加山雄三 俺は100歳まで生きると決めた
  (文化放送podcast 2023年7月18日〜)

7月18日に文化放送の「くにまる食堂」で放送された「俺は100(歳)まで生きると
決めた」の内容をレポートします。
同日配信された文化放送Podcastでは、ラジオで未公開の内容も配信されました
ので、その内容も含めてレポートします。下からどうぞ!

今回は「第30回 人生のスランプ@」をレポートします。

下からどうぞ!

 

 第30回 人生のスランプ@
 
 少年時代の出来事
 

野村)リスナーの皆さん、ご機嫌いかがでしょうか。野村邦丸です。この番組のメイン
   パーソナリティは?

加山雄三です。よろしくお願いいたします。

野村)今回は若大将の加山雄三さん、テーマが「人生のスランプ」というテーマです。

いきなり来た。

野村)来ました。俺は100まで生きると決めたという加山雄三さんの人生は、実を言う
   と波乱万丈であったという。

そうでしょうね。死にかけたことは何度もあった。それでもやっぱり未だに生きている
ということはありがたい。生かされているなぁと。生きてる以上、横振れがあるんじゃ
ないかなと思って。

野村)加山雄三になる前ですね。池畑少年の頃って。端から見れば恵まれた家庭の
   ように思いましたけども。その頃の池畑少年って悩みはあったんですか?

そりゃあったと思うよ。もう悩みだらけだね。うちの親父やお袋が有名で、その中に
生まれて俺はさ、もう学校でいじめられたからね。差別、逆差別だ。変な感じで。結局
俺はもう絵が上手くなったのはさ、みんな運動場に出て竹パットを持って野球やってる
のよ。仲間に入れてくれなかったのよ。しょうがないから教室に残って、一人でノート
に絵を描いて、似顔絵を描いてあげるのよ。そっくりな絵を描いたんだよ。そしたら俺
も描いてくれよって。みんなの似顔絵を描いて大騒ぎしたのよ。それから信頼をすごく
得た。絵を描くって素晴らしいことだなと思って、みんなこんなに喜んでくれるのかな
と思って。

 東宝の俳優に
 

野村)でも辛かったでしょ?お父さんお母さんは有名人で、お前はボンボンで良いよな
   って、そういうことでしょ?

言わないけどさ、そんなことはね。直接言わないけど、白い目で見られたようなことで
とっても辛かったね。

野村)それはお父様に話したことは、あったんですか?

言わないな。親父に、くってかかったことはあったけどね。

野村)どんなことがあったんですか?

何だったか忘れちゃったけど。おふくろに聞いたら、あんたが好きなことをやればいい
じゃない。で、何か、したことはあったよね。そうだよ!?俺が俳優になろうかなと
思った時に、お誘いがあってね。俺は俳優になろうと思っておやじに相談してたらさ、
おやじは、バカ野郎って言ってさ。お父さんとして反対だよ。こんなにプライバシーの
ない仕事はお父さんだけでたくさんだって怒られた。だけどお袋に言ったら、あんたが
やりたかったらやればいいじゃない。全然そこで意見が合わない。でもやりたいから
やるって。それから東宝に入って勉強したんだよ。”拙者、親方と申す。ご存知の方も
おありでしょうが・・・”。長いセリフみたいなのを練習して言わされてさ。一緒に
勉強した人もいたな。

野村)有名人の子供に生まれたっていうのは、むしろ加山さんの運命でもあったわけ
だけども。後に、加山さんが若大将だけじゃなくて、仕事の場が広がっていっ
て、奥様と出会って、お子さんにも恵まれて、でもお子さんもあの加山雄三の
息子だ、娘だって言われたこともあったんでしょうね?

いや、俺にあんまり相談しないけど、みんなね。それぞれあっただろうと思うけどさ。

野村)加山さんも上原謙さん、小桜葉子さん、ご両親には言わなかったでしょ。

時代が違うと思うんだ。今は親が何やってるか、そんなことをとやかく言う奴は馬鹿
だと思うじゃん。そういう時代じゃなかった、俺たちの時代は。

 人気スター?
 

野村)池畑少年が加山雄三になっていきます。これが一気にスターになっちゃうわけ
   ですよ。一気にスターになる。でも、そのギャップっていうんですか、世間が
   見る目がガラッと変わっていったと思うんですよ。茅ヶ崎の暴れん坊が銀幕の
   スターになっているじゃないですか。その辺が、ご自身ではギャップっていう
   か、葛藤とかあったんですか? 

いや、それはね、あったけども、やっぱりね、やる以上はね、やっぱり売れた方が
いいなと思うよな。俺、電車で通ってたわけだよな。茅ヶ崎の駅から電車乗って藤沢
の駅に止まった時に、通りがかりの人がさ、俺の歌を鼻歌で歌いながら、通り過ぎた。
あっ、俺の歌歌ってる、おっ、すごいなって思った。♪もしも この船で〜って。俺
の歌を歌ってて嬉しかったよ。その時は。本当に嬉しかった。

野村)へぇ〜!?向こうから鼻歌で歌ってきた方は、すれ違う人が、加山雄三って、
   わからない?

いやいや、俺は電車の中に居たんだから。

野村)電車の中に?

そう。電車の窓、開けてたから。歌いながら外を通って行ったんだよ。

野村)藤沢駅で?

そう。俺はすごいなと思ったの。嬉しかったなんてもんじゃないよ。

野村)まさか、この電車に加山雄三が乗ってるとは思わないから?

それは思わないよ。そんなこと誰だって思わない。

野村)ああ、それはわかるな。嬉しいだろうな。

嬉しかったね。あの時はね。

野村)嫉妬とか無かったですか?周りからの妬みとか。映画界とか役者仲間で。
   ”いいよな〜。加山雄三はよ。おやじとおふくろも有名人でよ。こう
   やってデビューすれば売れちゃうし、曲も売れちゃうしよ。そういう声
   は聞いたことない?

ない。全然、耳に入ってこないですよ。そんなこと言う奴はいなかったね。

野村)あ、そうですか。

なんでか俺の周りにはいないよ。そういうの。

野村)へぇ!?

 芸名(加山雄三)
 

ありがたいことだと思うんだ。認めてくれてるんだからな、黙って。最初に売り出す
時に東宝の所長がね、メディアの人たちに紹介してくれた。俺の名前を紹介するのに
上手いこと言ったんだよ。その人は加賀百万石の加、富士山の山、英雄の雄、小林
一三の三と書いて加山雄三です。って説明したんだよ、メディアに。一発でわかる
じゃんよ。それで加山雄三と申します。ってよろしくお願いします。って紹介して。
それで、バ〜って広がるじゃん。うまいこと言ったねと思って、もう感動したね俺。
ビックリしたよ、俺。小林一三って、東宝を作った人だったから。

野村)そうですよ。阪急を作った人ですよね。

へぇ〜、俺はそんないい名前つけられたんだって。おばあちゃんにもらった名前で
さ、占いでつけてくれたんだもんね。

野村)加山雄三っていう芸名は、おばあちゃんが・・・。

占い者に見てもらって、10個くらいあったらしいんだ。その中から加山雄三ってのを
選んだわけよ。俺はそれでいいよってね。俺は別に宗派どうのこうのというのは無い
けどね。大雄山って言うお山に時々連れて行ってもらったことあるんだよ。夏休み
なんかね。それで泊まったこともあるんだよな。そこの奥の院をずっと、山を登って
行ったんだよな。山の中でおばあちゃんが”振り向くんじゃないよ”って言うんだ。
何で?って。思ったけど。そしたらいきなり後ろからギャーって人の声が聴こえて。
”見れるんじゃないよ!”っておばあちゃんが言うんだよ。見ちゃいけないって言わ
れると見たくなるじゃん。それで見たら、カラスがさ、人間が声出したみたいな声
だしてさ。

野村)天狗じゃなかったんですね。

天狗じゃない。ほんと不思議だね、やっぱり考えてみりゃね。

野村)次回はですね、加山雄三さんの波乱万丈の人生の中で、まあ、大変だったろう
   なという、借金、負債問題について伺います。永遠の若大将、加山雄三。俺は
   100まで生きると決めた。次回もお楽しみに。

ここまでの内容を音源でお楽しみください。(時間 12分34秒)
下からどうぞ。
 第30回 人生のスランプ@
 

2025年11月24日新規作成