ASUKA CRUISE 20th 

  (海事プレス社 発行)

「海事プレス社」から、10月28日に発行された
「ASUKA CRUISE 20th」(1,200円)という雑誌に、加山さんのインタビューが4ページに渡り、掲載されています。今回は、記事をご紹介いたします。
”camel娘”さんから、情報をいただきました。
ありがとうございました。
名誉船長は神様からのプレゼント

 追い続けていれば夢は必ずかなう

4度目となる名誉船長
 自由と景色が最大の魅力

司会)芸能生活50周年という節目の年に、「飛鳥U」の名誉船長就任、
おめでとうございます。

ありがとうございます。初代「飛鳥」のときに名誉船長を、3度経験させていただいているのですが、飛鳥Uは乗船するのも今回が初めてなので、うれしさもひとしおです。

司会)初めて乗った飛鳥Uの感想は

やっぱり5万トンクラスともなると大きいなあというのが第一印象ですね。これまでいろんな客船に乗ってきましたが、これだけ大きくなると迫力が違いますね。また、内装もリニューアルしたと聞いていましたが、一見して高価だと分かる建材をふんだんに使用していて、まさに最高級客船と呼ぶにふさわしい船だなと思いました。

名誉船長は初代「飛鳥」から数えて4度目となる加山氏。
自身の船「光進丸」の母港である西伊豆・安良里をバックに
 それからブリッジが初代より広くなっていて快適ですね。操舵性もよりレスポンスがよくなっているというか、舵を少し動かしただけですぐにそちらの方へ向きが変わる。全部電子制御システムなのでしょうが、非常にスムースで操船しやすそうですね。

司会)乗客としてのクルーズの魅力は

なんといっても「自由」ですよ。クルーズ中は、自分の時間を本当に自由に使えますよね。必要に迫られてやらなければならないことは何一つありません。一方でショーやカジノ、映画館、プールもある。スポーツだってできるので、目いっぱいエンジョイしたいと思えばいくらでもできます。
 また、普段見られないような景色に出合えるのも大きな魅力ですね。
毎日のように景色が変わって
いくわけですから、飽きることがありません。
特に地中海、エーゲ海、カリブ海は景色と海象条件が
いいので大好きな海域です。国内では、瀬戸内海。景色が刻々と変わるし、ほとんど揺れないので快適ですね。以前、初代飛鳥で、瀬戸内海を通って香港や上海の方まで行くクルーズの名誉船長を、務めたことがあるのですが、この航路はお勧めですね。

司会)飛鳥の名誉船長就任で印象に残っているエピソードは。

今回も含めてですが、ありがたいことに僕が過去に名誉船長として乗船したクルーズはすべて満室なんです。
毎回催される僕のコンサートは、お客様にとても盛り上がっていただけるし、今回の
絵画教室も大好評でした。
 エンターテイナーとしてだけでなく、実際に船長の仕事もするのですが、今回こんなことがありました。東京湾を出たとき、船が少しローリング(横揺れ)したんです。お客様から
「揺れない
部屋はないんですか?」と聞かれたので、「今はローリングしていますが、これから私がブリッジへ行って本当の船長に進路の変更を進言します。だから揺れが収まったら僕のおかげだと思ってください」
と答えました(笑)。

開始直後から立ち上がる観客もいるほど大盛況だったコンサート。

 その後ブリッジへ行って、浅井船長に「南南西約236度に進路を転進できますか?」と聞くと「大丈夫」との答えだったので転進しました。するとローリングがぴたっと止まったんです。
だからそのお客様も、ちゃんと加山が揺れないようにしてくれたんだなと思っていただけたんじゃないかなと(笑)

子供のころからの夢がかなったような気分

司会)名誉船長に任命されるというのはどんなお気持ちですか。

何度なってもうれしいものですよ。中学生のころから船乗りになりたかったので、夢がかなったような気分です。でも本当に船乗りになっていれば今ごろはとっくに引退している年齢。
「名誉」は付いて
いるものの、73歳で飛鳥Uという国内最大の客船の船長に任命されたことは、神様から与えられた芸能生活50周年の大きなプレゼントだと思っています。

司会)特に浮き沈みが激しく、生き残るのが困難だといわれる芸能界で50年も第一線で活躍してこられたのは、本当にすごいことだと思います。

本当に、50年もよく続けてこられたなあと思います。ひとえに支えていただいたファの皆さんのおかげです。一人でいくら頑張ってもできませんからね。今回(加山雄三記念クルーズ)も、乗船していただいたお客様にたくさん声援をいただきました。本当にありがたいことです。

人間の体は「肉体船」 船長はその人の「魂」

司会)よく人生は航海に例えられますが、加山さんいとってこれまでの人生はどんな航海でしたか。

僕は人間の体を「肉体船」と呼んでいます。船長は、その人の「魂」です。
人は、その肉体船を授かった
以上、船の安全を考えつつ、平穏無事な航海をしていくために努力しなければなりません。しかし、どんな人生でも必ず嵐は来ます。大しけに見舞われることもあります。もちろん僕自身の人生も同じ。
30代半ばが一番苦しかった。これでもかと押し寄せてくる大波。
一難去って、また一難。破産宣告や「若大将シリーズ」の終了など、悪いことは、なぜか重なるもんですよね。
 嵐を乗り越えるためには、まず絶対に逃げないで立ち向かうこと。肉体的なものだけじゃなく、工夫や努力や我慢など、精神的なものもすごく重要です。僕も人生の嵐に逃げずに正面から立ち向いました。戦うことを放棄したら、そこで人生は終わりですからね。どんなにつらくても、苦しくても、転覆しそうでも、逃げない。借金の返済を迫る債権者に土下座して、頭を床にこすり付けて謝っても、相手に
「そんなことで許してもらえるなんて思うなよ。とにかく金を持って来い!」と罵声を浴びせ
られたこともあります。
それでも、ひたすら歯を食いしばって耐え、頑張りました。
そうしていたら、協力してくれる人のおかげもあり、だんだん仕事も波に乗ってきて、23億円の負債を10年かけて
全額返済できたんです。

人生と航海は同じ すべて海から学んだ

これらは、すべて海から学んだことなんです。生まれたときから身近に海があって、海辺で遊びながら育ち、中学生になると初めて人が乗れる船を、高校生でエンジン付きのボートを自分で造りました。大人になってからは「光進丸」という船を造り、船長として世界の海へ出かけています。
 そんな中、本当の大しけにあったこともあります。鳥島近海を航行中に6つほど数珠つなぎになった低気圧に遭遇したときは大変でした。7〜8メートルの大波が立て続けに襲ってきて、それを横から食らうたびに、船が転覆してしまうんじゃないかと思うほど大揺れに揺れました。仲間が16人ほど乗っていたので、船長としてそれだけの命を預かっていることがかなりの重圧で。しかも自分で設計した船ですから、転覆でもしようものなら、と思うと恐怖と緊張で足が震えました。
 しかし、転覆するかと思うほどの荒波を、どすーんと食らっても決してあきらめず、「絶対に乗り切ってみせる」と歯を食いしばり、極力まともに波を浴びないように、微妙な舵さばきで船体を少し斜めにするなど必死に工夫しました。そうやって、なんとか過ぎ去ってくれと祈りながら操船しているうちに、だんだんと風も波も弱まり、小笠原近海まで来たときには、ようやく凪いできたんです。本当にほっとしましたね。お風呂に入り、ピアノを弾いて仲間と歌いながら無事を喜び合うひとときが、なんとも言えないほどうれしかった。
 その時、ああ、人生も全く同じだなと思ったんです。嵐が過ぎれば必ず凪がくる。それを信じることと、乗り越えるためには、嵐の時こそみんなで一致団結して協力することが必要だと。実際の航海で大しけにあって初めて、その恐ろしさや乗り越えるための知恵や技術を身につけることができる。
本当に人生と
同じですよね。

念ずれば花開く 夢を持ちよい航海を

司会)この本の読者や飛鳥Uの乗客は、加山さんと同世代の方も多いと思います。メッセージをお願いします。

「念ずれば花開く」
「荷が重いのではない、自分の力が足りないのだ」
「享楽からは失うことは多く、
苦しみから得ることは多い」。
これら3つの言葉が大好きで、困難を乗り越えるためのよすがとして
います。
 また、これは僕が考えた言葉ですが、
「人は鏡である。その中に映る自分の姿を見て、自分の存在
理由と存在価値を知りなさい」友達や愛する人を大切にすること、それが生きている自分を見つめる、とても大事な鏡となる。よき伴侶はよき鏡、まっすぐな鏡と思っていただきたいですね。僕の場合も自分の家内を鏡だと思って、夫婦生活40年頑張ってきましたからね(笑)。

”I am the captain,but my wife's the admiral.”
(私は船長だが妻は提督である)ですから
(笑)。

 それから、これまでの自分の人生を振り返っても、夢や望みを持ち続けると、そのとおりになっていくのだと思います。ですから皆さんも人生まだまだこれからなので、ぜひ夢を持っていただきたい。僕も燃料なしで進むエコシップを造るという大きな夢を持っていて、設計図までは描けています。
 僕たちはそれぞれの航路は違えど、人生という航海を続ける同じ仲間です。最終的に錨を下すとき、いい航海だったと思えるようにこの先も共に頑張っていきましょう。

エコシップの建造。 現役で走り続ける 

写真上:乗船セレモニー、左が浅井船長。

写真右:インタビュー中の加山さん。

10年11月25日新設