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ここからはラジオのインタビューの模様をお楽しみください。
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インタビューも直前まで鉄道模型の本を手放さない加山さん、花粉症にならない理由についてインタビュワーが「加山さんは容量が大きいんですよ」と言うと「俺は要領は良くないんだけどなあ」とダジャレで切り替えしてラジオ中継の始まりです。
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インタビュー開始早々、「キラキラ光ってますね」、とレポーターの胸にギターピンバッジを発見、「ピンバッジは45周年を記念して作ったんだけどデザインは40周年記念に40台限定でつくった幻のギターを土台にしたピンバッジですよ」と丁寧に質問に答えます。
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45年というのはどうでしたか?という質問には「やっぱり長いですよ、今でもデビュー当時のことはぱっと思い出せるけど、昔のことはよく覚えてるじゃない人間って、想い出が沢山あるし、いろいろとやってきたことを一つ一つ形として残す事ができた。今年「若大将シリーズ」もDVDになる。
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そして皆さんが認知してくれた歌が沢山ある。
音楽と言うのは時を超えて存在するという気がする。
それを支えてくださったファンの皆さんが沢山いて今の僕があると思ってます。常に感じています。
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音楽との出会いは10歳位の時に足ふみオルガンが初めて、バイエルの74番を1時間半くらいでマスターした。もともと音が好きだった。
弾厚作というペン・ネームはおばあちゃんが占い師にみてもらってきた中から選んだ。後からギターを弾きながら厚かましく作るとしてきた。
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ここにある時計、これはもうもう僕がねえ大事にしてず〜としている時計。全然狂わない。20数年調整したことがない。
間違えてこれを身に着けたまま小笠原で海に潜ってしまったが壊れなかった。41m潜って10分以上いたのに壊れなかった。伝説の時計になった。
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ところが失くしてしまいあきらめていたら5年振り位に見つかった。5年間僕の腕からなかったんだけどちゃんと動いていた。涙出てきたね俺、それからは絶対離さない。まるで女房みたいなもんでね。その復刻版を今回45周年記念のグッズにしたんです。
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