加山雄三 俺は100(歳)まで生きると決めた
  (文化放送podcast 2023年7月18日〜)

7月18日に文化放送の「くにまる食堂」で放送された「俺は100(歳)まで生きると
決めた」の内容をレポートします。
同日配信された文化放送Podcastでは、ラジオで未公開の内容も配信されました
ので、その内容も含めてレポートします。下からどうぞ!

今回は「第2回 盟友 田中邦衛との出会い」を
    2つに分けてレポートします。

下からどうぞ!

 

 第2回 盟友 田中邦衛との出会い
 
 第2回 その1
 

野村)前回、去年12月の飛鳥Uでのラストライブの話を伺おうと思ったら、小さい
   時の夢は漁師さんになることだったと。

漁師になって遠洋漁業に出て、獲ってきた魚をみんなにわけてやろうと。

野村)歌手、俳優にならずにいたら、86歳の元気な漁師さんだったかも。

そうだよ、3隻ぐらい自分の船を持って船団を組んでやってたかもしれないね。

野村)光進丸はオシャレな船じゃなくて漁船だったかも。

 芸能界入りの動機
 

野村)そうやって海と慣れ親しんでいた加山さんが歌の世界、映画の世界に入って
   いく、それはなぜだったんですか?

俺は普通のサラリーマンになるつもりで、三菱商事の願書をもらってきてたんだけど。
友人の峰岸真一(元文化放送社長)が家へ来た時に、”これ、なんだ?”って。・・・

以後お話しされたのは、加山さんの著書「湘南賛歌」に掲載された内容でした。
タイトルをクリックすると記事が読めます。
 

 不純な動機で俳優に
ここまでの内容を音源でお楽しみください。(時間 5分40秒)
下からどうぞ。
 第2回 その1
   
 第2回 その2
 

良く考えたら、親父の影響で俺はいろんな意味で得をしている。

野村)お父さんは息子がやりたいことをやらせようと最終的には折れたんですよね?

そういうことなんだけど、東宝の藤本真澄という大プロデューサーと話をしていた
らしいんだな。それで頼んでみようとなったんだね。俺の知らないところで親父が
動いていたんだよ。

松竹で昔「若旦那シリーズ」というのがあったんだってよ。「若旦那」じゃしょうが
ないから、「若大将」にしちゃおうということで藤本真澄さんがそういうタイトルに
変えて、田波靖男さんに”こういう脚本を書てくれ”って言って、(田波さんから)
俺がやってたことをいろいろと聞かれるから、スキーで神奈川県代表だったと言っ
たら、映画の中でいろんなスポーツをやるっていうことになってさ。まずは3本やろう
ということになったんだ。
”青大将”に田中邦衛さんを起用して。味があるんだね、彼は。面白い人でね、「椿
三十郎」という時代劇を一緒にやったことがあるんだよね。その時に、ちょん髷結って
準備してたら・・・ 。

以後お話しされたのは、「京都大原三千院事件」と「あの音、聞こえましたか?事件」
の内容でした。加山雄三ショーでお二人が共演された時にもその内容が紹介されて
いましたのでレポートと動画で紹介します。タイトルをクリックすると見れます。
 

 即興ドラマチック対談(加山雄三ショー)

野村)長く続きましたもんね?

すごい続いた。「日本一の若大将」になったあとは外国に出ていっちゃったからね。
「ハワイの若大将」、「ニュージーランドの若大将」他世界中回ったもんね。

野村)盟友というか、先輩にはなるんですか?

年齢は上だからね。

野村)田中邦衛さんという稀代稀な俳優さんとの出会いと言うのは?

これは大きいね。あの人が居なかったら今は無いよ。そのくらい盟友だね。8歳ぐらい
上だったかな。

野村)後に「北の国から」で。あの時、嬉しかったですか?

そりゃ嬉しいさ。高く評価されたから、そりゃあそうだ!って。

野村)加山さんのことはなんて呼ばれていたんですか?

俺の事、なんて言ってたかな?

野村)”加山”ですか?

うん

野村)皆さんお聴きのとおり話がどっちの方向に進むかわかりませんから。次回以降も
お楽しみにしていただきたいと思います。今回はここまでにします。

ここまでの内容を音源でお楽しみください。(時間 7分16秒)
下からどうぞ。
 第2回 その2
 

2024年1月8日新設