「父との1年半」

住吉)ご家族でいうと、1991年にですね、お父様の上原謙さんが亡くなられて。

いろいろと家の親父も、晩年はご心配、ご迷惑をおかけしましたけれど、決して悪い人間じゃございませんので。あちらさんと、上手く行かなくなったということで、我が家に訪ねてきまして。それから一年半くらい、家にいたんですけど。それがスゴク”天の配剤(はいざい)”っていうか、僕は忘れられない一年半だったですね。上原謙という人は、(私にとっては)付き合いにくい人だったんですが、僕はぶん殴られて育ったんですよ。3回ぐらい叩かれて、いつか3回仕返ししてやろうと思ってたんですよ。そんな間柄というか、壁みたくウザッタイ存在だったんですよ。

それが、毎日飯を一緒に食ってたんだけど、僕がビールを飲んでいたら、親父が「旨そうだなぁ」ってんで、親父は飲めない、飲んだことがない。まったくの下戸。
「お父さんも、飲んでみるかな?」っていうから
「飲んだことないの?」
「ないな!」
「これ旨いよ!」って注いで、初めて乾杯したんですよ。
生まれて初めて、親父が80歳で。

結果的には、泣き上戸だったですね。

「うわぁ〜」って、飲んで。
「そんなに、勢い良く飲んでやばいなぁ」って、思ったけど。もう「ダァ〜」っと、真っ赤っかになって。「もう一杯」って言うんですよ。「もう一杯って、どうなってもしらねえぞ」って、飲ませたんですよ。そしたら、結果的には泣き上戸だったですね、家の親父は。僕も嬉しくて、今度は日本酒に切り替えてぐい飲みしちゃったんですよ、日本酒をガンガンと。両方で、ベロンベロンに酔っ払っちゃって、
「親父、一つだけ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「親父は、お袋を本当に愛してたか?」
「当たり前じゃないか!お父さんは、あんたのお母さんを世界一愛してた!」
「世界一というのは、二番目がいるのか!?」って。大笑い。
でもそれ聞いたら嬉しくなっちゃって、ちょっと涙目をしてたら、親父がそれ見て、ボロボロ泣き出したんですよ。そしたら肩叩いて「オヤジ泣くな!俺だって泣きたいじゃないか!」二人で肩叩き合いながら泣いたの。そしたら、家内はそれ観てて、
「まるで映画のワンシーンだったわよ」って。
その時に壁が全部取っ払われて。これも、これもって変だけど、親父も一人の男なんだから、ということに気がついて、凄く親しみやすくなったというか。

それからテレビに、どんどんスキャンダルが出るじゃないですか?「まいっちゃうなぁ」って思いましたけど。二人して並んで観るんですよ、大変だなあって黙って観てるんですけど、親父は、ぼーっと観てて何考えてるんだろう親父は、って思うんだけど、なんにも言わない!最後に全部番組が終わってから
「済まんなあ!」
「いいよいいよ、別に。親父だって人間なんだからしょうがないよ、こんなことになったってさぁ」みたいな話をしたんですけど。

その一年半というのはほんとに、絆の結び直しみたいなのを与えてもらえたということで、すっごい感謝して。一生懸命ピアノコンチェルトを作った甲斐があったと思いましたよ。

僕は忘れられない一年半だったですね。 壁みたく、ウザッタイ存在だったんですよ。
親父も一人の男なんだから、ということに気がついて、凄く親しみやすくなったというか。 絆の結び直しみたいなのを与えてもらえたということで、すっごい感謝して。

11年01月06日新設