2009年 1月6日 NHK教育TV 「ETV50」
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加山さんは1960年代の代表としてゲスト出演されました。
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エレキの若大将のバンド演奏シーン(「夜空の星」を唄う雄一)が映し出され 60年代の気分を象徴したのが若大将。 |
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ちょうど1960年に俺、デビューしたんで。結構忙しかった。 遊ぶことで。 太田)遊ぶことで!? 田中)仕事で忙しかったんでしょう。 まあ、それもあるんですけど。 高度成長期という言葉は、受けとるだけで、よくわかんなかった。 太田)加山さんはず〜っとこのスタンスを守られてる感じがしますもんね。おれよくわからねえって。 |
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頭は悪いっていうか、本当にKYなんですよ。 太田、矢口、田中)オウオ〜!? Kayama Yuzoですから。 田中)正にKY! まるっきり、だめなんですよね。 太田)明るさというか、若大将が持っている。 |
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田中)1960年代というのは、どんどん成長していった時代ですけど、その成長の過程の中で、加山さんは不安だったりしたことはあったんですか? 年中不安! 上原謙ていう昔、有名な俳優がいたんだよ。それの倅なもんで、それを利用して東宝へ入ったんだ。 東宝さんがえらい宣伝をして、加賀百万石の加、富士山の山、英雄の雄、小林一三の三って宣伝したんだ。これは大変なことだなあと。 |
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”若大将”っていう映画をつくったら、物凄い人気が出ちゃった。実力もなにも無いわけですよ。 竿の先に乗っけられて、いつか倒れるかもしれませんよって。 そっと置かれて、上でこんなになってるような、そういう不安ていうのがつきまとってた。 我々の時代というのは、それを脚色するというか、作られてる、若大将というのは30年くらい先の理想的な青年を、藤本真澄というプロデューサーが考えた。 それを映画の中で、思い切り自由にやって。 だから学校だって、あんなに楽しいもんじゃないわけですし、成績だっていいわけない。 俺なんかはどん底のほうで、やっと卒業した。 そういう意味で、作られたものの中で、映画を通してスターというものを作っていくんだ、というものを引きずってきたからね、うちのオヤジの時代から。それの中間地点にいたんだと思う。 |
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糸井)若大将というのは現実にはいないというのを、現実にいる風に思わせたのはキムタク(木村拓哉)だね。 太田)私生活でさえ、若大将チックというか。 俺なんかは、イチローが若大将だと思うね。 完璧に、世界の若大将! 我々の時代には、現実にはああいう人はいなかった。 だから演じてて、それが受けたわけなんだけど。今はもう、実際にいるんだよ。いろんなジャンルで。 それを、我々は楽しめるということは、凄いいい時代になった。 田中)それを言える加山さんが凄い! 太田)やっぱり加山さんは若大将を超えてました。 それはな、やっぱり孫が二人できたから。 ”爺大将”になっちゃったから。 太田)”爺大将!” それだけのことだよ。 太田)それだけのこと!? 糸井)若大将やってるときから、ちょっとこれ嘘なんだけどなあっていうサインを出していた気さえするなあ。 田中)そういう意識ってありましたか? あった、あった。こんな馬鹿な!こんなにもてるワケねえだろう! やりゃあ、必ず勝てるワケねえだろう!って。 |
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エレキの若大将、日比谷公園での澄ちゃんとのシーン
私、焼きもちやいたの。 |
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このシーンは、パチンコのCMに使われてますね。 | ||||||||
僕は教育テレビは好きだね。 太田)そうですか。 好きなんですよ。難しいことをやればやるほど、これはなんなんだ、って興味を持つほうなんです。 だから亡くなられた竹内均先生の科学の番組なんかも毎週見てました。大陸移動説?大陸が動いていたのかって。 宇宙の果てはどうなってるのか、わかんないことは興味をもつねえ、どういうワケか。 太田)”一億総白痴化”っていうことについては? |
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09年01月15日新設
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