加山雄三 俺は100(歳)まで生きると決めた
  (文化放送podcast 2023年7月18日〜)

7月18日に文化放送の「くにまる食堂」で放送された「俺は100(歳)まで生きると
決めた」の内容をレポートします。
同日配信された文化放送Podcastでは、ラジオで未公開の内容も配信されました
ので、その内容も含めてレポートします。下からどうぞ!

今回は「第3回 若かれし頃の武勇伝」をレポートします。

下からどうぞ!

 

 第3回 若かれし頃の武勇伝
 
 若かれし頃の武勇伝
 

野村)「若大将シリーズ」の撮影の合間に、レギュラーの出演者の方々とご飯を
   食べることはあったんですか?

みんなでご飯を食べることは、まず無いね。弁当を持って帰って食べてた。

野村)歌手としても大スターになりつつあったわけですから。

あんまり自覚が無いんだよね。世間では売れてた感じがしてたんだけど。茅ヶ崎から
電車で通ってたからね。

野村)よく通えましたね。加山雄三がそこに居るわけでしょう?

みんな気が付いても気が付いてない顔をしてるんだ。何も言われないの。1回、喧嘩
しそうになったことあったけどね。俺は喧嘩することが好きだったからさ。

野村)結構、武勇伝の持ち主なんですよね。どんな喧嘩だったんですか?

上原謙のお坊ちゃんとか、言われるの大っ嫌いだったんだ。硬派になってやろうと
いう気持ちがあった。慶応高校は日吉にあったから日吉まで電車で通ってた。電車の
中で文句を言うやつがいたんだ。藤沢の駅で降りて、一発やろうと思ったらいきなり
土下座して謝るんだよ。それで収まっちゃった。

野村)相手は加山雄三と知らないで?

知らないよ。加山雄三になる前だもん。

野村)慶応の学生時代ですね?

そうだよ。見た目がおぼっちゃんぽかったと思うんだ。ある時ね車で親戚を送って
いった帰りに、車の邪魔をする奴がいたんでクラクションを鳴らしたら、車を蹴ら
れた。それで頭にきたから家に帰って、親父にこれから果し合いをやってくるから、
と。行ったら、向こうは18人くらい、こっちは知り合いを集めて4人。乱闘になっ
た。近くの人が、おまわりに通報したらしくて捕まって藤沢の警察署まで連れて
いかれた。始末書に署名してきた。

野村)加山雄三になる前の、若かりし頃の若大将武勇伝ですね。

若大将じゃないよ、馬鹿大将だね。

 頑張った受験勉強
 

野村)加山雄三としてデビューした後も硬派だった?

慶応高校へ入るために一生懸命勉強したんだ。中学の授業にも行かずに。朝から勉強、
勉強で毎日英語の単語を200個覚えた。3人の先生が入れ替わり立ち代わりで。
試験当日はお迎えの車を用意してくれるということで待ってたんだけど、全然来ない。
それで親父に送って行ってもらったんだけど、途中で事故を起こしてる車があった。
あとで聞いたら、迎えの車の運転手さんがそこで死んじゃってた。俺のために犠牲に
なった。ものすごい辛い思いをしたね。
今でも忘れないけど、英語の試験の時に直前に覚えた熟語(notT only A but 
also B)が試験に出てきて答えることが出来た。それが嬉しくてさ、俺は絶対1番
で入学してやると思ってね。

野村)高校へ入るために猛勉強したんですか?

すっごい勉強した。絶対1番で入学出来たと思ってたが、高校へ入ってから担任の先生
から12番で入ったと聞かされて、ガッカリした。

野村)12番でもすごいと思うよ。その時、勉強したことが未だに役に立ってるんでしょ?

役に立ってるよね。

野村)きょうはここまでとなります。次回もお楽しみに。

ここまでの内容を音源でお楽しみください。(時間 15分1秒)
下からどうぞ。
 第3回 若かれし頃の武勇伝
 

2024年6月3日新設