2008年 6月 NHK BS2
  ビッグ・ショー
   我が家に二男二女あり  
     

6月に放送された番組(1978年に放送されたものの再放送)をレポートしました。
41歳の充実した加山さんのステージを、印象に残る言葉を中心にお伝えします。お楽しみください。

ステージは「夜空を仰いで」から始まりました。 
今晩は!
1978年夏、加山雄三41歳、極めて健康、極めて快調であります。
我が家に居る、二男二女のためにも張り切っております。
ただし、今年は余り海に出て行く機会がありませんので、まずは歌で海に出て行きたいと思います。

海よ、愛する我が海よ、そして海の仲間達よ
来たれ我が光進丸へ!

「光進丸」

そういったわけで、我が海への思いも歌に託すほかない、昨今でありますけれども。
もうひとつここの所、僕が大変ご無沙汰をしております、人物がおります。その人物の名前は「田沼雄一」と申しまして
(会場から拍手)
田沼雄一なる人物は、僕が映画の中で演じた男であります。そしてその田沼雄一なる男は、映画の中で「若大将」と呼ばれていました。そう、若大将です。それは田沼雄一のことでありまして、加山雄三自身のことではありません。

今頃あいつはどこで何をしているのやら、思えば最も親しかったのは、僕が二十歳代の頃だと思います。
「二十歳代」英語で申しますと「When I was 20’s」であります。

「When I was 20’s」「旅人よ」

今度はまた、新しい曲を聴いていただこうと思います。
南太平洋の中に、フィジーと呼ばれる島々があるんですけど。そのフィジー諸島の近辺に、いつの日か住んでみたいなというのが、ぼくの夢の一つなんですが。
なぜそういう夢を持っているかといいますと、僕の周りには夢多い男達が沢山居まして。
例えばですね、僕より二つ年下の男がいまして、そいつが45歳になったら今の仕事を辞めて、インカ帝国の財宝を探しにいくんだと真剣に考えている、そんな男がいます。
そうかと思うと、”俺はこの日本には合わない”と言って、日本を出て行ったきり、今現在はシンガポールで、港の建設をやっている男もいます。
そうかと思うと、だいぶ前になるんですけど、メキシコへ移民しちゃいまして、偉く出世して、現在はその街で市長さんをやってる奴がいます。
そういう連中を僕はみていると”今に見ていろ僕だって”っていう気になるんですけど・・・。
なにしろ四人も子供が出来ちゃったもんですから、それ考えるとちょっと・・・。
長男5歳、続いて3歳、2歳、1歳とこの三年間連続してかみさん、腹が空っぽになったことがないんです。
だから住民票書くときなんか大変なんですね!
最初は女房と二人きりだったんですけど、一人増え
(会場からがんばれよ!)
頑張ります!二人増え、三人増えって段々増えて今、六人なんです。
それを見ますとね、なんとなく不思議な気持ちになるんですよ。今までは全然存在してなかったのが、ギャーギャー存在してるわけです。
”えらく増えちゃったなあ!どうしてこんなに増えちゃったんだろう。”そういったことを考えますと、”俺は日本に合わない”なんて格好いいこと言って、日本を出て行くと、そんなこと言えないです。
ですから、その夢のフィジーへも結局、夢の中でしか、あるいは歌の中でしか行けないんです。

「フィジーにおいで」「お嫁においで」

この「お嫁においで」を作曲した頃というのは、今から12,3年くらい前になるんですけど。
その頃から僕は結婚して、家庭を持って、そして子供達を育てるというのが夢だったんです。
そういった意味では今、その夢が実現しつつあるわけですけど、これからも色々な夢を一つ一つ実現していきたいと思ってます。
しかし、子供が四人もできますと、思わぬ出来事があったりもします。ちなみに僕は今、テレビで刑事の役をやっているんです。これはご存知のようにフィクションですから、ピストルを撃つシーンがあったりするんですけど。
犯人が撃たれて、倒れるのを見ていた長男が
「お父様、死んじゃったの?」
「そうじゃないんだ、あれは物語で、死んだふりをしてるんだ」
「フーン、”うそこ”で死んだふりしてるの?」
「そうなんだ、”うそこ”で死んでるんだ」
「それじゃあ、バッタリ倒れたのも、あれは?」
「あれも、”うそこ”でひっくり返ってるんだ」
「フーン、じゃあピストルは?」
「あれも、”うそこ”のピストルだ」
「”うそこ”のピストルか、テレビっていうのは嘘が多いんだねえ!」
はからずも、テレビ批評が始まってしまいました。

あるとき、女房が忙しくて、くたびれたときがあって、幼稚園が休みだったので、ロケに長男と次男を連れて行ったことがありまして
「とにかく大人しく見てなさい」と言いきかせて。
おりしも撮影の内容が、クライマックスシーンでありまして、本番になって砂煙を上げて、扉を開けて外に出たとたんにバーンと撃ったら、
「おとうさま〜!」大向こうから声がかかりまして、それから先、全然進めなくなりまして、はからずもNGでございまして、もう一回やり直し。
「だめじゃないか。大人しく見てて、くんなきゃあ!もうすぐ終わるから待っててくれよ」
「はい」
それからは大人しくしていて、無事完了しまして、監督が「カット!」みんなが一斉に「お疲れ様でした!」
ダッダッダと走ってきて、
「いいねえ、おとうさま!」全員がまたズッコケちゃいまして。
それ以来、僕はロケに連れて行かないことにしたんです。

もう一つ、四人の子供の父親の役のドラマをやったんですけど、これを見てた長男が
「お父様、向こうでもお父様はお父様なの?向こうでも四人の子供がいるの?お父様は随分子供が沢山いるんだねえ」
なんかもう一軒、別宅があるような気がして、変な気分になったりしましたが。
それでも彼らが大きくなりまして、父親の職業を理解してくれるときがくると思いますが、わかってくればくるほど、逆に公私共に見守られているわけですから、彼らのためにも頑張らなければという気持ちになるわけです。

思えば、ぼくの育った茅ヶ崎というところに、加山雄三なる通称の通りがあるんです。小さい頃よく遊んだ通りです。

「加山雄三通り」「僕の妹に」「君にありがとう」「母よ」

母、妹そして妻、僕が生まれてから出会った三人の女性です。
息子として、兄として、そして夫として誰よりも愛してる人たちです。
臆面も無く付け加えさしていただきますと、父親として、四人の子供たちもつけくわえさせていただきます。

ぼくにはぼくなりの生き方があり、人生があります。それと同じように幼い彼らにも、あるいは彼女達にも、夫々の人生があると思います。そして夫々の歌があると思います。
人生は歌のためにあるのではなく、人生があってそれから歌があるのだと思います。
というような意味の詩を、僕の大変尊敬している永六輔さんが作詞してくださいました。今日のこの番組のために、作詞してくださったんです。
その詩の内容に、ふさわしい曲ができたかはわかりませんけども、ぼくはぼくなりに精一杯一生懸命作ってみました。

永六輔作詞、弾厚作作曲「歌だけでは生きられない」

「歌だけでは生きられない」

♪男がいて、女がいて歌がある。
 巡りあって別れがあって歌がある。
 愛があって、命があって歌がある。
 人生には歌がある。
 でも歌だけでは僕らは生きていけはしない。

 あなたがいて僕がいて歌がある。
 愛し合って、傷付け合って歌がある。
 思い出があり、涙がありって歌がある。
 人生には歌がある。
 でも歌だけでは僕らは生きて行けはしない。♪

たかが歌です、どんなに心を込めて歌っても、この素晴らしい人生のすべてを唄い尽くすことはできません。
それでもなお、唄いたくなるのは、その心に燃え滾るものがあるからです。
命こそ歌、愛こそ歌、そう言いきれる歌を歌いたいからなんです。

 


 
男がいる、女がいる歌がある。
 誰にでもあなたの歌がある。
 
誰にでも一人ずつ歌がある。
 人生には歌がある。
 
今、ぼくだけの歌を
 心を込めて唄おう。

 男がいる、女がいる歌がある。
 誰にでもあなたの歌がある。
 
誰にでも一人ずつ歌がある。
 人生には歌がある。
 
今、ぼくだけの歌を
 心を込めて唄おう。♪

「君といつまでも」

「マイ・ソング」

♪人は一人でこの世に生まれ
 一人でこの世を去るけれど
 あなたとわたしは
 
こうしてし出会えた。

 明日もどこかで誰かのために
 わたしはこうして歌うだろ
 今日までみてきた
 変わらぬ夢を♪

 

加山雄三、我が家に二男二女あり、父親としての夢を、俳優としての夢を、そして一人の男としての夢を、一つ一つ実現していくために、よりよく生きていきたいと思います。

よりよく生きるためには、悩み苦しんでいる誰かとともに、人生を、喜びを唄えたら、それだけでぼくは幸せです。
またお会いしましょう!
どうもありがとうございました。

♪ 明日もどこかで誰かのために
 わたしはこうして歌うだろ
 今日までみてきた変わらぬ夢を♪

 終わり

08年07月03日新設