2007年 11月20日 NHK総合

  スタジオパークからこんにちは     

11月に放送されたトーク番組をレポートしました。
古希の元気一杯の加山さんを楽しんでください。

今回は「お嫁においで」を歌いながら登場です。
よくいろんな方と握手をしながら歌を歌えますね。
長いこと生きているといろんなことができるようになりますね。
皆様、加山雄三さん、今年古希をお迎えになりました。
70歳になりました。
お若いですね
若いって言われるのはやっぱり、嬉しいですね。
改めてご紹介しましょう。今日のお客様は俳優、歌手そして作曲家としてもご活躍の加山雄三さんです。
なんといいましても”永遠の若大将!”
私が生まれたときにはすでに若大将でいらっしゃったんですよね。

そうです。
今、花道でも私よりずっと年下の人たちが”若大将!若大将!”って
まあ、ちょっと”若”は取っちゃった方がいいかなあって思うんですけど、ニックネームとして僕は受け止めさせてもらってますので。
別に”若”がついてるっていったって若くはないですけど
谷村新司さんからのメール
あなたは我々の世代にとっての”憧れの星”そのもの。あなたが元気に走り続けてくれてる限り我々は思いっきり走りまわれます。
いつまでも笑顔と音楽を続けてください。
その星がもっともっと輝きを増し、大きく優しく光続けることを願ってます。
負けず嫌いもほどほどに・・・。
今日は音楽の部分を掘り下げてみたいと思います。
海とクラシック
生まれが横浜で、茅ヶ崎の海辺(ウミッペリ)で育ったので気が付いた時にはそこに海があった。
夏になるといろんな方が家に来るんです。ほとんど海の家状態だったんです。それが楽しい!
海に行けば、貝殻を拾ったり、地引網を引くのを手伝うとアジがもらえて家で干物を作る、それで家計を助けたという良い思い出がいっぱいあるんです。
親父がクラシックが好きで、学生時代は昼飯代を削ってクラシックのアルバムを買っていた、それが沢山あったんです。
それをよく聴いていて、それを子供心に聴いていたのが音楽を好きになった理由の一つ。
お袋のほうは演歌が、歌謡曲が好きで
日本舞踊もやっていた。和風と洋風の間で私は何になっちゃうんだろうかという感じだったんですが。

親父がいないときにベートーベンの”皇帝”を聴いたときに止めどなく涙が流れたんです。小学校の5年生のときなんですが。
どうしてこんな凄い曲が作れるんだろうか、頭の中がパニック状態になってね、それからそればっかり聴いていた。

小学校時代は友達が沢山はいなかった。綺麗な洋服を着ているということだけで、つぎがあたっていない服を着ていたということだけでちょっと敬遠されたというか、仲間はずれにされた。
みんなが野球をやっているときに教室でノートの後ろに絵を描いたり、音楽室へ行ってオルガンを弾いていた。
孤独な部分が小学校時代に養われた。我慢強くなったというか、手もみ状態で仲良くなるコツというのを取得していった。

一番最初に作曲したのは14歳のときなんですが、小学校の5年生のときからピアノを習っていたので、(作品ナンバー1がBGMで流れます)
バイエルとかソナチネを習っていたので影響がでている。
デタラメ弾いているうちに一つの曲になってきた。
あるとき、それを弾き終わった瞬間、親父が後ろで聴いていて
”なんだこれは”って聞くから
”これは俺が作ったんだ”
”ほう、そうか、お父さん”ピアノ協奏曲”が大好きだから、そのうち作曲してプレゼントしてくれ”っていうから
”あ、いいよ”って簡単に答えましたけどね。

若大将とエレキ
ワイヤ−レコーダーに録音された大学時代の加山さんの歌声が流れる

僕が高校のときくらいに親父が手に入れてきたんですよ。
初めて、”あ〜もしもし”なんてね、音を録って聞けたんですよ。
最初に自分の声を聞いたときは
なんだこれは、なんだこの声は”ってショックを受けたんですよ。

変な声に聞こえるんですよね、録音した声って
そうなんですよね、自分の声って初めて聞くときは変なんですよね。

そのちょっとあとに親父が今度はテープレコーダーを買ってきたんです。
2台になったんで一つにギターを弾いて歌っているのを流しながら、もう一回歌うとデュエットになる。それを発見してこりゃ面白いやってピアノもドラムもベースもギターも演ってたんで、一人で一つずつ入れていったらジャズ一曲演奏できちゃったんです。
これすげえ面白い!多重録音のはしり!これは貴重な体験でした。

プレスリーを歌ってられたんですね?
ヒットした曲のB面ばかりを覚えるんですよ。ひねくれてんですね。世の中でみんな歌っているのは僕は歌わない。

「エレキの若大将」の一場面そして「君といつまでも」のレコードジャケットが紹介されます。

どうして映画の中で歌を歌うようになったんですか?
東宝が青春物をやっていまして、加山雄三で青春物をやろうということで青春物には歌があったほうがということで他の人が作曲した歌を歌っていたんですよ。
これが凄い違和感があって。学生時代、英語の歌しか歌ってなかったんで、まあ下手なんです、自分で聴いてて。
”実は自分で作った英語の曲があるんです”って言って、「デディケイテッド」という曲をプロデューサーに聴かせたんです。そしたら
”いいけど英語じゃだめだ”って言われて、訳詞していただくことになって、出会ったのが岩谷時子さんなんですよ。
岩谷さんに訳していただいて生まれたのが「恋は紅いバラ」で、それが初めて映画の主題歌として取り上げていただいたんです。

家族とコンチェルト
お父様へピアノコンチェルトを36年かかって完成されたんですよね
実際にはスタートしてから12年間で作ってるんですが、スタートしたときに親父がもう60を超えていたので。
86年、お父様の喜寿77歳に合わせて演奏されたとか
そのときには演奏できる状態になっていて、そこでスコアをプレゼントしました。
親父が第二楽章が一番好きだったんですよ。
親父の誕生パーティを実際の日より遅れてやったんですけど、そのときに夜中にCDをかけて聴いた。全部聴いて
”やっぱりいいね、嬉しいよ、お父さんは第二楽章が一番好きだな、死んだら第二楽章をかけてくれよ”って、その翌日亡くなったんです。
離れに寝てるんですけど、パーティが終わって一度離れに入ってまた表に顔を出したんで、なんだろうってカミさんと見ていたら、声には出さずに
”ア・リ・ガ・ト”って言って中に入っていった。
そして翌日風呂に入ってて風呂の中で逝ってしまったんです。
最後に親孝行されたんですね。
親孝行というかなんと言うか、親父がいなければ僕もいないし、お袋がいないと僕もいないですから、そういう意味では絶対に親というものは、この世に生を授けてくれたということで。
後半は親父は結構いろいろゴチャゴチャありましたけど、そのゴチャゴチャしたことで皆さんにご心配をおかけしましたけど。
血のつながりというか、存在そのものが感謝に値すると僕は思いましたから、どんな状態になっても”親父ありがとうね”って、いつも心の中では言ってますし、お袋にたいしても同じで、家族みんなに曲を書くんですよ僕は。
「星の旅人」(作品ナンバー493番)
をショートバ−ジョンで歌われました。
私スタイル(加山雄三のとっておきMyレシピ)
(「光進丸」がBGMで流れる中、光進丸の勇姿が紹介されます)

加山雄三さんの私スタイルはこの全長30m、104tonのクルーザー
”光進丸”の中で生まれた海の男のレシピ!
どうです、この船の中とは思えぬ快適キッチン!
若大将は料理の腕も超一流です。
賑やかな宴の主役はアイデア鍋、船の名前にちなんだ”光進鍋”が仲間にも大人気。
海に、スポーツに、歌に、グルメに若大将の旅は永遠に続きます。

第一から始まって、今は第六まであるんですよ。
今日は第四、通称”辛辛(カラカラ)鍋”って言ってますがそれを作ります。
物凄く辛いです。”辛辛(カラカラ)”といっても空っぽじゃないんです。
材料ここにあります。このとおりです。
野菜
大根、しいたけ、えのき、白菜
にんにく、豆腐、くずきり

肉類
牛肉(シチュー用)豚バラ肉、
鶏モモ肉

調味料は
日本酒、水、昆布だし、キムチの素、コチュジャン、オイスターソース、一味とうがらし(韓国産)しょうゆ、中国しょうゆ

肉はブロックで。
海の男はパワーがいるもんですから、このままガバガバ入れるんです。シチューみたいもんですね。

だしは顆粒のもの、日本酒はアルコール度15度くらいのものがいい。
ミネラルウォーターを使ったほうが美味しいですよ。

韓国一味、辛いですよ〜、食べるときは頭にタオルでハチマキしますよ。

にんにくはぶつ切り、大根は厚さ1cmにしてそれを3等分する、

お酒と水は同量、だし汁に一番最初にいれるのは豚肉のブロック、3,40分経ってから牛肉のブロックそして大根、溶けて出てきた肉の脂は取ってください。脂が抜けた脂身は長生きの秘訣、若さの秘訣ですから

韓国キムチの素は瓶の半分くらい入れてください。日本のものも入れます。会場からワァ〜ッという驚きの声が
これが凄いんだよ、コチュジャン、オイスターソースを目分量で入れる。
分量は大体でいいんだよ。

不思議な物でその日の味覚というのは天候によって違うんだよ。
”料理上手くなりたかったら味覚で覚えなさい”って、俺は必ず言うの。

左の写真は大量?に入れられた韓国産の一味とうがらし

家の娘にも、子供たちにも船の連中にも
”出来上がった味覚で覚えろ、その味覚をだすためにどうしたらいいか工夫していたら必ず覚えるから”って。
相当うるさいシェフですね
うるさいじゃなくて厳しいって言ってください!

(2時間半煮込んだ鍋が登場)

食べる10分くらい前にえのき、くずきり、椎茸、豆腐をいれます。さらにメッチャ辛くするために一味を入れます。(会場のお客さんから再び驚きの声があがる。)
色が全く変わりましたね、鮮やかな赤に!
真っ赤にならないとこれは美味しくないんだよ。
(♪夕陽赤く〜♪と口ずさむ加山さん)
これ後でいただこうかと思っていたんですけど・・・。
やめるの?
いただきます。
いらないよって顔しないでよ。

会場のお客さんから美味しいという声に
美味しいでしょ(ご満悦の加山さん)
船で一回これを食べた人は、次に来たときには必ずリクエストされますよ。

質問コーナー(視聴者の方から)
おかあさんの思い出の味は?
「おかか」をまぶした「おにぎり」です。
親父に殴られて家出をして浜辺に行ったんですよ。
松林に隠れていて、一晩ここで過ごすかなと思っていたんですが、夜の10時半頃、遠くのほうからオフクロの声がしてきたんですよ。
”おにいちゃん、あんたその辺にいるんだろ、
返事をしなよ”
腹が減って喉が渇いて、ひもじかったんです。でもすぐ返事するの悔しいからしなかったんです。
しばらくたってからまたお袋が
”おにいちゃん、大体検討ついてんだから返事しなよ、
おにぎり持ってきたから”
”お〜、ここだ!ここにいるよ”
そこで小さい俵状のものでしたけど六つ、美味しかったのなんの!
その味は生涯忘れないです。
永遠の若さの源は?
なんだろうな、好奇心旺盛なんですよね。
珍しいことがあるとそれを探求するというか、常に何か目標というか、やることが多ければ多いほどいいと思います。
奥様とは今でもラブラブですか?
ええ、ラブラブでなかったら辞めたほうがいいと思います。とキッパリ
一番ラブラブだと感じるのはどんなときですか?
いつも一緒にいると安心してられるのと、割合とよく喋るんですよ。
年中笑ってるし、そそっかしいこともあって、心配になるくらいのことがあるんですよ。
なんでも出来る加山さん、苦手な物はありますか?
いろいろあると思うんですが、今みあたらないいですが、あっ、お酒はやめました。タバコも止めました。
タバコ臭い車には乗れないですし、パーティの時にお酒は飲めませんと言うのはちょっとつらいですけどね、。
視聴者からのメッセージが数件、読み上げられました。
古希をお迎えになってもますますお若く、元気で
そうです、まだ時間がありますからね、どれぐらいかわかりませんけど
これからもず〜っと永遠の若大将でいらっしてください。
健康を考えて一生懸命生きていきます!

終わり

07年12月20日新設