|
|
秋山)加山さんというと俳優としてもそうですし、ヨットマンとしても、ゲームでも鉄道でも 良くご存じですね。 秋山)きょうは音楽のお話で行きます。加山さんと音楽の出会いと言うのはいつぐらいなんですか? 我が家の両親とも音楽が非常に好きだった。親父がクラシック、お袋は流行歌。両方の間に挟まってる 見様見真似で。それが小学校4年生の時。それでそのお姉ちゃんが、家の親父に 秋山)そこから本格的に始めるわけですか? 先生に言わせれば出来の悪い弟子だった。来週までこれやっときなさいというのをやってない。 秋山)とにかく、先に先に行きたいという気持ちが勝ってたんですね。ご近所のピアニストの方が? はい、レオニード・クロイッツァーさんという世界的ピアニストの人が4軒ぐらい隣に住んでた。 秋山)いつも加山さんが聴いてたピアノを弾いてたんですね? ショパンですよ。それをお袋に言ったら 秋山)結局、クロイッツァーさんには習えなかった? もちろん習えないけれども奥様がピアノの先生を紹介してくださった。それで、つまんないのばっかり。 秋山)練習は好きではない? 練習はつまらないですね。怠け者ですよ。 秋山)習いに行きつつ、作曲を始めるのもこの頃? それは14歳ぐらいの時ですね。練習曲のつもりで弾いてたんですね。そしたら親父が立ってて、 秋山)そのフレーズは頭の中に残ってたんですか? そう、第一主題のメロディーはね。覚えててね。お袋に言わせれば |
|||
秋山)もうその頃から原型は出来てたんですね。バンドはいつから? それはね、ギターに初めて出会ったのが高校1年生の時で、スキー場に質流れのギターを持ってきた 秋山)ギターも1時間!? ただね、絃高が高かったわけ。握力が無きゃ弾けないもんだと。ギタリストってすごい握力の持ち主 秋山)約60年ですよね。 60年以上だよ。 秋山)6人編成ですね。 そう、ただそのうち2人、亡くなってる。あの世に逝っちゃった。 秋山)歴史ですね。その時の感じが集まると甦る感じですか? いやいや、CDにも入ってるのがあるよ。 秋山)で、歌手デビューが1961年。大学の若大将の「夜の太陽」で歌手デビュー。 これは僕が作った曲じゃな〜い。 秋山)1966年「エレキの若大将」の主題歌「君といつまでも」が350万枚の大ヒット。すごいですねえ。 これは僕が作りました。信じられなかったですね。でもその当時っていうのは、そういう風に売れる 秋山)その曲をお聴きいただきましょう。 「君といつまでも」 秋山)今、この曲を聴きながら作曲秘話を聞いてましたが、ビックリですね。何分で作られた? 1時間半ですね。この前に「恋は紅いバラ」という曲があって、それが大ヒットしたんですよ。 秋山)そんな無茶振りから、あんな名曲が生まれたわけですね。 編曲とか詩というのは、偉大ですね。自分が作った曲が、こんなに良いアレンジになるとは夢にも 秋山)”しあわせだなあ”というのは? アレンジが余りにも良く出来てきて、関西に映画の撮影で行ってて、毎日放送でレコーディング 秋山)信じられない話がね、続きます。 |
||
期間限定で、加山さんの言葉の音源を掲載いたします。(音源の掲載は終了しました)
|
||
終わり | |||
2017年06月01日新設
|
||||