TIME is LIFE トキメキの時

(BS TBS 10月9日〜30日 毎週火曜日)       

10月から始まったテリー伊藤さんの番組に、加山さんがゲスト出演されました。

10月2日から始まった番組でしたが、2日の内容はありません。
悪しからずご了承ください。

 「曲がひらめく時」(10月9日)
テリー)加山さんは、日本で最初のシンガーソングライターっていってもおかしくないですよね。

いやあ、シンガーソングライターは他にもいらっしゃいますよ。ただ、映画(若大将シリーズ)を通して大ヒットしたのとメジャーになったというのは私が最初だって言うふうに言われるから、どうしても最初になっちゃうんだと思うんですけど。でも、珍しかったと思うね。少なかったですもんね。

テリー)「君といつまでも」、あれ、どのくらい、350万枚かなあ?

実数で350万枚いったっていってましたね。

テリー)すっごいですよねえ!あれはどういうきっかけで誕生したんですか?

あれは、その前に作った「恋は紅いバラ」というのが、大学3年か4年の時に作った「デディケイテッド」という英語で作詞作曲した曲を(映画のために)プロデューサーが、藤本真澄さんだけど、「ああ、日本語、日本語!」「映画の中くらい英語で歌わせて下さいよ、ハワイでしょう、ハワイのロケだから」「それはダメだ、日本語にしろ!」、それで「恋は紅いバラ」になった。「デディケイテッド」という曲が「恋は紅いバラ」に変わって、それがものすごいヒットしちゃったわけだよ。

テリー)私も買いましたよ。

あ、すいません、ありがとうございます。

 

それでまた(レコード会社から)
「同じコード進行でいいから、これよりもっといい曲作ってくれ」って。
「そんな注文あるかい」って。それでも、「わかりました」って言って、締め切りの前日までほったらかしだよ。
追い詰められちゃったわけだ。それで(前日の)夜に、♪アイ・ラブ・ユー♪だから♪タラララア〜♪でいいだろう、って。そいでそれを変化させてずっとやって一時間半ぐらいでまとめて、譜面におこすの面倒くさいから、そのまま録音したテープをそのまま持ってった。で、渡しちゃった。(歌のレコーディングのときに)カラオケが出来てきた。さあ、そのカラオケを聴いた時にはブッ飛んだね。俺がピアノで♪タラララア〜♪って弾いてたのが、オーケストラになってて。うわ〜すげえ!俺の作った曲、こんなになっちゃうんだって。

テリー)セリフが入ってましたよね。

それはさ、エルヴィス・プレスリーの曲聴いてるとさ、結構セリフ多いんだよ。で、(君といつまでもの)間奏が始まった時に、いい間奏になんか言いたくなっちゃったわけだ。で、思わず、
「いやあ幸せだな」って言ったら、(スタッフが)
「それ良いじゃないですか」って、なっちゃったわけ。それだけじゃしょうがないなあって、あとも作ってやってたら出来ちゃった。結局は岩谷さんが作詞のときに書いたんじゃなくて、レコーディングしてる最中に、「幸せだなあ!」って言ったのがそのまんま入っちゃった。

テリー)ということはエルヴィスの影響もあったんですね?

ああ、もう。エルヴィスがいなかったら僕歌ってないですよ。エルヴィス・プレスリーっていうのは、僕が高校の時あたりに出てきて、彼の歌を聴いた時に、カッコいいなあ!って思ってね。

 「苦難を乗り越えた時」(10月16日)
テリー)社会的にもね大きな問題になって加山さんもたいそうな借金を抱えたと思うんですけど。

僕自身というよりもね、結局叔父のやったことでしたからね、まあやむを得ないというか、当時、相当無理したなっていうか。高利貸しの方に手を出さなきゃならなくなって、まあいろんな意味で累積赤字がどんどん溜まってそして結局は倒産しなければならない状況になる。その時の負債は総トータルで43億(円)ていわれたけれども、手形がダブッてたということもあって、全部で23億(円)だったわけ。

テリー)健康的な若大将のイメージからちょっと大変な思いをして、奥さんとアメリカに逃げたというイメージがあったじゃないですか。あの頃は大変だったんじゃないですか?

いや、大変だったっていうのはね、若大将で売れてる方が虚飾であって、大変な方が真実なわけ。
僕にとっては人生っていうのは、そんなに容易いもんだとは思ってないし、まあ売れて売れて売れまくって、皆さんが喜んでくれてて、東宝は儲かってそれでOK。
俺は(売れて持ち上げられる方が)怖かった。宣伝効果で、棒の上に乗っけられていつバッタリ倒れるか、というようなことを心配してたら、案の定バッタリ倒れた。
ただそれだけのことだったということで、大変なのは、いくら返済しようが仕事は減るわ、なるようにしかならない、ただ生活は厳しいから節約する。

テリー)奥さんとはどういう生活だったんですか?

どういう生活っていっても、奥さんのアパートに潜り込んでそこで静か〜に居候してただけの話だね、結婚しててもね。国税局まで一生懸命挨拶に行って、「収入の一部は認めていただけないでしょうか」全部持ってっちゃうというのはこれは、死ねというのと同じですよ、って。それをお百度踏んでね「じゃあ(国税の判断で)何%かは認めよう」それで、多少なりとも入ってきたから、これでほんとにやりくりして。

テリー)食事をやりくりして。

食べることだよね。食べる物も買えないから、要領よく友達に電話して「何か飯食わせろよ」「ああいいよ、来いよ」って。それで夫婦して食べに行って。

テリー)奥さんとはどんな会話をしてたんですか?

「何とかなるわよ」だよ(笑)。

テリー)何とかなるわよ、奥さん、意外と楽天家だったんですね。

楽天家、っていうより、丈夫ですよ!!非常に丈夫ですね。

 「幸せなおもてなしの時」(10月23日)

テリー)もともと、料理はどうやって覚えたんですか?

いやいやいや、教わってない。結局、ほら、船を造ったでしょ、昭和39年に。ちょうどオリンピックの年に進水したのよ。第一号が。大借金の前で。それで、それこそ、コックの居るような船じゃないんだ。だけど、仲間は集まってくる、7,8人。寝泊りする。

作らなきゃならなくなる。ご飯だけ炊いてさ、魚は釣ってってわけにはいかないから。雑誌に、昔ね、レシピカードみたいなものが入っていることがあったの。それを貯めること、貯めること。こんなになった。それ(カードのレシピ)を全部できるようになったよ。「もっと美味しくするにはどうする?」って。だんだんやっているううちにね、ハマったんだなあ。っていうことはね、作ったものを(お客さんが)これ作ったんですか?」「俺作ったんだよ」「美味いな」って、喜ばれることがうれしくってさ。

テリー)加山さん作ったら美味しそうだなあ。

今は、かなり腕あげましたねえ。で、結局ね、レストラン行ってね、美味しいもん食べた時に、「これ、すっげえ美味いなあ、これ、どうやってつくるんだろうなあ」とかいろいろ言うとね。ボーイさんが聞いててシェフの所に行くんだね。シェフが帽子被ったまま来てさ「ありがとうございました。ようこそおいでくださいました」って。「ねえ、これさ、これとこれと・・・って、大体こうやってやんだろう」って聞いたら、「ああ、良くおわかりですね。でも、ちょっと違いますね」って。「あ、違うんだ。じゃあ俺工夫してみよう」っていうと、帰りにレシピ書いてくれるの。それでね、「一つだけご自分でお探しください」って。

テリー)粋ですね。

増えた、増えた。どんどん作って行くうちに良いのがどんどん出来て、香港行ったら、香港の中華料理の美味いのが、「なんで、こんな味が出るんだろうか」とかが、やってるうちに超えちゃったりするんだ。

テリー)レストランとか行くとフルコースのメニューがあるじゃないですか、ああいうのを加山さん自身が書いて・・・。

あるよ。あるんだよ。ちゃんと「光進丸」って金文字で書いて。例えば8人お客様が来たら、今日の料理って決めてプリントするんだよ。最後に、シュフ、加山雄三ってサイン入れて、これを「どうぞ、お持ち帰りください」って。

テリー)これだもん、ありえないですよ、これは。

だんだんそうなるよ。

テリー)僕も最近、船に懲りだしたんで。

懲りだしたんでしょ?5年も経ったらやってるよ。

テリー)この前、コンビニでおにぎり買ってきてたんですよ。

最初はそれでしょうがないよ。

 「若大将 挑戦の時」(10月30日)

テリー)加山さんがこれから挑戦しようと思ってることを教えてください。

「ゼロエミッションウルトラエコシップ」という名前をつけたんだけども。

テリー)もう一回言ってください。

「ゼロエミッション」、要するに汚いものを出さないという意味もあり、「ウルトラエコシップ」、「エコシップ」といのは沢山あるんだけれども、「ウルトラ」ってつけたのは、全く化石燃料を使わない。つまり再生可能エネルギーだけで走る船というか、生活が出来る場というか。

テリー)どういうエネルギー?

だから、ソーラーパネルと風力発電なんだけど、それをどういうふうな形でもって使うかということを長いこと研究してきて。

3.11(東日本大震災)以来、これは「災害救助」になるな、と。結局、「移動式発電所」という考え方になってきた。何にも排気ガスがなし。音も無し。風が吹いてれば発電してるし、昼間になって明るくなれば発電してるし。震災が起きた時絶対必要になる。

テリー)それを、加山さん今、設計しちゃってるんですか?

k設計全部出来ている。第一段階の設計ね。第一段階の計算は全部終わってるんだけど、これからもミーティングがあって、参加してくださってる人達が、工学博士であったり、流体力学専門のね。

テリー)いつぐらいに完成?

完成するのは、実験を重ねていかないといけないから3年くらいかかると思うよ。5年後にはちゃんと世界を走れるようにしたい。なんていうのが、大きな夢だね。

テリー)何フィートあるんですか?

下にフロートみたいになってる端から端までが98.5Mぐらい。長さはそれくらいないとまったく揺れないで走るというのは難しくなるからね。

テリー)フロートはダブルなってるんですか?

k4本ついている。ヒントはアメンボーなんだよね。そしたら流体力学の博士がね、「自然から学ぶことが一番効率がいいんだよね」っておっしゃってくださったから、「ああ、やっぱりうそうかなあ」って。どっかのヨーロッパの自動車がカッコ良いのを一生懸命コンピューターで考えたけど、それが、ある奴がピューマの走っている瞬間のスタイルをやったら、それが一番効率が良かったって。つまり、自然から学ぶ方が良かったっていう話をしてくださったんですよ。

テリー)加山さんが一番最初に船を作ったのはいつごろ?

14歳。それは手作りで。だから、今から61年前。

テリー)61年経って今度は、エコの船を作るって、やっぱり海と離れられないですね。

そうね、やっぱり海で生活したっていうか、海の見える丘の上で生まれて、海の傍でず〜っと育って、今は海の上に住んでるようなもんだよ。そうするとやっぱりどうしても、海と離れられないというか。

                        

 

       終わり

2012年11月08日新設