加山雄三 俺は100歳まで生きると決めた
  (文化放送podcast 2023年7月18日〜)

7月18日に文化放送の「くにまる食堂」で放送された「俺は100(歳)まで生きると
決めた」の内容をレポートします。
同日配信された文化放送Podcastでは、ラジオで未公開の内容も配信されました
ので、その内容も含めてレポートします。下からどうぞ!

今回は「第31回 人生のスランプA」をレポートします。

下からどうぞ!

 

 第31回 人生のスランプA
 
 23億円の負債&結婚
 

野村)リスナーの皆さん、ご機嫌いかがでしょうか。野村邦丸です。この番組の
   メインパーソナリティは?

加山雄三でございます。どうぞよろしくお願いします。

野村)今回、加山さんにとっては辛いことではあるんですけど、テーマが人生の
   スランプということで、子供の頃はお父上、母上が有名人ということで、
   学校に行っても仲間外れになっちゃったという話も伺いましたけども、一方
   で加山雄三としてデビューして、歌でも映画でもステージでもスターになっ
   ていって、登り詰めたということなんですが、地元神奈川県茅ヶ崎、これは
   サザンオールスターズの歌にも出てきます。「パシフィックホテル」という
   素晴らしい名所でもあったホテルが倒産してしまったという、これ加山さん
   の責任というよりは加山さんが連帯保証人のような形になっちゃった。これ
   は随分と当時の週刊誌でも「加山雄三 負債」っていうのが出てましたけど。
   あの時は加山雄三さんにとってはピンチでしたよね。

まあ、あれは辛かったね。だけどあの頃、嫁さんもいたろ?そういう時に、借金が
こんなにあるけども、それでも嫁に来てくれるか?って聞いたんだよ。そしたら、
”はい、いいわよ”って。俺はもうこれだ!と思ってね。この人以外いないなって
思ったもんね。俺は23億だけどね、なんとかなるなって、気楽だったんだよな。
あんまり深く考えてたってしょうがないだろ、俺自身じゃないんだから。俺は連帯
保証人で、経営者というのは叔父がやってたんだ。それが高利貸しに借りたりした
ものだから、それが山ほどになっちゃったわけだよ。それで結果的に17億9千万円
で、それを買ってくれた人がいたからね、助かったんだけど。それでも残った6億
なんぼは払わないといけないんだよ。それは月賦で払いますからって支払っていっ
たんだけど。それを10年間で返したんだ。俺ね大したもんだよ。10年であろうと
何であろうと返したんだから。やめてアメリカ行ってアメリカに住もうと思った
ことがあったけど。それでもやっぱりよく考えたらね、そのままアメリカで生活
しようと思えば、できないことはないんだけど、心に空洞ができてしまったという
感じがするんだよな。それは、いけないなと。自分で蒔いた種は自分で刈りとら
なきゃいけないな、という気持ちになって。日本へ帰って、キチっとやろうと。
それで帰った時に記者会見をやった。”一生懸命働いて返しますから”って言った
ら、記者の人たちも冷たかったからね。俺ら、結婚したってことをみんなに喜んで
もらえると思ったら大間違い。これから二人で頑張りますからって言ったって、
”甘い、甘い!”と記者の人たちに言われて、やっぱりと思ったけどさ。なんとか
しようと思ったよね。それで、しゃかりきになって。だけど借金を背負ってたから。

俺がね国税局に行ってさ、納税しなきゃいけないんだけど、食わなきゃならない
から、何パーセントか認めてくださいって国税局に言ったら、3度目の時に、まあ
しょうがないですね。って本当にわずかだけどって。それが生きる道を作ってくれ
たんだよ。国税局だって俺が死んじゃ取れないわけだから。と思ったから、そう
したんだと思うんだよね。認めてくれたことが良かったんだよな。

 当時の生活と想い
 

野村)その、一番困窮している時代で、加山さんがね、私が喋ってる番組でも紹介
   してくれた話で、結構これ有名なんだけど。めぐみ夫人と一つの卵。これを
   分け合って、二人で卵かけご飯を食べたっていう話が、これは結構有名に
   なりましたけど、その頃の食生活ってどうだったんですか?

卵なんてな、栄養があるから。それを食べられるだけでもありがたいと思うね。
だけどその時にね、女房のお母さんはカウンターカップをやっていた。俺たちが
食えなくなったら、そこへ行って、余ったものをくれないかと言って、食べるもの
を少しくださいと言っていた。夫婦で貰いに行っていた。その当時、♪追いつめ
られて〜って、いう俺の歌が売れたんだ。♪お前とふたり〜って、そういう歌を
やっていたんだよな。店に居たらさ、”お前さん、加山雄三じゃないの?”言う
から。”はい、そうです。”って言って。”お前のこの前、出した「落ちぶれ
果てて」って歌、いいじゃないか”と。”「追いつめられて」って言うんです
けど。”って言ったら、”どっちだって同じじゃないか!?”って。ひどい目に
あったけど。いい思い出だ。笑っちゃうよ。

野村)当時は大変だったと思うけども、でもなんとかなるっていう若大将・・・。

あんまり深く考えないんだよね、俺ね。

 人は思った通りになる
 

野村)なんとかなっちゃうわけだし。

人間って、やっぱりどっか深いところで、思い通りになるんだね、本気でやる気に
なりゃ。だから人間はさ何かをやるときに本気で取り組んだら必ずその方向に向か
う。だから、これはやばいなって思ったら、”よし、何とかしなきゃいけない”
って。もう何とかしようって自分で思ったら、そういう道が拓けてくるから我慢
して、みんなやってみたらどうって言いたくなるよね。見てると結構。そういう
目にあってる人いるじゃない。おい何とかそれできるよ絶対できるよ、やってみな
って言いたくなるね。

野村)だから加山雄三、その人生って諦めないんですよね。

そう諦めたらだめだ、諦めたら諦めたら人生になっちゃう。一つの線を縛って引っ
張ってね、ここからどう考えたってだめだって思うことはだめ。これは可能性ある
と思ったら可能性の方にかける。かけた以上は、やる。ちゃんと自分で線が引ける
か引けないか、だよな。

野村)目標みたいな具体的なね現実的な。

まあ、いろいろあったけどね。一つ一つ今だってあったよ。何の変哲もないような
人生かもしれないけど。考えてみたら今だって苦労はしてるよね。みんな苦労する
んだ。生きるということは、そういうことだと。素直に受けとめて頑張ればいいん
だ。頑張ればちゃんと認めてくれる人も出てくるわけだ。

野村)加山さん、人生の中でお金のピンチもあったけど、俺は100まで生きると
   決める前に、今度はお体のピンチもございました。次回はそのお体のピンチ
   をどうやって乗り越えて、今に至ってるかを伺いたいと思います。
   永遠の若大将、加山雄三、俺は 100まで生きると決めた。次回もお楽しみ!

ここまでの内容を音源でお楽しみください。(時間 12分34秒)
下からどうぞ。
 第31回 人生のスランプA
 

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