「近田の特ダネの続き」 | |||
近田)さあ、加山さんは昭和12年横浜生まれ、妹さんとの二人兄弟でした。ご両親は皆さんもご存知ですね、まず、お父様が昭和の銀幕スター、上原謙さん、天下の二枚目スターとも謳われました。そしてお母様は元女優の小桜葉子さん、本名、具子さん、具子さん実は岩倉具視のひ孫でいらっしゃるんですね。 ということはつまり、加山さんもこのお札の岩倉さんの玄孫にあたるわけですね。 |
![]() |
||||
海には縁があったのかもしれないね、・・・。 | |||||
加山さん1歳9ヶ月の時に、横浜から茅ヶ崎に引っ越されます。その当時のお写真ですが、まあ、白いベンチが似合いますね。 この頃から海には縁があったのかもしれないね、セーラー服着てんじゃない。 住吉)マリンルックですね。 近田)茅ヶ崎といいますと、夏、海、加山さんのイメージが強いんですが、実は冬は冬で大活躍だったんです。 一応、参加しただけですけど。 近田)結果はどうだったんですか?私 |
|||||
![]() |
もう聞かないでもらいたいんですけど、75位です。転倒しましてね、2年連続出てますからスキー年鑑にちゃんと出てますので。 住吉)へ〜え! 近田)こちらお母様とのお写真ですね。 住吉)これもファッション雑誌のような、親子でカッコ良いですね。 |
||||
スキー年鑑にちゃんと出てますので。 | |||||
近田)お母様もお若いですもんね。大学卒業して、23歳の時に、こちらの映画でデビューされます、「男対男」です。あの上原謙の息子ということで、世間から大きな注目を集めました。当時のキャッチフレーズがこちらです!「1960年代をばく進する男」ということで覚えていらっしゃいます? いやぁ、覚えていないです。 近田)でも、それだけ大きな注目を集めていらっしゃったんですね。 東宝が一生懸命応援してくれたんだと思いますよ。 近田)そして翌年には、あの「若大将シリーズ」も始まります。その6作目にあたるのがこちらの作品です。65年、「エレキの若大将」。この作品で、加山さんは主題歌、挿入歌を歌われました。それがこの下、「君といつまでも」そして「夜空の星」です。加山さん、学生時代からバンドでボーカルをされていたり、中学の頃はピアノもされていました。 |
|||||
![]() |
![]() |
||||
いやぁ、覚えていないです。 |
一生懸命応援してくれたんだと思いますよ。 |
||||
実は、14歳の時にね、ピアノの練習曲みたいな小曲として作ったのが、カップリングの曲がなかったんで、「これはどうですか?」って、出したら、「サビがちょっと違うなあ、サビ直してくれる」って、言われて直して出して、でアレンジが出来てきたら、今度はエレキの曲になったんで、仰天したんですよ。 住吉)14歳の時の曲にしては大人っぽい曲になってますね。 なっちゃいましたね。 近田)当時は、年間セールス百万枚以上が大体年に1曲から2曲だったそうなんですが、このレコード、どれだけ売れたかと申し上げますと350万枚と空前の大ヒットとなったわけなんですね。このヒットをきっかけに加山さんの人気は社会現象にもなりましてこの年の年末に紅白歌合戦、初出場を果たすことになるわけです。加山さんのルーツを紹介しましたが、私の名前のルーツが加山さんだったりということで、きっと父も喜んでいるかと思います。 住吉)本人がならないといけないんですよ。 なんとなく似てますよ。 住吉)え〜え、だって! 近田)ファンの方は認めてくださらなかったですね。 髪型が似てる。 近田)ご本人とこのようにお話できて、父も喜んでいると思います。若大将にはなれませんでしたが、親孝行は出来ました。以上、今日の「近田の特ダネ」でした。 とんでもないです、ありがとうございました。 |
|||
11年01月06日新設
|
||||