「駱駝」(2007年6−7月号) インタビュー
   古希を迎えた「永遠の若大将」 
      

雑誌「駱駝」に掲載されたインタビューをレポートしました。

この4月、70歳を迎えた加山雄三さん。加山さんの昨今の活動を見る度に、「古希」とは何と若々しいものかと思えてくる。
その感性を育んだ湘南・茅ヶ崎での子供時代から、「これからすべきこと」までを語ってもらった。

という書き出しで記事は始まりました。

湘南について「洗練された」イメージがあるのですが、やはり湘南のそうした影響を受けて育ったのでしょうか
今でこそいい印象があるけれど、ボクの子供の頃の湘南なんて何もない田舎だった。だいいち、「湘南」なんて呼称もまだ一般的じゃなかったし、洗練なんて全くない時代だよ

外国人の大きな家がいくつか建っていたけれど、そのほかには海があるだけの農漁村。もっともそういう環境だからこそ、2歳で大病したボクのために、両親が移り住む場所として決めたんだからね。
そのおかげで海で鍛えられ、みるみる丈夫になったのは事実だけど。

まだ誰も見たことがないようなことを、想像するのが好きな子供だった。そのためにボーっとしていろんなことを考えられる時間が必要で、茅ヶ崎にはそういう時間だけはたくさんあった。

都会のど真ん中で育っていたら、忙しくて無理だったと思う。「茅ヶ崎の家に帰る」ということは、東京にどっぷり浸かることはなかったということ。だから悪い道に進むこともなかったし(笑)

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カヌーもボディボードもサーフィンも茅ヶ崎ではまだ誰もやっていなかったし、もちろん売ってる店もない。だから自分で作るほかなかった。
だけど船の作り方がわからない。じゃあどうしたらいい?実物の漁船をよく見ればいい。お金よりむしろ知恵が必要だった時代。知恵やアイデアにお金はかからない。だからいろいろなものを見るのは、子供時代にはとても大切な時間だった。

ヨットを完成させてもセイルがない。そこでお袋に「ちょっと貸してくれ」と、シーツで代用。その翌日には「風呂の蓋を貸してくれ」と。「いったい何に使うの?」って聞かれたから「波乗りだよ」ってね。身の回りにあるものを何でも工夫して遊びに使ったなあ

ボートの底に透明のガラスを張って、海の中が見えるようにしてみたんだ。今ならグラスボードとして存在するけど、当時そんなの誰も見たことがなかったと思う。これを作って海に浮かべたときは、我ながら天才じゃないかって思ったね。

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大学を出たらサラリーマンになると、漠然と思っていたし、すでに履歴書も提出寸前だった。だけどそれを見つけた友人が「サラリーマンになる柄じゃないよ。勉強だってできたわけじゃないし、やったのは音楽とスポーツだけだろうが。それを生かさない手はないだろう」って言うんだ。「それに、資産はないけど暖簾があるのだから。それを利用して一旗揚げろ。そうすれば好きな自分の船が作れるだろう」と。そんなアドバイスに変に納得してしまって。
だから非常に不純な動機で、映画の世界に入ったんだよね。

「不純な動機」が変化したのは映画「椿三十郎」(’62年)「赤ひげ」(’65年)での黒澤明監督との出会いであった。

黒澤明さんと会って、彼の人間性、頭脳、ハートに惚れた。こんなにも深く人間を考えている人がいたのかと。魂レベルが高いとでも言ったらいいのだろうか。出会って心が震えた初めての人だった。
それまで映画を撮っていても、いつも遊ぶことしか考えてなかったし、いつ辞めようかと思っていた。だけど、こんな素晴らしい人がいる映画の世界に自分も身をおいてみようと。
黒澤さんのような人間に到達できるまで努力すべきだと、そう考えるようになっていったんだ。

若大将=田沼雄一の実家である、老舗すき焼き店「田能久」の2階にある彼の部屋は、まるで加山雄三本人の実生活を彷彿させるような、遊び心溢れる部屋であり、映画と実生活、いったいどちらが虚構の世界なのかわからなくなってくる。

言われてみればそうだね。映画の中のスポーツや音楽のシーンは、自分のしてきたことの延長線上。学生時代に結成していたバンドで人前で演奏していた経験や、日本では誰もやっていなかったサーフィンやヨットを作ったり、海に出ていたことも、すべて役に立っているね。

好きなことを諦めず、一生懸命続けてきたことが、たまたま世間の評価をもらえるようにまでなったのだと。
そのひとつが音楽で、それに絵画が加わったということ。

そう謙遜する加山さんから「駱駝」世代へアドバイスが


人間は思い通りに生きるようにできているのに、ほかと比較したり遠慮しているうち、だんだんそれができなくなってくる。謙遜は大切だけど、考えすぎたらできることもできなくなる。
老いて何もすることがないなんていうのは寂しすぎるよね。肉体は船で、魂はそれを操縦する船長。「どうでもいいや」と思った瞬間、たちどころに岩に激突しそうになる。生きている限り、立ち向ってくるものに最大限思考こらし、魂で操縦していくことが大切なのだと思う。そうすると、いつのまにか岩を通り過ごしているものです。

死んだ後の存在というものを僕は信じている。
「死後が永遠に無とは思えない。なぜなら自分が現在に至るまで永遠に無ではなかったから」と語った哲学者ショーペンハウエルの言葉は正しいと思う。

魂や心は、死んだ瞬間、エネルギー体となって、次の誕生に繋がっているのではないか。だから、次の良い人生を迎えるためにも、死ぬまで魂を老いさせてはいけないと思う。

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今年7月に発売する予定の70歳記念のCDアルバムをレコーディング中だ。

70歳になって真夏にCDをだす奴はいないよね。
ちょっと懐かしい雰囲気の音楽をやってみようかなと思っている。全部を新曲でね。トータルの作曲数もおそらく今年中に500曲を超えると思う。

我々の存在以前に偉大なる存在があり、大自然の中で動かされている我々は、自然に対する畏敬の念を抱くことが大切、とも言う。

身近にある自然を愛すること。ぼくは今でも山でスキーをするし、そんなときにも自然っていいなあって感じることができる。

式根島で定期的に潜っているからわかるんだけど、海底の様子が全く違ってきている。三宅島の噴火以降、確実に何かが海底で変化していると。なぜそうなるのかを知りたいし、そのための情報を探ってもいる。

何歳になってもやりたいことを持ち、知りたいことを持ち、達成する方向に進むということ。
それこそがこれからの「憧れのライフスタイル」なのかもしれない。

07年06月07日新設