加山雄三 俺は100歳まで生きると決めた
  (文化放送podcast 2023年7月18日〜)

7月16日に放送されたラジオ番組のレポートを4回に分けて紹介します。

今回は「第24回 加山家のお正月」を2つに分けてレポートします。

下からどうぞ!

 

 第24回 その1
 
 池端家&加山家のお正月
 

前回の内容の確認の後。

野村)クリスマスが終わると巷ではお正月になりますけど、池端家、加山家のお正月は
   どうなるのかなと思って聞きたいと思うんですけど。絶対、若大将はね餅をつい
   てるイメージがあるんですよ。

餅ついてるイメージ?ちゃんと餅を良くついたよ。

野村)ついた?やっぱり。

ついた!もちろんついたよ。杵と臼があったもん。

野村)それは池端家にあった?

そうだよ。やらないわけ、ないじゃない。モチ米を炊いてよ。そして温かい内について。
大変なんだ。俺が一番活躍したけどね。ついたのを思い出すよ。

野村)モチ米を蒸かすのはお母さん?

釜戸が3つあったから。杵と臼をあった所から持ってくるのが大変だった。

野村)重いでしょう?

そうだよ、ゴロゴロ斜めに転がしながら。地下室に置いてたのを上に持ってくるのが
大変だよ。

野村)池端家にはエレベーターは無いんですか?

ない、ない、ない!戦争中からあったから。防空壕だったから。

野村)防空壕代わりだったんですね?

その内に物入になったけどね。上へどうやって持って行ったか忘れたけど、何人かで
引っ張りあげたと思う。

野村)加山雄三となって、加山ファミリーの正月は?

スキー場が多かったね。子どもが小さい頃はなるべく家で過ごしてたけど、大体は
スキー場へ行ってたね。

野村)年内からスキー場へ行ってお正月はスキー場で迎える?そこでは加山さんは
   餅つかないんですか?

つかない、ついた餅が出て来る。

野村)おせち料理は作られたことはあるんですか?

おせち料理はお祖母ちゃんに作ってもらった、いろいろ。親父の系統が鹿児島出身なんで
さつま揚げを煮たり焼いたり蹴っ飛ばしたりして食べた。それが非常に印象に残ってる。

野村)池端家のお雑煮はどんなんですか?

それは俺覚えてないけど。俺は作らない。全部お祖母ちゃんが作ってくれたから。今は
ケアハウスで作ってくれるから。ものすごい美味しいからね。もう最高だね。

ここまでの内容を音源でお楽しみください。(時間 5分25秒)
下からどうぞ。
 第24回 その1
   
 第24回 その2
 
 お年玉&石原兄弟
 

野村)正月といえばお年玉ですよ。天下の大スター加山雄三の子どもたちへのお年玉は
   万札が普通に入っているように思うね。万札が1枚じゃないね。10枚ぐらい畳ん
   であって立つような感じ。

俺、そんなに入れた記憶ないよ。

野村)そうですか?

2,000円とか。一人な。大勢居るのにお金をそんなに使えないじゃん。

野村)でもスターのお父さんだったら・・・。

いやスターであろうが何だろうが、家はなるべく普通の生活をしようよという生き方を
してきているから。プレゼントなんかはそんなにお金をかけちゃいないよ。

野村)我々、一般家庭と余り変わらないんですね。

一般家庭だもん。俺だって。戦前戦中戦後を生きてきているんだから。物の無い時代を
通り過ぎてきているんだから。物を大切に使おう、大事にしようっていう心は変わら
ないね。特に食べるものはね。

野村)おせち料理に大きな伊勢海老がドンドンドンと並ぶことも無い?

無い、無い、無い。スキー場では面白かったね。後々俺がスキー場へ行ってると裕次郎
さん兄弟ね、慎太郎さんとね。来るんだよ。慎太郎さんはみんなから離れて一人でご飯
食べてる。裕次郎さんは人気があるんだよね。彼が話をするとみんな夢中になって聞い
てる。慎太郎さんは理屈っぽいんだよな。何でも理路整然と言う。聞いてて面白くない
んだ。葉山に裕次郎灯台があるんだ。どうして建てたのか不思議だったけど、浅瀬で
船が座礁しないように注意させるためだったんだ。俺は良くその辺に錨をおろして停泊
していた。

野村)裕次郎さんは、どう呼んでいたんんですか?”お〜い、加山!”ですか?

坊主、坊主。(最初に会った頃は)坊主頭にしていたから。「江戸の旋風」撮影してる
頃に撮影所で遭ってもさ、”おい、坊主、ちょっと来いよ”って。年なんか関係なしで。
あの頃は面白かったね。

野村)一緒に酒飲んだりもしたんだ。

酒なんか飲まないよ。

野村)きょうはお時間になりました。また次回もよろしくお願いいたします。

はい、こちらこそ、よろしくお願いいたします。

ここまでの内容を音源でお楽しみください。(時間 6分16秒)
下からどうぞ。
 第24回 その2
 

2024年1月1日新規作成