武田鉄也のショータイム
(NHK BSプレミアム11月19日)       
NHK BSプレミアムで放送された番組をトークを中心にレポートしました。お楽しみください。

歌の場面と懐かしい写真についてはこちらからどうぞ!

武田)私、最近絵をやっております。ある方の影響なんですね。その方の絵がこちらでございます。この方の影響を受けて絵を始めたんですが、憧れるだけあって、スケールがまったく違います。私の青春時代の憧れの大スターであります。その方が今回のショータイムのゲストでございます。
お分かりですな、壮大な海が広がるこの絵を描ける人は、ただ一人しかいません。永遠の若大将、加山雄三さんです!
武田)改めてご紹介いたします。
加山雄三さんです

よろしくお願いいたします。

武田)加山さんの歌を聴きますと気持ちが10代に戻どりますね。

そりゃあもう良いですねえ、音楽というのはタイムマシーンのような力があるかも知れないですね。 

あの時どうやって過ごしたとか、パッと蘇ったりしますね。
昭和21年の「帰り船」なんて聴くとね、涙出て来んですよ。

武田)そういう話はダメ!加山雄三に相応しい話と相応しくない話があります。自分でしたい話しちゃダメ!

はい!任せます。

はしの)うちの父親が大ファンで、小さい時から車に乗ると必ず加山さんの曲が流れていて・・・。

武田)今回は歌だけではなくて、お喋りの方も、加山さんの思い出を振り返っていただいて、皆さんに楽しんでいただこうと思っています。

東宝入社の動機
武田)若大将シリーズを観た世代というのは、映画館で加山さんが登場するとね、そこだけ明るかった気がします。
だって60年安保で物凄く世相が揺れてた時代で、政治の嵐の吹き荒れてる時代だったですね。
俳優になろうと思ったのは、この若大将シリーズでデビュー?・・・。

いやいやいや、若大将シリーズというのは全く予想もしてないことですし、非常に不純な動機でもって入ってるんですよ。
うちの親父が散々やってきた世界は、僕は跡は継がないという意思は固めてたんですよ。何故か分かんないけれども、親父は出来栄えの良い顔してるし、俺は出来損なったなあって、子どもの頃からコンプレックスの塊だったんですよ。
それで、なんか反感みたいな、レジスタンスを持ってたんですよ。だから、こんな世界俺やんねえ!って思ってたんだけど卒業する半年ぐらい前に、就職はしなくちゃいけないなと、普通の会社の書類を揃えてテーブルの上に置いておいたら夏休みで友達が遊びに来たの。それ見るなり、
「お前、サラリーマンになるつもりかよ?」
「だって、それしか道はねえもん」
「バカだなあ、お前家には資産がない代わりに暖簾があるんだよ、それを使わない手はねえぜ!お前な、学生時代に何やってた?勉強なんて出来ぁしねえじゃないかよ。お前がやってたのは、運動と音楽だろ?両方生かせるのは親父の跡継いで映画の方に行けばいいじゃないか」
「やだよ、俺は全然やりたくないよ」
「お前は船が物凄い好きじゃねえか、一旗上げて金儲けすりゃあ
自分で船が造れるだろう?!」そこでポッと灯りが点いちゃって、なるほどなあ、それってありだなあって思って・・・。

武田)船造りたさ、一心に?!

そ、それだけしか頭にない!。

若大将シリーズ
武田)若大将シリーズは加山さんの個性に合わせて作られた作品ですか?

後で気づくけど、藤本真澄さんて方が、親父のことも知ってたんだけど、情報を持ってたんだよね。俺がお祖母ちゃん子だっていうこと。それからスポーツも。アメラグをやったり、走ったりサッカーやったりスキーやったり水泳やったり。

そういうスポーツが本当に好きで部に入らないで同好会みたいなものばっかりやってたんだよね。

武田)ボクシングやったの2作目の「銀座の若大将」でしたよね?

分かんねえ、多分そうだと思うけど。忘れちゃったよう、俺は、ワハハッハ。

武田)そこで短〜いワンシーンなんですが、ボクシングの練習やってる加山さんが、部員達に混じってシャドーやってんだけど一瞬、やることなくて木蹴ってるだけなんだ。この木を蹴ってるのを見て俺一人で笑ってました。
愉快で。全然覚えてない?

分かんないよ、全然。本当にそんなのあった?

武田)じゃあみてください。この短いワンシーンで武田鉄也は若大将に魅せられたという名場面でございます。どうぞ!

あんなことやってたんだぁ!?カメラが行っちゃってるって思ったもん。

武田)その無邪気さが堪らなく好きなんです。アドリブですか?

もちろんアドリブだよ。あんなところで蹴るなんて聞いてないし、みんなワーって行くからカメラ向こう行くと思ってたけどさ。今思い出したけど「行け!ついてけ、ついてけ!」って言われて「カメラこっち向いてる」って・・・。

武田)この単純さって子どもを魅了するんです。
あれは子どもが良くやることでしょ?

はしの)加山さんに、加山さんの説明をしている

俺、全然分からないよ。

武田)俺は加山雄三より加山雄三のこと知ってんだ!

ゲスト 星由里子さん
武田)どうです?第一印象なんて覚えてます?

星)加山さんが東宝に入ってこられた時から衝撃的というか、とてもカッコ良かったんです。大学卒業してすぐだったということもあって、フレッシュだったです。

ありがとうございます!

武田)若大将シリーズが続いていくわけですけれど、澄ちゃんとしましてはいかがですか?

星)まさかシリーズになるとは、夢にも思っておりませんでしたけど。

僕もね、最初1本だけだと思ってたから。

はしの)私の親とかは、当時映画を観てて二人が恋人同士だと思っていたらしいんですが、実際はどうだったんでしょうか。

みんなそう思ったね、そう思ってたとおもいますよ。

星)嬉しいですけど、そういう風に言っていただけるのはね。相手役ですから、雄一さんを好きだと思って仕事してるわけですから胸ときめかせてスタジオに入ってました。喧嘩するシーンが余りないのね。とても素敵な描かれ方だったと思います。

武田)演技についてはどうですか?

それを言われると・・・。本当にだからさあ・・・。俳優になるつもりで俳優になってないんだよな、一稼ぎ金儲けしようと思って入ったわけだから、 最初はいつ辞めようかってばっかり考えて、一儲けっていったって容易なことじゃないし、どうすりゃいいんだって悩みっぱなしの時に、若大将が始まって電車で通えなくなってきたんだ、だんだん。自分には演技力もなんにもないし、下積みもねえからもう辞めた方がいいかなって思ってたところに、黒澤明監督に出会ちゃったわけだ。

みんなそう思ったね、そう思ってたとおもいますよ。 黒澤明監督に出会ちゃったわけだ。

映画「赤ひげ」

保本登と黒澤監督そして赤ひげ、僕がダブルんですよ。僕が撮影所に残りたいと思ったきっかけが黒澤先生ですから。保本登が養生所に残りたいと思ったのは、赤ひげ先生でしょ?そこでダブったね、僕は。こういう先生が居るなら僕はこの世界で生きていこうと思ったんですよ。

「お前は白紙でいいからな」って言われた時に、もう安心しちゃったね。「白紙で来い!考えるんじゃないよ、余計なことは!」言われただけで。僕自身が尊敬している人に心の奥の奥まで見抜かれたのが嬉しくてさ。
椿三十郎の時でもそうだったけど
本番中に寝ちゃったことあるんだ、俺。末席で座ってるだけで台詞もないんだ。その日に限って朝サーフィンやってそれから撮影所へ行ったもんだから、疲れちゃって、だんだん声が遠くなっちゃって、スーってなっちゃったら、どーんと小突かれて、ドキっとして目が覚めたらシーンとしてるわけさ、助監督が耳元で
「お前今寝てただろ?」
「ああ、寝てた」
そしたら監督がスックと立ち上がって、
「加山、眠いのか?」
「はい、眠いです!」っていったらさ、
「表へ行って寝てこい!
 加山のために休憩!」外へ行って寝ようと思ったけど、陽がサンサンとなってて今度は寝られないんだ。周りのスタッフはね、お前は本当に恵まれてるよ、普通だったらお前役者辞めろ!って出されちゃうよって。

星)そういう決意っていうのは、私達はわかりませんでしたけど、でも地に足が着いてちゃんと俳優という道を歩いて行くんだな、この人はっていうのは感じましたね。

武田)二木てるみさんとのシーンは頬がこけてるんですけど、あれは減量したんですか?

減量もなにも、僕はねサーフィンやってガンガン運動すればすぐこけるから、だからサーフィンやって会社へ行くのを1週間もやってたらこける!

武田)演技派として懸命に減量したのかと思ってたら、サーフィンでございました。
加山さんにとって「若大将シリーズ」とはいったいなんだったのか?

僕はこのために生まれてきたんだと思ってます。加山雄三になるために、田沼雄一になるために生まれてきたかなと思いますね。

武田)俺はず〜っと若大将って呼ぶ!

やった〜!!ありがとう!

ちゃんと俳優という道を歩いて行くんだな、この人はっていうのは感じましたね。
加山雄三になるために、田沼雄一になるために生まれてきたかなと思いますね。

ゲストコメント

竹中直人さん

僕にとっての最初の映画スターでしたから、映画館で加山さんが見れるってだけでもう大興奮でしたね。
最初に知ったシンガーソングライターですからね。名曲ばかりですからね。書く曲書く曲でまた全然違う世界観ありますしね。天才ですからね。

谷村新司さん

加山さんの存在っていうのは僕らの世代にとってはやっぱり特別ですね。あの当時ギターを自分で弾いて歌う人というのはまだ少なかった時期で、しかもエレキギターが上手で自分で作曲もする。
やっぱり加山さんの作品には日本人が歌いたくなるようなメロディーというのがちゃんと入っていて、加山雄三というジャンルで、それは誰も真似ができない事なんで。
永遠に僕らは加山さんの背中を見てる。

さだまさしさん

僕にとっての最高最大のアイドルであり、目標であり兄貴ですね。
間違いないでしょう、多分加山雄三という人がいなかったら僕は歌手になってないですね。自分で曲作りをして自分で歌うというやり方はかっこいいなと思ってね。それで触発されて歌作りとかするようになりましたね、14歳の時ね。
ですから僕の原点ですね加山さんは。弾厚作作曲、さだまさし作詞というのはね、あの頃の俺に見せてやりたいですね。

ゼロからの出発

人生というのは、山あり谷ありってよく言うけど、全くそのとおりだと思ったよ。その波は大きい人と小さい人とあるだろうけども、僕の場合かなりの大時化だと思いますけど。
荒れたからね、俺。荒れたの。酒食らっちゃあ暴れまわってさ、最悪な状況になったんだよね。そいでアメリカへ逃げたんだけどね。

武田)その間自分を立て直すための仕事というのは?

ほとんどなかったですよ、だからそれこそ女房のアパートに潜り込んで生活してたし、食べさしてもらってるというのが本当のところで。捨てる神あれば拾う神ありじゃないけども、お仕事がNHKから来たんですよ。どうしようと思うぐらい嬉しかったんだけどさ、俺まだ歌えるかなあとか、みんな僕のことウェルカムしてくれるかなとかいろんなことがよぎるわけよ。でもこれはやっぱりね、ほんとに頑張らければいけないなって、「ビッグショー」ってやつ。

あの「ビッグショー」ってすごい思い出があって、アンコールが5回ぐらいあったな。みんなウェルカムしてくれたわけよ。3,300人入るNHKホールでさ。そしたら俺嬉しくって嬉しくって涙止まんなくなってさ、で言った言葉がさ、
「生きてて
良かったあ」って一言、それが流れたんだよね。

もうオーディエンスによって、ファンの人たちに支えられて今があるということを痛切に感じ始めた時期なんですよ。
学んだことは、苦しいことから逃げたらダメだな、自分で受け止めなくてはいけない。一回アメリカに逃げたんだけど、そのまま向こうで生活できないわけじゃなかったけど、そのままだったら心に空洞を残したまんま一生終えるような気がしたし、それで決断したら嫁さんが一人だけ残ってたわけだ。

偉いよ!だいたいマイナス23億のところに嫁にくるなんてちょっと抜けてるんじゃないかと思うんだけどね。よく嫁に来てくれたなと。そういうのって何か「縁」というか「絆」っていうか感じざるを得ないですよ。だって、飯食う金無くなるんだよね。友達ん家に何か食わしてもらいに行こうぜとか工夫するんだよ。うちのかみさんのお母さんが四谷でカウンター割烹やってたのね、たいして儲かるわけじゃないんだけど、そこへ行くといろんなものが食えるんだ。

アメリカで結婚してオートバイ乗って砂漠へさ、新婚旅行に行ったんだよ、二人でさ。

武田)二人にとっては最高のスタートですね。何にもないから・・・。

加山雄三なんてものじゃなくて、若大将ってもんじゃなくてただの借金だらけの人間。その時にギターで地平線に陽が落ちていく時に「夕陽は赤く」をさりげなくギターで歌ったんだよ。そしたら涙ポロポロ流すんだ、かみさんが。何を考えて泣いてんのかな?先行き不安だろうなと思いながら、聴いてる顔が印象的だった。すんごい印象的だった。

ゲスト 秋元康さん
実は僕は大好きな番組があるんです。「ラジオ深夜便」、「日本の歌、心の歌」というのがあるんです。ラジオ深夜便のテーマというのを作ることになった時に、秋元さんが詩を書いてくださるという噂が入ってきたんです。「一回は加山さんの曲を書いてみたいと思ってました」と言ってくれたんですよね。

秋元)もちろんです。

早かったですよね。曲をいつも先行するんだけど・・・。

秋元)ハワイでダブルレインボウを見てね、それを入れられないかって、無謀なことをおっしゃるんです、もう出来てるんですよ、詩が。詩が出来てるんですけど、なんかこれ聴いてたらダブルレインボウを思いつくんだよね。じゃあ入れましょうか?って、その場で。

本当に不思議なくらいね、中々見れないのがね、海で3回ぐらい見てるし、かみさんと結婚する直前に山行った時に、ダブルレインボウが出たんだよ、それを見るとラッキーなわけ、俺にとって。だもんだから、「どうしてもそれ入れてください」って。

武田)秋元さん、AKB48という多くの星を見てこられてますが、このただひとつの星はどうですか?

秋元)多分、加山雄三を支えてるものは好きなことしかやらないということなんですよ音楽にしてもお芝居にしても何にしても。それでなきゃ、この体力、おかしいですよ。

武田)加山雄三の歌、詩、曲をどういう風に思ってますか?

秋元)同じ世代に生きられたということが僕らの財産だと思うんですよね。

武田)そうなんですよね、共有財産ですよね、加山雄三というのは。加山雄三の魅力というのは、加山雄三より僕たちの方が知っているという自負があるんですよ。。

「どうしてもそれ入れてください」って。 それでなきゃ、この体力、おかしいですよ。

ケネディハウス
加瀬さん

17年前かな、僕が食道癌になったんです。手術してけっこうやつれて元気がない、バブルがはじけた後だしやっぱり経営も良くなかった。それを加山さんが
「お前の店出てやるよ」
「いや出てやるよって言っても、そんなギャラ払えない
ですよ」
「俺はお前にギャラくれなんて言ってないだろ。その代わり焼き鳥とビールでいいや」って。それから17年ぐらい毎月やってくれて
るんですよ。

病気と経営難で困っていた友のために出演、以来17年、加山はこのステージに立ち続けてきた。ギャラは焼き鳥とビール。今は体調を考え、ビールは水に変わった。変わらないのは、音楽への愛情、そして仲間達との友情。
武田)武道館みたいな巨大なステージから小さなライブハウスまで両方出来るっていうのが加山さんなんですね。でもそれがミュージシャンですよね。

勉強になるのは小さい所ですよ。ほんとうに17年前からやって良かったと思ってる、今は。あれやってなかったら、今俺はギターも弾けないしダメなってたと思うね。

海 その愛

武田)彼女のお父さんが加山さんの大ファンで、若くして亡くなったんです。

はしの)そうなんです、4年前に肺癌で亡くなったんですけど。最後お見送りする時に、加山さんの「海 その愛」を流してお見送りしたんです。 

ほんとに?いや、マイッタなあ。

はしの)家族全員意見が一致して、「海 その愛」がいいと。

武田)お父さんは筋金入りの加山雄三ファンだったんだねえ。

はしの)生涯髪型ずっと真似したまんまでした。

彼女のためにも・・・、「海 その愛」をお父さんに捧げよう!。

ほんとに?いや、マイッタなあ。

彼女のためにも・・・、「海 その愛」をお父さんに捧げよう!。

終わり

11年12月22日新設