加山雄三50年の軌跡
 〜家族のきずな・音楽のきずな〜

   (8月17日 NHKBS2)その2

加山さんの芸能生活50年の年に、NHKが特集番組を制作してくれました。「古希」の時の「永遠の若大将」とは一味違った、素晴らしい番組です。その中から、加山さんと、奥さんのめぐみさんのインタビューを中心にレポートしました。
ただ、残念なことに、いくつかの誤りがありました。その部分も指摘しました。皆さんはどう思われるでしょうか。
加山家の肖像
昭和47年に長男が生まれて、そして次男が生まれたときから、主人の運勢が上向きになってって、またあの人は、お仕事も上手く行くようになって、そしてどんどん順調になりはじめて、借金もどんどん返せるようになっていったんですね。

(お子さんの存在というのが大きかったんですね)

そうですね。私、四人も子供生むとは思ってなかったんですけどね。主人の協力がなければ子供生めなかったです。ほんとにね、協力してくれましたから。主人の協力があってこそ、私は四人を育てられたと思ってます。

男、男、女、女という順序で四人授かっって、その間にもね、四人も流産してるんですよ。今考えると、無謀としか言いようがないなって。先生にね、怒られた、怒られた。

先生にね、怒られた、怒られた。 主人の協力があってこそ、私は四人を育てられたと思ってます。
CM
これは、加山家全員で出演した、貴重なコマーシャル映像です。加山雄三さんの一家は、理想的な日本の家族の象徴でした。
加山家の肖像。 加山家総出演のCM。

長男、池端信宏さんです。新潟県の長岡大花火大会の演出を始め、作曲家、映像作家など、マルチクリエイターとして幅広い活動をしています。

信宏)すごくけじめをしっかりするという育て方で、父もすごく真面目に、結構、児童心理学的なことに興味があったのかなあと思うくらい、すごく真面目に育ててくれたのかなあというところはありますね。

(同じプロとして作曲家「弾厚作」とは?)

信宏)500曲つくるというのは、ほんと凄いなあと思いますし、自分なんかも沢山作品を作ってから、あーだこーだ言うべきだと思いますね。まずは、沢山作ることを優先すべきだと思いますね。

次男の山下徹大さんは、父と同じように、俳優として活躍しています。

徹大)他の家族になったことがないので、比べようがないんですけど、確かに仲は良いなと思うんですよね。それはやっぱり、オヤジとお袋のお陰なのかなという気はするんですよね。子供の頃から、オヤジは飲み歩いたりとかする人じゃなかったんで、家庭を持ってから、すごい家庭を大事にする人だったので、仕事がないときは、常に家に居て、僕らの遊び相手をしてくれたし、その想い出が自分の中にすごく残っているので、その良さというか、その感じが強く自分の中で強く残っています。
夫婦なんで当然喧嘩もするしいろいろあったんですけど、なるべく俺達の前で喧嘩をするということはしてなかったと思います。子供の頃、見た記憶がないんです。

(俳優加山雄三について)

徹大)そうですねえ、かっこういいですよ、やっぱり。若大将にみんなが憧れる気持ちというのもわかるし、演技力にかんしては、コメントは控えておきますけど、ただ、黒澤明さんの映画に出た「椿三十郎」と「赤ひげ」があるじゃないですか。

「赤ひげ」観たときには、ちょっと衝撃受けましたね。オヤジって、こんな繊細な芝居をするんだという、それがオヤジが凄いのか、黒澤明さんが凄いのか、わからないですけど。でもそれで、オヤジが俳優を続けようという決断をしたのが、わからなくないなあというくらい俳優加山雄三というのは、すごいなとあの作品で感じました。

長女の真悠子さんは、料理好きな加山さんの影響を受け、プロの料理研究家になりました。

幼い頃から、父と二人で料理を楽しんでいたといいます。

真悠子)学校から帰ってきて、父が仕事から帰ってくる間に何か作っては「今日、こんなケーキ作ったの」って食べてもらったり、そんなことしてたかなあ。

そうそう。最初の内は女の子はケーキをつくるんだよね。

真悠子)もう、朝から今日の夜は何を作ろうって、段取りをきめて、お前は何を買って来いとか、下ごしらえをしておけっていう感じで、準備をして、私は手伝いに徹します。
時々、家族で外食に連れてってもらったときに、それを必ず家に帰ってくると、父が
再現して作るんですね。その味を覚えさせてもらったんです。
えみ)思い出、沢山あるんですけど、良く遊んでくれたんですよね。あとはちょっと怖かったですよね。何か悪いことしたりとか、姉と年が近かったんで、結構喧嘩したので、大体母が喧嘩止めなさいって言うんですけど、余にもひどいときには、父が登場するんですね、それは怖かったです。
立たされて、一時間以上お説教で、最後には二階にある、神棚の前で土下座して「ごめんなさい」って、もうワンワン泣きながら。

(でんでんのなぜ?)
 えみさんだけ、プロフィールの紹介がありませんでした。
ニューヨークでお芝居に出ていらっしゃるし、NHKでも活躍されているのに、なぜ?

愛する妻と四人の子供、加山さんは一人ひとりのために、愛情を込めて曲を作っています。

長男信宏さんのために作った曲、「冒険者たち」です。

「冒険者たち」
 VTR
(1986年 NHK「加山雄三ショー」より)
バラードナンバー、「愛する時は今」次男、徹大さんのために作った曲です。。
「愛する時は今」
 VTR
(2002年 NHK「ACOUSTIC SAILING
 加山雄三2002 光進丸」より)
長女、真悠子さんのために作曲した弦楽合奏曲。
「弦楽合奏のためのロンド「真悠子」」
 DVD
(「加山雄三with大友直人
 シンフォンニック・ガラコンサート」より
次女のえみさんには、ピアノコンチェルトを作りました。
「ピアノコンチェルト第3楽章」
 DVD
(「加山雄三with大友直人
 シンフォンニック・ガラコンサート」より

(でんでんのなぜ?)
 画面では、「真悠子」を指揮する、加山さんがスローで映し出されました。映像がなかったからだと思いますが、違和感を感じました。「ピアノコンチェルト」を演奏している映像はあるはずですから、手抜きに思えてなりませんでした。

そして、結婚35周年のとき、妻めぐみさんに贈った大切な曲
「LIFE」。

「ハーモニー」
 スタジオにて
(withハイパーランチャーズ)

(でんでんのなぜ?)
 そして、事件が起きてしまいました。加山さんが、結婚40年を記念して、めぐみさんのために、作曲した新曲「ハーモニー」が、なんと「結婚35周年のとき、妻めぐみさんに贈った大切な曲、「LIFE」と説明されてしまいました。
「LIFE」は、私も大好きな曲で、素晴らしい楽曲ですが、10年以上も前に作られた曲です。なぜ、結婚35周年というフレーズが出てきたのでしょうか?
この番組のコンセプトの「家族のきずな=夫婦のきずな」を表すのにピッタリの楽曲のタイトルを間違うなんて、考えられません。私は、NHKに抗議のメールを打ちました。加山さんも、「飛鳥U」のコンサートで、このことに触れられ、「大憤慨して、抗議した」とおっしゃられたそうです。当然だと思います。

「LIFE」のテロップ。 「ハーモニー」を歌う
加山さん。

めぐみさんの思い出に残る2008年のタヒチ旅行、それは38年越に果たされた約束でした。

2年前に、タヒチに私を連れてってくれたんですよ。それは結婚したばっかりのときに、タイムショックという番組で5週連続で、勝ち抜いてチャンピオンになって、持ってたんです。ところがプレゼントのタヒチ旅行をいただかないで、私達結婚したあとに、主人がそれがあるということは言ってました。私は単純ですから、そんな時期だっていうのにタヒチに行きたい、行きたいって言ったんですけど、主人は到底行く気になんかなれないですよねえ。で、言葉濁して、結局、そのタヒチ旅行は、現金に換えていただいて生活費になったんです。それを、私、そんなことは全然忘れてましたし、そうよねって思ってました。
本当は、主人は(結婚)40周年に行きたかったということを
言ってましたけど、海に潜ったりする経験を、私にさせたかったと思うんですよね、ところが、私達は一年一年、年を取りますので2年先のことって、潜れるかどうかわからない、少しでも元気なうちに、それと自分の(芸能生活)50周年とぶつかりますので、休みが取れないんじゃないかということも考えて、38年の年の9月4日に結婚記念日を迎えました。
凄い感激したことは、忘れてなかったんですね。もう、素敵な夜でした。

2008年二人だけの
タヒチ旅行。
忘れてなかったんですね。もう、素敵な夜でした。

武道館コンサートの風景

6月4日日本武道館、デビュー50年を迎えた加山さんを祝福するため、この日、沢山のファンと沢山の音楽仲間が集まりました。

南こうせつさんのインタビュー
「座・ロンリーハーツ親父バンド」
 VTR
(WOWOW 若大将50年!より フルバージョン)
さだまさしさんのインタビュー
めぐみさんにとって、一番思い出深い曲は?

花嫁が支度をする部屋と、花婿が待ってるところがそこの教会は一つぐらいしかなかったんでしょうね。チャーチの方で結婚式の準備、隣がチャペルだったんです。花婿はチャペルで待たされていたんです。そのチャペルにあった、オルガンでこの曲を作曲したんです。「セプテンバー・フォース」は、あのときの私達そのまんまですね。

9月4日、結婚式当日に生まれた歌、「September 4th」。

「September 4th」
 スタジオ
(結婚式の写真をバックに歌う加山さん)

直亮さん、50年間良く頑張ってきてくれました。ありがとうございます。いつもほんとに元気で、病気しらずで、周りは振り回されてヨレヨレになってますけれども、家の中で一番元気なんじゃないですか。でもそれってね、ほんとにありがたいことだと思ってます。いつまでも、いつまでも、どうか元気で、頑張りましょ。

大勢の友だちとか、音楽仲間、スタッフ、ミュージッシャン、そういう人たちに支えられて生きてきました。もちろん家族にも支えられてきました。何よりも音楽を愛しているんですね。
というか大好きなんですよ。

「君といつまでも」
 スタジオ
(with ハイパーランチャーズ)

この歌があったから、僕は50年間歌ってこれました。でも、それよりも、大勢の皆さんに支えられて歌い続けることができたなあと、ほんとに心から厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。

(孫達と)散歩するお二人。

終わり

10年09月02日新設