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7月18日に文化放送の「くにまる食堂」で放送された「俺は100(歳)まで生きると 今回は「第2回 盟友 田中邦衛との出会い」を 下からどうぞ! |
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野村)前回、去年12月の飛鳥Uでのラストライブの話を伺おうと思ったら、小さい 漁師になって遠洋漁業に出て、獲ってきた魚をみんなにわけてやろうと。 野村)歌手、俳優にならずにいたら、86歳の元気な漁師さんだったかも。 そうだよ、3隻ぐらい自分の船を持って船団を組んでやってたかもしれないね。 野村)光進丸はオシャレな船じゃなくて漁船だったかも。 |
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野村)そうやって海と慣れ親しんでいた加山さんが歌の世界、映画の世界に入って 俺は普通のサラリーマンになるつもりで、三菱商事の願書をもらってきてたんだけど。 以後お話しされたのは、加山さんの著書「湘南賛歌」に掲載された内容でした。
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ここまでの内容を音源でお楽しみください。(時間 5分40秒) 下からどうぞ。 |
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良く考えたら、親父の影響で俺はいろんな意味で得をしている。 野村)お父さんは息子がやりたいことをやらせようと最終的には折れたんですよね? そういうことなんだけど、東宝の藤本真澄という大プロデューサーと話をしていた 松竹で昔「若旦那シリーズ」というのがあったんだってよ。「若旦那」じゃしょうが 以後お話しされたのは、「京都大原三千院事件」と「あの音、聞こえましたか?事件」
野村)長く続きましたもんね? すごい続いた。「日本一の若大将」になったあとは外国に出ていっちゃったからね。 野村)盟友というか、先輩にはなるんですか? 年齢は上だからね。 野村)田中邦衛さんという稀代稀な俳優さんとの出会いと言うのは? これは大きいね。あの人が居なかったら今は無いよ。そのくらい盟友だね。8歳ぐらい 野村)後に「北の国から」で。あの時、嬉しかったですか? そりゃ嬉しいさ。高く評価されたから、そりゃあそうだ!って。 野村)加山さんのことはなんて呼ばれていたんですか? 俺の事、なんて言ってたかな? 野村)”加山”ですか? うん 野村)皆さんお聴きのとおり話がどっちの方向に進むかわかりませんから。次回以降も |
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ここまでの内容を音源でお楽しみください。(時間 7分16秒) 下からどうぞ。 |
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2024年1月8日新設 |
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