを決め込んでいる様子がおかしかったものだ。
ツンとそっぽを向いていたっけ・・・。
あれは完全にすねるんだね。自分を猫とは思っていないおちゃっぴい≠ネ末娘だった。

チャッピーは、いま、わが家の庭に眠っている。小さな箱に寝かせ、生まれたままの姿で土に還した。目印に、小さな柱を立てたので、僕はその前で、よくお線香をあげ合掌する。思い出がよみがえって、チャッピーの温もりが伝わってくるような気がするのだ。

さて、久しぶりに、チャッピーの絵を描こうかな

2015年02月19日新設