「ラジオ深夜便」 NHKラジオ(5月3日) |
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5月3日に、NHKラジオ第一で放送された、「ラジオ深夜便」に加山さんがゲスト出演され、「ラジオと私」というテーマでお話されました。第二部の内容をレポートします。 聞き手は須磨佳津江アナウンサーです。 |
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不純な動機 |
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それが、どうしようもなく不純な動機でございましてね、まずはね、大学4年の夏休み、就職活動をみんなやりだすじゃないですか。僕も一般の普通の会社に就職しようと思って、願書手続なんかの書類を持ってきていたんですよ。 須磨)そうなんですか? 家においてあったのを偶々しょっちゅう家に遊びに来ていたバンド仲間のリーダーが「なんだ、これは?」と「みりゃあわかるだろう、願書だよ、就職するつもりだよ」「なんだよ、お前サラリーマンになるつもりかよ」「そうだよ、だって、就職しなきゃ食えないだろ」そんな話してたら、「お前はな、サラリーマンって柄じゃないよ。お前はな、学校で成績良かったわけじゃないだろう。やってたのは、運動と音楽だけじゃねえかよ。それを活かせるっていったら、親父の跡継ぐしかねえんじゃねえの、あんたのところにはね、資産はないけど暖簾があるじゃないか、それを使わない手はねえよ」と言ったんですよ。そこまでだったらね、冗談じゃねえって思ったんですがそのあとに、「お前、凄い船が好きだろう、船作るには金がいるだろう、一旗揚げて金儲けして自分で船作ればいいじゃねえかよ。」「ほう、これだ」 須磨)「これだ」って。つまり船が作りたくて。 そうなんです。ほんとに非常に不純な動機でね、実は僕はね、商船大学行って本当に船を造る造船技師になりたかったんですよ。あるいは、船乗りになりたかった、船好きで。ところが、結局それがね、16歳ぐらいからやらなきゃだめだとかね、情報入ってきて、高校から慶應に入っちゃったもんですから、これをね、商船大学にドローするっていうのは、ちょっともったいねえよ、というような周りの人間の声がありましてね、やっぱいそれじゃしょうがない、そのまんま大学へ行くかと。で、入っちゃったわけですよ。だもんで、もう卒業する段階になったら就職するしかないなと思ったのが、偶々「一旗揚げて金儲けして自分で船作ればいいじゃねえかよ。」。そこでもって、目が開いて。考えてみたら相当不純な動機だなって。 須磨)船が欲しいから俳優になると、ご両親に宣言されたんですか? で、親父にね、「おれ、親父の跡継いで俳優になろうと思う」って言ったら「なに!?お父さん絶対反対だ!」「なんでよ?」「こんなにプライバシーがないのは、お父さん一人で沢山だ!、お前は普通の会社に入れ!」何度言ってもそれでしたね。あの上原謙は!お袋には「あんた、やりたいんだったらやりなさいよ、あんた、もしかしたらそっちの方が向いてるかもしれないよ」お袋はそう言ったんですよ。で、また親父に言うと「反対しただろう、なんべんも言わせるな!」 須磨)困りましたねえ!? でもね、絶対説得してやるって。そこで挫けないですね、僕は。「おれね、やるつもりで決めたから。職業なんてなんだっていいと思ってるんだ。早い話が自分に向いてるかどうかってことだしね。今までやってきたのは運動と音楽とそういうもの生かせるっていったら、俳優なんて、もしかしたらすげえ向いてるかも知れないでしょう。親父を見てるしなあ。」って、親父を見てるしなあって言ったのが効いたるかも知れない。 須磨)へぇ〜え!? 「そこまで言うなら、自分で蒔いた種は自分で刈り取るつもりでやれ!」って、偉そうなこと言いやがってって思ったんですけど。まあ、許可が出て、「前から言われてたんだけどね」って。中学校ぐらいから、木下恵介監督に「とにかく使わせてくれ」と、家によくお見えになったりしてたんです、いろんな監督さんが。「どうしても使わせろって言ったけど、お父さんはガンとしてお前がちゃんと大学を出るまでは守るんだぁ」って。それはありがたいなあって思いましたし、やっぱり親父が言ってたことが間違いないなあっと思う苦しさも味わいました、いろんなことでね。 須磨)プライバシーはねえ、ないでしょうからね、これだけ有名だと。 |
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10年05月19日新設
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