対談:さだまさしさん 

  文化放送「未来へ続く航海」より

    6月13日(土)

6月13日に放送された、「未来へ続く航海」の中で、加山さんと、さださんの対談がありました。その様子をレポートしました。
「座・ロンリーハーツ親父バンド」が流れる中、

加山雄三とザ・ヤンチャーズの「座・ロンリーハーツ親父バンド」、流れております。
ここからは、この歌の作詞を担当され、シンガー・ソング・ライターとして、お互いに尊敬し合う、加山雄三さん、さだまさしさん、お二人の対談をタップリとお届けいたします。

というアナウンスのあと、対談が始まりました。

ようこそ!

こんばんは!加山さん、素晴らしかったですね!

いやあ、おかげさまでだよ。ありがとうございました。

僕は翌日ですね、仕事で大阪へ移動したんですよ、一人で。
夕方の便に乗ったら、僕の真後ろにいた40代の男性ですかね、声をかけてくれましたね、
「昨日行ってたんですよ、いやあ、楽しかったあ〜!」って言ってくれましたよ。
その近くにいた、40代の女性も、
「私、昨日の帰りです」
「昨日、武道館に行ったんですか?」
「行きましたよ!最高だったです!」って。
二人に声かけられた。東京だけじゃなくて、いろんなところから来てくれたんですよ。

地方から来てくれたんだ。嬉しいねえ!

良いコンサートでした、お疲れ様でした。

まさしくんの「力」でね、相当な集客力ですから。

73歳で、アリーナツアーが出来る!凄いですよ。喜寿は何しましょう?

いいから、そんな先の話は、しないことにしてるの。

もう4年先ですよ、考えておかないと。
だって、ワールドカップは、次どこでやるか、決まってますからね、

何が言いたいんだい。

喜寿の時には何するか、今からそこへ動かないといけないからスタッフは!?僕なんか大変なんですよ。僕は自分がやめても、加山さんのコンサートの応援はやめませんから!

お世辞でも、そういうこと言ってもらえるだけで、ほんとに嬉しいと思ってるんだよ。

僕は、加山さんが存在してなかったら、歌手になろうともしなかったし、少なくとも、曲を作って歌おう、という発想はなかったと思うんです。
中学の時に、若大将シリーズで加山さんの存在を知って、自分でギター弾いて、自分が作った歌を歌う。こんなカッコいい人がいるんだと思って、自分で作って歌うようになってみて思ったんですけど、あれは、自分で作って歌うのが、カッコいいんじゃなくて、加山雄三がカッコ良かったんですよ!そのことに、僕はあとで気づいたんですよ。

何を言ってるんだい、関係ないよ!じゃぁ、なんで、あんたの曲が沢山ヒットするわけ?

それは偶然なんですよ。

いやいや、名曲が物凄く多い!一つ一つ心を打たれる。
あなたみたいな人にさ、そして、みんなに囲まれて、あのヤンチャーズ!
あんな長い音楽を、誰に詩を付けてもらおうって聞いたら、全員が「まさし!」って
指さした。狙った以上の出来栄えでさあ。

そりゃあ、嬉しいですねえ!

とにかく、あんな長いのをね、覚えるのが大変でさあ。
自分のライブでさ、やったんだけど、歌詞が危ないなあって、思いながら歌ったのに、お客さんのほうがさきに覚えちゃってるんだよ。

加山雄三のファンは、本人により先に覚えますよ!
自分の歌って、余り聴かないですけど、人の歌は聴くから覚えるんですよ。
僕は、自分の歌を覚えない理由がわかりました。自分で聴かないからです。
加山さんの歌を覚える理由は、加山さんの歌は聴くんですよ。だから、覚えるんですよ。

それ、すげえわかる。俺、自分の歌、聴かないもんね。
一回録音したら、いやんなっちゃって。

僕もそうなんです。自分の歌を覚えないんですよ。だって、反省材料ですもんね。

ほんと、そう!

やっぱ、そうですか、加山さんも。正しいですね、僕の感覚は!

正しい!毎回聴く度に、反省度も増えてくる。

ですよね!いやあ、嬉しい!自分の歌しか聴かない人もいるんですよ。

えっ、そうかね、ナルシストだね。
俺は聴かないんだよ、そして、人が聴いていいと言ってるかどうか気になるんだ。
自分じゃ、いいと思ったのが、いい評価じゃなくて、どうしようもないなあって思ったやつが「いいですねえ」って言われると、頭の中が混乱してさ、判断力がまずいのかなって。
作った曲を、いいのと悪いのと仕分けしたんだけど、アルバムに入れる曲が足りなくなって、ダメな中から出したことがあるんだけど、その中に「海 その愛」が入ってたんだよ。

えっ〜え!?

だから、曲が足りないって言われなかったら、あれは捨てられてたんだよ。
世に出てない曲だったんだよ。

だめですよ、捨てちゃあ!判断しちゃあだめですよ。
周りに判断させてくださいよ。僕が判断しますよ。

わかった、そんなに目剥きだして言わなくていいからさ。
いずれにしても反省材料ばっかしで、上手くなれるかと思えば、
全然上手くならない。
あんたみたいに、綺麗な声で上手くても、反省してるの?向上心があるんだね。

僕は作ってね、発売日前後が一番嫌いです。
早くあれ、消したいと思うから、また作るんですね。

そうかも知れない。だから次が出来るんだ。
俺、絵を描いてて言われたことがある。初めて個展をやるときに、絵の偉い先生に
「一番、取っておきたい気に入った絵から売りなさい。
そうするとそれ以上の絵が、描けるようになりますよ」って。
今考えてみたら、そんな絵なんていうのは、売っちゃって良かったと思うくらい、買った人には申し訳ないかもしれないけど、上達しちゃってるわけよ。
音楽もそうなんだよ。初期の頃のを聞くと汗出てくるね!

どうしてですか?初期の頃の加山雄三が、僕好きなんですよ。

だから、貴方は俺じゃないからだよ。俺は自分の聴いてて、汗出てきちゃって。
なんでこんな無神経な・・・、乱暴なんだな。
なげやりに歌ってんだよ俺。
かみさんにも言われるの、俺。
「どうして、あんなになげやりに歌うの?」って。
英語の歌、一生懸命歌って、自分の歌は、あんなになげやりに歌ってて。
なげやりじゃないんだ、一生懸命歌おうと思っても、あれしか
出来ねええんだ。

それにしても、エレキの若大将の時の、「君といつまでも」はひどかったですね。
不愉快そうに歌ってましたね。

なぜ、あんな顔になっちゃったかってことだけど、あんな気分の悪かったことはないよ。
それでどうしてヒットするのか?
わからないね。

いやあ、いい歌ですもん。

結果論から言えばそうだけどさ!あんときのシチュエーションを考えたら、冗談じゃないと思うよ。「映画だから、いいんだよ」って、言われるのはさ、なんでだよって。

その辺がミュージシャンなんですよね。俳優さんだったら、「映画だから、いいんだ」って言われると、そう思うんですよ。加山さんは、俳優じゃないんですよ。
俳優としても、数々の偉業は成し遂げておられますが。
このあいだ、武道館で感動したのは、あれだけの映像資料を、持ってる人はいないですよ。

何が言いたいわけ?

それだけの仕事をしてこられたわけですよ。若大将シリーズだけじゃないですもん。

歩いてきただけだよ。

あの頃から変わらないもん、加山さん。

何が変わらないだよ、冗談じゃないよ。俺、のけぞっちゃうもんね、嬉しいから。

変わらないって、みんなに言われるでしょ?

ずっと出てればさ。徐々に変わってってるから、わからないんだよ。

出てることが凄いんですよ。

さだ君だって、そうじゃないか。

必死に、忘れられないようにしてるんです。

あなたのトークは、ほんとに凄い。CDをぜんぶ聴いてるんだ。
ハワイの話も可笑しいしさ、お父さんの、外人が来たときの話も。

僕、ブラウンさん見てて、朝、顔を洗いに来ると、「お〜う!」って言うから。
この人、日本人がみな、朝起きたらみんな「お〜う!」って、言うと思ったらどうしようと思って。親父は、英語何も話せないんで、鶏の餌を「チキンライス」と言った人ですから。

ハハッハハッハ、それをその外人さんに言ったわけ?

そう言ったんですけど、ニュージーランド人はチキンライスって言われても、わかんないじゃないですか。それで、「クォクォクォッ」ってやったら、「オウ、イヤア!ティケンフード」って言ったら、親父が「ティケンって言ったぞ!」って。
「お母さんの事「マドルゥ」って言ってたぞ」って。

ニュージーランドってのは、物凄い訛りがあるんだ。わっかないよぉ。

家のお父さんは、不思議な人でしたよ。親父を送る会に、忙しい加山さんに来ていただけるなんて、思ってもいなかったです。親父も、きっと喜んでいたと思いますよ。

だってさ、10年間通ってさ、会う度に、ほとんど君の自慢話だよ。最高傑作だと思ってんだよ。だって、下駄に俺のサインをして、履いて歩いていた小学生時代の話から始まって。自分に、「さだまさし君、頑張れ!加山雄三」って、いうハガキを書いて、自分に出して、「来たぞ!」って、みんなに見せて自慢してたって。
それ聞いて、「可愛いねえ」って思うじゃんよ。

家の弟だけは、「年賀状、加山雄三から来たぞ!」って見せたら、
「バ〜カ」って、「来るわけ無い!」って。

あのさあ、「君といつまでも」という俺の代表曲をね、前奏、間奏、後奏、コーラス。

これ、びびったぁ!

堂々とやってたけど。

堂々とやらないと、カッコ悪いからですよ。

普通、あんなに出来ないよ、これをリスナーの方に、聴いていただきたいと思うの。

恥ずかしいけど、嬉しい。

♪「君といつまでも」 with さだまさし(武道館)

前奏、間奏、後奏、さだ君のヴィオリンが入った「君といつまでも」新バージョン、コーラスも付けてくれちゃって。ほんとに、見事に弾いてくれたな、武道館で。良かったよ。

怖かったですよ。加山雄三の脇で、弾いてんですよ。カッコいいっすよぉ。

さだ君がね、前奏で、一人で弾いていくほうが、オーケストラでやるより、全然いいんだよ。ストラディバリウスの音かと思うくらいの、良い音なんだよ。

30万円ですよ、あのヴィオリン!

凄いね!その時の気持ちで、弾いてんだろ?違う?気持ちで弾いたろ!?

そうです。

永い、いろんな時間というものを感じながら・・・。

まさか、加山さんの隣で、俺が前奏弾くとは思わない。
それをねぇ、加山さんに、「じゃぁ、お前やれよぉ、まさし」とか、言われちゃって。
「図に乗ってんじゃねぇぞぉ」って、感じですね。

いいじゃんかよ。

図に乗るのは、一番いやですよ。

あ、そうなんだ。図に乗るから降りられるんじゃないの?

僕、乗ると降りられないんですよ。

あ、それもまずいねえ。

まずいんです。

ノリノリで行ってさ、それがお客さんに幸せを与える、面白いトークになってりゃあいいと思うよ。

わかりました!頑張ります。

ところで、後半は、"夏・長崎から"の・・。

ほんとに、加山さん、ありがとうございます。

あの話をちょっとしたいと思う。ほんとに、あなたは偉かった。

10年!

20年だよ、あなたは。(俺は)半分、やったんだな。

そうですよ、広島もやりましたから。

俺の中でも「誇り」。だってさ、一番最初、行ったとき、2万5千人のお客さんがいて、
びびったね、俺は。
凄いよ、さだまさし君、こんなに、人集めちゃうんだみたいな。

加山さん、「お前、800人くらい集めてやってんのかと思ってた」って、おっしゃってましたもんね。

相当俺は、見くびってたというか、ごめんね!正直謝っちゃうけどさ。
あのとき、出ていったら、お客さん総立ちになってさ、
迎えてくれた。あなたのファンはいいファンだなあって。最初は不安だったのが、いっぺんに解消された。

気持ちよかったでしょう、加山さん!

気持ちよかった。それっきり味しめちゃって。

僕も、あんな気持ちよかったこと、なかったですよ。
まぁ、20年やったんで、20年同じこと言い続けてくれば、伝わる人には、伝わっただろうと思って、まぁ、やめたんです。
けどねぇ、加山さん。去年、親父が死んだでしょう。で、親父がねぇ、最後ね、白血病のようになって死んだんですよ。

へぇ〜え。

あのぉ、でねぇ。血小板が異常に増えるっていう病気になりましてね。
で、お医者さんがね、血液データを僕に見せながら、
「あんた、見せても分かんないだろうけど、これねぇ、専門家が見たらねぇ、「原爆症」って、言うでしょうね」って、言ったんですよ。
親父、被爆者じゃないんですよ。親父は、戦後すぐに長崎に入ってきて、爆心地に近いところで、生活はしてたんですよ。でも、被爆者じゃないのに。晩年89(歳)になってね、この血液データ・・・。これ、どういうメッセージだろうと思って。
最後は、長崎原爆病院で、僕の父は、死んだんですけども。
この父の最期の、ダイイングメッセージっていうんですか。これを、僕はどう受け止めたらいいんだろう、って考え込んでるんです。
加山さん、これは、夏・長崎からを、「やめては、いけなかった」と、父に言われているような気もするし、「まだ間に合う、もう一回やれ」って、言われているような気もするし。もっと違った形でなにか、表現する・・・。

俺はね、人間には全て、みんな役割があると。そして、あなたが、20年間もできたということはね、あなた自身が持ってる役割っていうのは、本質的に核廃絶と、平和、そして人間の愛というもので、地球を救うというような、大きなテーマを持って生まれてきてんだよ、あなたは。

そんな、大したもんじゃありませんけど。

大したもんじゃないかもしれないけどさ、あなたにとっては。
俺にとっては、大したもんなんだよ。

いえ、僕は、そんな大したもんじゃない・・・。

そうじゃなくて、あなたがやってることは、大したもんなんだよ。

そうですかぁ。

それを、やめたけども、それで、お父さんは、自分の命を終わっていく時に、メッセージとして、形で見せたんだな。で、それはまだ続けられるじゃん。
形はそのままじゃなくたっていい訳だし。

そうですね。

(中略)

俺が貴方の曲で、一番涙を流して聴いた曲あるんだよな。
「案山子」って言う曲、泣いたよな、俺は

坊ちゃんが、ソルトレイクへ・・・。

そう、16歳で。

僕は、13歳でしたけど。

東京でしょう!?

海外ですもんねえ。

一番、英語と日本語と両方わかる境目、大事なときに、出したわけなんだよ。
半年くらい経って、俺が車運転してカミサンと
一緒に、ラジオつけたら「案山子」が流れてきちゃったんだ。その詩を黙って聴いてたら、隣で泣くわな。まったく詩の通りなんだよ、ほんとに丘の上から見下ろすとね、真っ白な街が待っ平らでさ。
カミサンがぼろぼろ涙でさ、
泣いてんのさ、俺も泣きそうだったよ。交差点で止まってさ、隣に停まった自動車の中から、こっち見てんだよ、「加山雄三」だと思ったら、隣で奥さんがハンカチで涙拭いてる、夫婦喧嘩だと思われたんじゃないかなって。

二人で泣いてたら、変ですもんね。

「子を思う親の心」、この「案山子」にあり!

ありがとうございます!

聴きながら、お別れしましょうかね。ほんとにありがとうございました。
さだまさし君でした!

ありがとうございました!

10年07月15日新設