ミュージアムサイン会(3/26) 
          レポート 

右の写真は通常のサイン会が行われる前にアトリエの中で行われた、加山さんから手渡しされた45周年記念グッズを受け取っているところです。超緊張していたため加山さんに声もかけられずカメラも調子が悪くてうまく写ってませんでした。

 

今回は松崎で前泊してゆっくりそれでも朝9時30分にはサイン会の整理券番号3をゲットしてました。

 

この日も昨年同様、地元ラジオ局の中継が来ていました。左は早い時間からミュージアムの中で中継のための「お勉強中」のラジオ局のレポーターです。

記念品の手渡しセレモニーが終ってすぐ、いつものようにサイン会が開催されました。
丁寧にそして優しくサインをする加山さん、スタッフとの息もピッタリ手際よく進めて行きます。それを見ているだけでも充分幸せを感じられる時間でした。

 

 

嬉しい瞬間です。加山さんとのツーショットは幸せ一杯です。私の笑顔を見ていただければわかっていただけると思います。加山さんの手はいつでも暖かくてフワフワしていました。

今回はサイン会会場で下の写真の白い帽子にサインをいただき、右の写真にはサイン会終了後に加山さんがアトリエの中でサインしてくださいました。
帽子は後から前回のサイン会で同じ種類のものにサインしてもらったことがわかったので今度のシアトル旅行に持って行こうと思っています。また右の写真は去年の7月のミュージアムでのサイン会で撮っていただいたものです。

ここからはラジオのインタビューの模様をお楽しみください。

 

インタビューも直前まで鉄道模型の本を手放さない加山さん、花粉症にならない理由についてインタビュワーが「加山さんは容量が大きいんですよ」と言うと「俺は要領は良くないんだけどなあ」とダジャレで切り替えしてラジオ中継の始まりです。

インタビュー開始早々、「キラキラ光ってますね」、とレポーターの胸にギターピンバッジを発見、「ピンバッジは45周年を記念して作ったんだけどデザインは40周年記念に40台限定でつくった幻のギターを土台にしたピンバッジですよ」と丁寧に質問に答えます。

 

 

45年というのはどうでしたか?という質問には「やっぱり長いですよ、今でもデビュー当時のことはぱっと思い出せるけど、昔のことはよく覚えてるじゃない人間って、想い出が沢山あるし、いろいろとやってきたことを一つ一つ形として残す事ができた。今年「若大将シリーズ」もDVDになる。

そして皆さんが認知してくれた歌が沢山ある。
音楽と言うのは時を超えて存在するという気がする。
それを支えてくださったファンの皆さんが沢山いて今の僕があると思ってます。常に感じています。

音楽との出会いは10歳位の時に足ふみオルガンが初めて、バイエルの74番を1時間半くらいでマスターした。もともと音が好きだった。
弾厚作というペン・ネームはおばあちゃんが占い師にみてもらってきた中から選んだ。後からギターを弾きながら厚かましく作るとしてきた。

 

 

ここにある時計、これはもうもう僕がねえ大事にしてず〜としている時計。全然狂わない。20数年調整したことがない。
間違えてこれを身に着けたまま小笠原で海に潜ってしまったが壊れなかった。41m潜って10分以上いたのに壊れなかった。伝説の時計になった。

ところが失くしてしまいあきらめていたら5年振り位に見つかった。5年間僕の腕からなかったんだけどちゃんと動いていた。涙出てきたね俺、それからは絶対離さない。まるで女房みたいなもんでね。その復刻版を今回45周年記念のグッズにしたんです。

 

「目覚まし時計もあるんだよ。」
「これが今回当番組のプレゼントです。」
「目玉賞品で〜す(目覚まし時計で〜すにひっかっけて)って」
「皆さん笑うところです」
「いいんです、別にいいんです、サインしておきましたから」
最後まで和やかなインタビューでした。

平成17年04月07日新規作成