湘南から愛をこめて
〜加山雄三XTUBEXキマグレン〜
(BS朝日 1月3日) 
      
BS民放10周年5局共同特別番組「ヒューマン・コラボレーション〜挑み続ける人々・テイクオフの瞬間〜」として制作された番組に出演された加山さんをレポートしました。
青い海、白い雲、潮の香り、湘南。こんな言葉を聞くと、あなたは必ず思い浮かべるでしょう。彼等のサウンドを。
(ナレーション:松浦亜弥さん)
「夜空の星」を歌う。
加山雄三、TUBEそしてキマグレン。世代の違う彼等のこだわり続け、愛し続ける、それは音楽。そして彼等の原点とも言える場所。
それは、湘南。海を愛し、湘南に集う人びとを愛し、湘南サウンドと呼ばれる音楽も生まれました。今回は時代を超えた夢のコラボレーションが実現。

湘南サウンドの伝道師達とともに、彼等の愛した湘南、そして彼等の愛した音楽について語りつくしていただきます。

「湘南から愛をこめて」〜加山雄三xTUBExキマグレン〜

前田)ご無沙汰しております。今日は番組がですね、「湘南から愛をこめて」という特番なんですけども、世代を超えた人が集まって、湘南から愛のメッセージを送るという事で、加山さんにとって、ズバリ”湘南”とは?

”湘南”とは、僕のふるさとであり、育ての親であり、生みの親である。

前田)”ミスター湘南”っていったら、加山さんだもんねえ。キマグレンのお二人も、逗子を中心に。

KUREI)そうですね、最近は”湘南”という風に呼んでいただいて。

前田)そうなんですね、昔はトンネルのこっち側までが、”湘南”って呼ばれていて、僕らの若い頃は。

へえそう?!

前田)あっちいくと逗子は逗子だったんです。

KUREI)そうなんです、逗子、葉山、三浦は違うみたいな。

前田)青春時代に聞いていた音楽は?

角野)サザンとか、拓郎さんとか、高中さんとか多かったですね。

KUREI)僕、一番最初に買ったCDが槙原敬之さんの「どんなときも」、多分、小学生の時に。

ISEKI)僕が一番最初に、ギター教わったときに教えてもらったのは、「イーグルス」。あとは山下達郎さんとか聞いてました。

前田)加山さんが高校生ぐらいの時は?

高校の時は、エルヴィスですね。最初はカントリーやってたんだけど、エルヴィスが出てきたら、それっきりでエルヴィスをアコギでやってた。

加山さんが敬愛する、キングオブロックンロール、エルヴィス・プレスリー、その、これまでに無かったロックのサウンドは、当時の若者たちの心をつかみ離しませんでした。
マイケル・ジャクソンと同じように、ブワーって行った。ビートルズも、ブワーだろ。はしりだったからな。全世界を制覇したのは、エルヴィスが最初だからさ。リズムもいいし、声もいいし、音域がすげえあるんだな、彼は。高い音も平気で出るしさ、羨ましいなと思いながらさ、よく真似したもんだな。

前田)そんな加山さんの、青春時代のエルビスのナンバーを、加山さんの音楽のルーツに、近いメドレーを。

ようし、やっちゃうか。

前田)僕らは客席で乗りまくりたいと思います。

乗ってくれるかな?!

「DEDICATED」、「BLUE MOON OF KENTUCKY」、「RIP IT UP」そして、「HONKY TONK PARTY」をメドレーで演奏。

「DEDICATED」
「BLUE MOON OF KENTUCKY」
「RIP IT UP」
「HONKY TONK PARTY」。
あの頃は、エルヴィスから始まって、カリフォルニアサウンドっていうのが流れ始めて、アメリカの音楽っていうのは、どんどん、どんどん、新しいのに変化していくじゃない。その中で、ガレージごっこという言葉が流行ったんだよ。ガレージの中で録音すると、エコーがかかっていい音になるんだ。それもはしりだからね、俺。

石原慎太郎の芥川賞受賞作品「太陽の季節」、舞台となった湘南には、太陽族と呼ばれる若者達が現れ、社会現象にもなりました。その当時から、湘南は若者の文化の発信地として数々のカルチャーを生み出し、いろんな世代の人びとを魅了していったのです。

1歳半から茅ヶ崎に育った加山さんは、湘南文化を吸収した一人。時代の空気を感じ取りながら、すくすくと成長。次第に激しいサウンドの音楽へと、のめり込んでいったのです。

加山さんの代表作、「若大将シリーズ」は、湘南の若者達はもちろん、全国の人びとに多大なる影響を与えたのです。
そんな加山さんも、デビュー50周年。今なお、様々なアーティストに愛されリスペクトされています。

そして今回、加山さんが訪れたのは思い出の地、茅ヶ崎。

駅前から海に続く道は、その名も「雄三通り」。茅ヶ崎で育ち、この街の名誉市民でもある、加山さんにちなんで名付けられました。

Q:どの辺りで遊んでましたか?

遊んだのは、海が多かったよね。町中で遊ぶということはなかったですよ。何も無かったですから。何にも無い時代だった。まあ、それは時代の遡り方にもよるけど、小学校の頃はそれこそ、国民学校で戦争中でしたから、それこそ何にも無かった。

海しかなかった。海へ行けば幸せだった。海にいれば幸せだった。だから、永遠にず〜っと海を愛し続ける、こういうことになった。

雄三通りを南に抜けると、茅ヶ崎ビーチはすぐそこ。

ああ、大島が良く見えるし、今日は。ああ、いいじゃん、すごい景色がいいや。ああ、烏帽子岩も変わらねえや、全然。

茅ヶ崎ビーチは、加山さんの少年時代から慣れ親しんだ場所。海を見つめる加山さんの視線の先に顔を出すのは、サザンオールスターズの歌にも登場する、烏帽子岩。

Q:茅ヶ崎海岸が人生に果たした役割とは?

俺がここに住んでるときは、ほとんど体の一部みたいなもんだよ。そんな存在だったもんなあ。夏になったら当然のように、自分で作ったカヌーでさ、あの島に行きたくて、小学校の頃からず〜っと、そればっか考えてた。で、現実に出来上がったのが中学2年の時だな。

それで、そこからのりだして漕いで行って、たった15分くらいで着いちゃって、相当感動したもんだよ。あっちから、こう陸を見るというのは、そのとき初めて体験するわけだよ。やっぱり違うなあ、すげえと思って。まあ、海とも付き合いが長くて、陸でもって遊ぶということよりも、海へ出ていった方が幸せが多い。冬場は、山へ行ってスキーをやるとかね。だから、自然と戯れるということが、俺の人生のライフワークのほとんだだったからね。

このあとは、加山さんの足跡を辿ります。さらに、江ノ電に乗り込んだ加山さん、行きつく先は?

茅ヶ崎には、加山さんの足跡をそこかしこに見ることができます。その一つがここ、東海岸小学校。実は、この学校の校歌は、加山さんの作曲によるもの。生徒達が大人になってからも、母校の思い出を大切に守ってもらえるよう、精魂込めて作り上げました。

この日は、加山さんに素敵なプレゼントが用意されていました。

みんな〜、こんにちは〜!

全校生徒による校歌斉唱です。さすが加山さん!小学生にもこの人気ぶり。茅ヶ崎への愛が伝わっているのかもしれません。

みんなの元気な歌声で、僕の作った校歌を、全国の人に聞いてもらいたいために歌ってくれるか〜!?

生徒)は〜い!!

ようし!みんな、ものすごい元気だな!ピアノは弾くの、どなたかな?先生?じゃなく生徒が弾くんですよね。これが嬉しいんだよな。では、聞かせてもらいましょう。

校歌斉唱

ほんとに素晴らしかった〜!いつきいてもみんな元気でいいや、最高!ありがとう!

子供たちの伸び伸びとした歌声に、加山さんもすっかり魅了されました。

続いて向かったのは、思い出深き江ノ電、湘南の足として、百年の歴史を数えます。加山さん、江ノ電に乗るのは数十年ぶりだとか。
電車大好き人間なんだよ。ベルもおんなじ。ドアー閉まりま〜す!ほらあ、あはっはっは。これ全部、おんなじなんだ、声までおんなじ。

江ノ電の車内に加山さん、どこか違和感が・・・。

Q:江ノ電に最後に乗ったのはいつですか?

いつごろだったかなあ!?ずっと前だねえ、それこそ。

覚えてないくらい、昔なんですねえ!

こっからはさあ、道路の上走るからよう。昔の、都電とか市電みたいになるんだよ、ほら!

江ノ島駅を出て、腰越に向かうと江ノ電は車道に突入。
今はすっかり見かけなくなった、古き良き風景です。
そしてここからは藤沢発鎌倉行きのハイライト。
(BGMは「七里ガ浜」)

サーファーがいるよ、二人ぐらい、波なんか全然ねえじゃん。

こうして、江ノ電は百年もの間、湘南の風景の一部として彩ってきたんですね。すると、加山さんは海を間近に感じられる鎌倉高校前駅に降り立ちました。

”加山雄三 テイクオフの瞬間とは”
テイクオフ!?
う〜ん、何回かあるよな、やっぱりな。一番最初の大きな分岐点というのは、大学を卒業してこの世界に
入るとき。
普通のサラリーマンになろうと思って、会社の資料をもらってきて、その資料をテーブルに置いといたら、友達が夏休みで来てて。

「なんだ、これは?」って言うから、「これか?就職しようとしてんだよ」と言ったら。「バカ野朗、オマエはサラリーマンって柄じゃあねえよ。お前はねえ、親父の跡継いで一儲けして、船が好きなんだから作ればいいじゃないか」って、話になって考え直した。
そこでもって、スパ
ンと方向が。やっぱり、親父の道というか、そこになった。それが、大きな分かれ道の最初だったね。

それでまあ、俺が良かったと思うのは、”若大将”っていう映画に出会ったことが、完璧に、一つの僕の生きる道というかな、俺がだんだんだんだん、いつの間にか、音楽というものの、重さみたいなものは全部、生き残っていったというか。
で、ステージをやりだした。
そのステージをやりだしたのが、音楽の本格的な、僕の若大将として、加山雄三として、そのステージに立って、やるというのが、すごくまた大きな分岐点。
そこで、本当の俺の生きる道みたいなものが、見つかったような気がしたもんね。

もう、やっとこの50周年を迎えて、やっぱ武道館やって、ガイシホールやって、大阪城ホールやって、全部満杯になった時に、こんなに、みんな見てくれる人がいる、喜んでくれる人がいる。俺は、この道ずっと続けてきて良かった!ここでまた、確認があって。これからが、また大きな分岐点だな、はっきり言って。

もちろん、”湘南”を代表する人間として、”湘南”が育ててくれたから、これからも”湘南”を愛しながらね、”湘南”の香りのある音を、皆さんに届けたいなあという気持ちでいっぱいです。

湘南に育てられ、ここが、全ての始まりだと語る加山さん。続いては、そんな加山さんの原点とも言える曲を、キマグレンのお二人とコラボでお送りします。

「BOOMERANG BABY」

俺の60歳の誕生日のときに、トリビュートアルバムやってくれたじゃん?あれ、日本で最初だぜ!?トリビュートっていうのは。あれさ、20グループ?すごいメンバーが歌ってくれたの。

前田)あれが走りだったんですね。加山さんがすげえなって思ったのは、「ありがとうな!」って言っていただいて、お礼にねギターもらったんですよ。わざわざスタジオまで来ていただいて。

それはもう、当然でしょう。だって、感謝の気持ちが一杯になっちゃったからさ、どうしようか?って。エレキで、いいんじゃないかって。

前田)キマグレンから見て、加山さんっていうのは?

KISEKI)それこそ、親とか親以上にお爺ちゃんとかが聞いてた音楽なんで、「歩くレジェンド」っていう風に言ってるぐらいなんで、すごく不思議な感覚なんですよね。うまく表現できないんですけど。さっきも見させてもらって、テレビの中を見させてもらってるような・・・。

前田)そうねえ、3Dでいることが不思議なんですよね。

ISEKI)ジャンルとか超えて、海とか潮の臭いを感じるじゃないですか僕らもそういう匂いがするとよく言われるんですが、そういう音楽の最初っていう感じ。

前田)加山さんの作る音楽というのは比べるものが無いという気がするんです。

それは俺、いろんな人に言われたもん。

「君のために」。

高度成長期の終えんを迎えた日本では、新しい音楽の時代が到来していました。「ニューミュージック」と呼ばれた都会的なサウンドは、湘南のみならず日本全国を席巻、そんな中、湘南を代表するバンドが誕生しました。

サザンオールスターズ、1978年デビュー以来、日本の音楽シーンを走り続けています。

前田)湘南サウンドを語る上で、サザノールスターズは、なくてはならない存在で。

もう、大変な存在だよ。

前田)最初に出てきた時のインパクト、我々は中学生ぐらいの時でしたが、強烈なインパクトで!偉大なる先輩という感じですね。

あのサザンの、日本語がねこんなにロックぽく、ちゃんと聴こえる、発音?あれ、彼が開発したんだろうな。


「I AM YOUR SINGER」

湘南に相応しい、夏や海を感じさせる曲から恋愛や社会風刺に至るまで、様々なテーマの楽曲を奏でるサザン。その歌声を、みんなが待っています。


前田)ぜひ元気で、ここにもね、いてくれたら言う事なかったんですけども、また今度機会があったらね、まだお会いしたことないんでしょ?

ISEKI)はい、お会いしたいですね。

前田)桑田さん、会いたいって!

KUREI)好きです!って、告白したい。

「いとしのエリー」「チャコの海岸物語」「湘南My Love」(TUBE)

「いとしのエリー」
「湘南My Love」 「チャコの海岸物語」
前田)これからの湘南に付いて、どうあってほしいか?

大自然が我々を支配してるっていうか、それは変わらないと思うんだけど、いいビーチにするか、とかさ、綺麗なビーチにするかっていうのは、我々人間のやることだから。砂浜が削れてっちゃったら、もう一回、砂浜に砂を持ってくるという方法を考えてさ。

我々が、後世の人にそれを残したらさ、みんなやっぱり”湘南”持ってるってなると思うよ。

前田)また綺麗になってきたかなと思ったんですけど。

海だろ、水だろ、その通り!もの凄く綺麗になってる。東京湾が綺麗になってきたからなんだよ。前は東京湾がもの凄く濁ってたんだよ。潜ったって自分の手の先が見えないくらい。それが流れ込んできてたんだな。俺の子供の頃はさ、波が起き上がると、そこへさ、ボラが並んで泳いでるのが、透き通って見えたからな。

湘南は永遠に文化の発祥の地というかさ、発信の地だな。音楽にしてもアートにしても、宇宙飛行士も茅ヶ崎から出たじゃないですか。湘南は大自然と繋がっているところがあって・・・。行動を起こすのには仲間が必要だ。「この指とまれ」って言ったら、止まるか?

前田)止まります。

ISEKI)ほんとに、凄くいい経験をさせていただいて、僕らもボクラの後世に、残していかなくちゃいけないという気持ちを学んだ気がします。ボクラでやれることを最大限やって、何か後世に残せたらなと思います。

前田)中間管理職みたいな年代なんですけど、それがまた溜まらなくいいポジションで、下から出てくる人が楽しみだし、先輩が頑張ってることも励みになるし、いつまでもこの距離感で上と下が増えていってくれたら、最高のコラボレーションだなあと思います。

俺も、たまにはこういうことやらしてもらいたいなあと思うねえ。刺激になるんだ、お互いに。もの凄い刺激的だよ。

頼みがあるんだよ、俺の一番新しい曲、作品ナンバー508、「座・ロンリーハーツ親父バンド」という曲を、みんなでやってくれる?

終わり

(今回は、加山さん出演部分のみのレポートとなっております。
 TUBEとキマグレンについては、割愛した部分があります。
 悪しからず、ご了承ください)

11年02月17日新設