2007年 6月 フジTV
  Dのゲキジョー(6月29日) 
      

6月に放送されたトーク番組をレポートしました。
古希(70歳)を迎えられた加山さんの言葉には人生の先輩としての重みが感じ取れました。カヤマニアにとっては幸せなひと時でした。
関西地区や東海地区で放送されなかったのがちょっと残念でした。日本全国のカヤマニアにぜひ見てほしいと思いました。

番組は光進丸でのロケから始まりました。 
ウェンツを知ってますか?
さっきディレクターさんに聞いたけれどもウェンツさんていう・・・。
とジョークっぽい返答
収録中なのに回りで見ている人に挨拶する加山さんにウェンツも”自由ですよね”となかばあきれているようでした。
全部知り合いのようなものですから
光進丸の中が紹介されました。詳しい内容はこちらからどうぞ!
船舶の免許はいつ取ったんですか?
昭和39年(1964年)ちょうどその年に「赤ひげ」を撮影してた。
撮影の最中にどうしても取らなければならなくなったんで
黒澤先生に、国家試験だからさ、日にちが決まってるわけよ。休みもらわなければだめだって、直談判して、
”ぜひお願いしたいことがあるんですけど”
”なあんだい”
”国家試験受けたいんですけど”
”おう、なんの?”
”船の免許です、6月の19日その日しかないんです。年に4日しかないんです。休ませてください”って言ったら
”うん、わかった、いいよ”
その日全部休み!

パスポートは船員はいらないの、船員手帳っていうのを持ってんの、それがパスポートの役割を果たすんだよ。パスポートと船員手帳の違いはお土産にパスポートは酒3本いいんだけど船員手帳の場合は1本しか持ってきちゃあいけない。それだけ!

光進丸でのロケに戻って

やっぱり一応出てみるかい?もし出るとしたらカメラマンさん皆、中に非難してもらってくれる?
港の外にね、ちょっと出て体感してもらおうと思って。
(予定外で出航することに、波は1.5m)
まあここら辺でこれだからねえ、沖のほうは大変なもんだよ。
俺たち(クルー)だけだったらどんどん出て行っちゃうけどね
来るぞ〜、来るぞ〜、そ〜れ!
ちょっと1回カメラ止めていただいていいですか?”
とウェンツから弱音がでたところで”しけ”の体感は終了。

この船はいくらくらいするんですか?
その質問に対してね、若大将の答えはね、それを聞かなくなったら教えてあげるよ、聞いてるうちは(船は)必要ないんだよ。
何隻目なんですか?
23隻目、バカとしか言いようが無いだろうけど、一番最初に持ったのが14歳のとき。
自分で作ったんだよ小さな船を、それが夢だったんだよね
秘蔵フィルム 
親父がね映像の世界にいたこともあって非常に写真とかねそういうものが非常に好きだったんだよね。
いち早く人がなかなか手に入らない様な16mmのカメラを手に入れて俺が生まれるっていうんでそれを記録してこんな大きなリールに2缶丸々あるよね。
それは珍しいでしょうね、映像をキチット動くやつで残してるのは。
写真はともかく(動画は)あったかどうかってぐらいだからね
まあ悪ガキだったらしいけどね、小学校の頃なんていうのもね
喧嘩して人の頭、石で殴ったりっていうこともあった。
後でテレビでご対面に出てきてさ「触ってください」って触ったら
へこんでんだよ、こうやって水溜まるって言うからさ、これ今だったら大変だなって思って
本当に申し訳ないって気持ちでいっぱいです。
若大将シリーズ

田中邦衛さんていうのは僕大変尊敬しているんだけども、田中邦衛さんがいなかったらばそれこそ若大将シリーズないですね
非常に真面目というか常に勉強するというようなそういうタイプの人ですからね。
演技とはいうものの、本当に面白いキャラクターをよく出してくれたなと思います。

エレキの若大将での「君といつまでも」撮影秘話

あの時俺すごい不機嫌だね。何であんな所でギター1本で歌ってるんだとおかしいんじゃないかと。
もっとおかしいのはさ、間奏のサビからもう1回歌う時に、もうすでに星さんが歌ってんじゃない。
「これは僕が新しく君のために作った歌なんだ」って言いながら一緒に歌ってるってどうしてそうなんだよって。
「映画なんだからいいんだよ!」って監督に言われてもさあ、映画とはいうものの「キチンとやってくれよ!」みたいな気持ちがあってブスーッとして歌ってる。

古希コンサートのステージで 
「しあわせだなあ、こうやって70歳になっても歌を歌っていられるってのはしあわせだ、僕は死ぬまで歌い続けるぞ、いいだろう」
コンサートの様子もチョット紹介されました。こちらからどうぞ!
父、上原謙

孤独な性格じゃないかと思ったの、あの人(上原謙)は天下の二枚目でさモテモテでどこ行っても騒がれるじゃん!
レジスタンス(反抗)のかたまりだね、「男は顔じゃねえんだよバカヤロー!」って思うようになったよ。

(芸能界入りには)
もう大反対!「これだけプライバシーのない世界は俺だけでたくさんだ!」ていうのを説得して、そのかわり「自分でまいた種は自分で刈り取れ!」
でも最後のほうに自分でまいた種になっちゃった。

再び光進丸でのロケに戻って、加山さんが料理を
ハンバーグっていうのがあんでしょ?ハンバーグっていうのは丸めて焼くのは大変だから、ハンバーグバラバラのまんま食おうぜって
結局それが人気出ちゃったんだよ。「バラハン」っていうんだよ。(作り方はこちらから)
これが子供に人気があってさ、えらい簡単だし忙しい時はこれに限るな。
子供が「おいし〜」とか言ってものすげえ食うの。
よしこれ決まり!我が家の定番
若大将が一番子供みたいですね。想い出深い料理は
鍋。鍋もね5,6種類あるんだ。第一光進鍋、第二、第三、四って第六まである。昨日も第二光進鍋食べたね。
第二光進鍋っていうのは鶏豚鍋って言ってね、鳥と豚の肉あとは野菜をふんだんに入れて、第四光進鍋になるとね辛いのよ。
メニュー貼りません?
メニューはあるよ本当に、僕が出来る範囲の料理。
湘南での想い出の場所といったら鳥帽子岩しかないみたいな。
あの鳥帽子岩に行くのが唯一の楽しみでさ。
鳥帽子岩に行って見たいなって思ってた気持ちが手作りの船を作らせた訳だから
見た目は近くに見えるんだけど途中に流れがある。
そう良く知ってるね、あれ泳ぐの大変よ!
真っ直ぐ行くと絶対流される!だからね島がここにあるのに、こんな方を向かって泳いで行くの、それで丁度着くの。
誰か真っ直ぐ泳いでくる奴がいるの、あれだめだぞ!見てると段々流されて動かなくなって、その内手を上げて助けてくれって言ってるから。
俺助けに行ったことあるもん。
船に引き上げて「お前よそ者だろ?」って偉そうに言ったの。
「東京の者です」
そうだろ、東京の者はこんな所で泳いでたらダメだ!流れがきついんだから
命あるだけでもよかった。

船でね、遠浅になってるとね、砂のところまで(船を)上げてくるのは容易じゃないから勢いつけてね。
スピード出してそのまんまダーッと砂地まで上げていっちゃうんだよいつも。

友達がみんな乗っかって「行くぞ」ってダーッと全速力でそのまま滑って砂の上でピタッと止まった。
乗ってる奴全部空飛んでったもんね。
後ろの席の奴はフロントの中に入っちゃうしさ、前に乗ってた奴は宙を舞って飛んでいった。
そいつのあだ名がスーパ−マンになってさ

ここで加山ミュージアムの紹介。こちらからどうぞ!
20億を超える負債
その時加山雄三は
俺がちょうど33歳、33のゾロ目でアメリカへ逃げた。
あんまり深刻に考えるよりもまあアメリカに逃げちゃって・・・。
やっぱりその時に、このまま逃げて生活すれば出来ないことはないだろうけど、そうするとどうもなんかこの辺が空洞になったみたいな気持ちになっちゃう。
それでやっぱり日本に帰ってゼロから、マイナスからでもいいからスタートしようって気持ちになって帰ってきた。
やっぱり結婚してたっていうことで”加山雄三結婚事件”。
事件がついたんですね、結婚したことが事件になっちゃったんですね。
記者会見やった時に、俺がいくら言っても記者の方に「甘い甘いよバカヤロー!」なんて言われて
「俺、結婚して幸せになんあきゃあいけないんだけど」って言ったらその負債のこと考えたら甘い甘いと。
そりゃまあその通りだけど「だから俺はこれから頑張るから」って言ってんだけど「甘い甘い」って言われたよ。
立ち木をぶん殴って、この辺血だらけになってそれで酔っ払ってくだ巻いて、それでも一生懸命カミサンが慰めてくれるっていうか。
手の施しようがないなっていう状況になってたらしいけどね。
そういう時にね、本当に俺が感動するような事いっぱいやってくれたの。
女房はね、これは一生何があってもこの人、大切にしていかなきゃいけないって。そういう上手い所つくねやっぱり。そう思ったね、本当に

みんな逃げちゃった他の人は。
これはなんか感じるものがあったんだと思う。この人支えないと自分はだめになる。
だめだろうと思ったんですね

みんな背を向けて去っていくのがよく見えてさ、人間ってそういうものなのか?今までなんだったの?って。
有名だからこの人のそばにいれば何か得があるだろうと思ったり、有名な人にはいっぱいくっついてくる。
ひとたびどん底に落っこって、なんのメリットもないと分かるとみんな背を向けて、残ったのは海の仲間とカミさんだけですよ。あと学生時代の友達、これは利害関係何もまったくないから。
でもそういう辛いことがあったから今があるというふうに俺は思うね。柱の天辺にいていつ倒れるか?
不安が的中してどん底に落っこったよね、それから這い上がってくるときに、初めて人間一歩一歩頑張るということのありがたさと、良さと、大切さが身に着けさせてもらえたというか、人のありがたさ、人間のありがたみとうものが段々わかってくる。
去っていったのをみて、人間はみんな羨ましいと思ったらジェラシーだから、人間の根源にあるのはジェラシーだから、これをどうやってさけていかなきゃいけないか、それを思わせないようにしなきゃいけないか。
そういうことに神経注いでやることは、どんな道生きててもみんなそうだと思うんだよ。
突っ張って好きなことやって、自己中で生きていくことは誰でもできるよ。
ところが本当に外柔内向ってさ、自分に厳しく外に優しくという生き方するというのは難儀なことよ、でもそれをやろうとすることが人間生き残るひとつの方法だなってこと。
やっぱり苦労しなくちゃだめよ。
番組のラストは
特別船上ライブ「海その愛」(光進丸デッキから)

おまけ

07年07月05日新設