「かがやきビト」

 (9月1日 日本TV「ズームイン!!SUPER」)

日本TV「ズームイン!!SUPER」の「かがやきビト」というコーナーで、「50年を語る」という加山さんのインタビューが放送されました。加山さんの50年を語るには、5分間の番組では短すぎましたが、元気な加山さんのお顔を見ることができました。
今日の「かがやきビト」は、24時間TVで「サライ」を熱唱した
この方です。
僕のかがやきの素はこの海です。
いいね!やっぱり海はいいよ!

海をこよなく愛する若大将、今年デビュー50周年を迎えた加山雄三さんです。

数々の伝説を残す、加山さんが自由奔放な人生を告白。さらに桑田圭祐さんとの衝撃エピソードが飛び出しました。

静岡県堂ヶ島にある加山雄三ミュージアムの加山さんのアトリエでお話を伺いました。

デビュー50周年、おめでとうございます。

50年間と言うと長いようだなあと思うけども、あっという間にも感じられる、不思議だなあという感じがしますよ。

デビューしたきっかけというのはなんだったんですか?

オヤジがこの商売をやってたというのも、大きな理由ではあるんですが、不純な動機ですけども、船自分でつくれたらいいなあとかね。。

1937年、あの名優、上原謙さんが父と言う俳優一家に生まれた加山さん。神奈川県茅ヶ崎市で育ちました。

船を作る目標を掲げ、1960年東宝に入社、翌年に「若大将シリーズ」がスタートし、一気に銀幕スターにのし上がります。

今のアイドルとおんなじようなところありますよ。「キャー!」と言われてたよ。あんまり自分として、真剣に取り組んでいけないんだよなあ。入ってしばらくの間だってえのは、やめようかなあって思ってたからね。

芸能界に魅力を感じてなかった加山さんに、人生の転機が訪れます。

大きくターニングポイントになったのは、黒澤明監督との出会いなんですね。ここまで心理を読むのか、表現できるのか。もの凄い衝撃と言うか、こういう人が世の中にいるんだ。すごいなあ。

黒澤作品で心に残っていることってありますか?

本番で寝ちゃったんですよ、ハッと気がついたら、シーンとしてんだよ。すごい勢いで怒鳴られると覚悟してたら、後ろに来たとおもったら、「加山、眠いのか?」っていうから、「はい、眠いです」って行ったら、「加山のために30分休憩!おもて行って寝てこい!」
外へ行って、寝ようと思ったけど、寝られないんだ。

インタビュー中に突然、あの名曲を演奏してくれました。

「夜空の星」の原曲バージョンをピアノで弾く加山さん。

これが後でエレキになって「夜空の星」になったの。

音楽はほんとに愛してるからね。ありとあらゆるものが好きだもの、幸田くみ大好きだし。
桑田君なんか、当然のようにメッチャ好きだけどね、彼は茅ヶ崎の後輩じゃん、世界に誇れるアーティストだと俺思ってるし。

そんな桑田さんとの貴重な写真がミュージアムにありました。

彼も俺のすごいファンだっていうし、こんなちっちゃいころから、俺を知ってるらしいんだ。
パシフィックパーク茅ヶ崎っていう潰れたホテルがあった。そこで俺達ランチャーズが演奏してるとき、お客さんの中にお母さんがいたらしいんだよ。休んでいるときに、はーいって手を振ったときに、桑田君に行きなさいっていって、トコトコトコトコ出てきて、俺が抱き上げたんだって、俺知らない覚えてないんだけどさ、お母さんが行ってた。本人にきいたら、僕も覚えてないです。

1966年には来日したビートルズと会食。

会ってもしょうがねえかなって思ったんだけど。俺はエルビス・プレスリー派だからさ。俺、お婆ちゃん子だから、おばあちゃんのところへ行って「ビートルズって知ってる?」ってきいたら「知ってるよ、あのおかっぱ頭の四人の男だろ!」「さおうだよ、良く知ってるなあ」って。会いたいかって言われたんだけど、どうしようかと思ってさ」「馬鹿だね!あんた会いな!将来役に立つよ!会いに行ったらホテルの10階占領しててさ、一人ひとり握手したけど、ポールがいろいろ喋ってくれて嬉しかったね。

自由さと奔放さで50年を歩んできた加山さん。これからの目標は?

化石燃料を一切使わないエコシップを作りたい。これが叶ったら、俺の夢が叶うってことになるかもしれないね。

まだまだ夢を持ってらっしゃる加山さんなんですけど、ほんとに50年、いろんな偉業を成し遂げられてるんですよね。

日本武道館で初めて日本人単独公演をしたのも、加山さんで、先日50周年の記念の公演を武道館でなさったんですけど、最年長での武道館単独公演を加山さんが達成されたということなんです。

終わり。

10年09月02日新設