レディース4 トークテーマ
「やっぱりエレキでしょ!」
大島)最後のキーワードに、まいりましょう、「やっぱりエレキでしょ!」、まあ、エレキとのお付き合いは、長いと思いますが。
一番最初にエレキを触ったのは何歳ぐらいですか?

はっきり覚えていないんですが、高校3年生ぐらいだと思うんですよ。ギターには高校一年に出会ってますから、それから2年後ぐらいだと思うんだな。
カントリーにはソロがある、ソロにはエレキだ。
箱型のエレキから始まってるんです。

大島)当時って、ギターを持つこと自体。世間的には不良だといわれてたんですよね。

エレキが不良だと言われていたということは、ぼく知らなかったことですけどね。

大島)加山さんだからなんでしょうかね?

田舎だったから、いろんな人に出会うチャンスがない場所に居たから。自分達の範囲では、みんなエレキが、音楽が好きっていう人たちばっかだった。アメリカン・スク−ルの連中が多かったりとか。
だから、なんにも知らない。

大島)今でも、ケネディハウスのライブで、鍛錬される努力をしていらっしゃるし。

トレモロが上手いから、だんだんト歳行くと、止まらなくなるんじゃないかと、ずっとパイプラインやってたりして。

大島)エレキというとこちらでございますね、「エレキの若大将」。

「エレキの若大将」の映像が流れます。

大島)「エレキの若大将」の映画を作るにあたっては、加山さんがエレキをやってるとか、ギターを弾けるとか、そういうことが結構大きいですよね。

そうですねえ、この曲、ぼく14歳のときに作った曲ですよ。
今から59年前か?それも考えたらちょっとビックリするけど。

だから、なんにも知らない。

もともとは、ピアノの小曲としてつくって練習曲みたいなのを、サビをかえようや、っていう注文があってサビを変えて出したら、エレキのアレンジになっっちゃって、仰天したというのは最初の印象ですよ。

大島)ピアノというよりは、ジャカジャカの方がピッタリですもんね。

面白いなあと思いますよねえ。

今泉)加山さんて、シンガーソングライターの先駆けのような。

でも一番最初は、森繁久弥さんです。昭和35年ですから、あの「知床旅情」が出たのは。僕は昭和36年ですから。

10年12月23日新設