音楽との出会い〜「君といつまでも」作曲秘話

秋山)加山さんというと俳優としてもそうですし、ヨットマンとしても、ゲームでも鉄道でも
   加山さんの名前が出る。

良くご存じですね。

秋山)きょうは音楽のお話で行きます。加山さんと音楽の出会いと言うのはいつぐらいなんですか?

我が家の両親とも音楽が非常に好きだった。親父がクラシック、お袋は流行歌。両方の間に挟まってる
から、どんな曲でも作るようになっちゃった。足ふみオルガンが1台家にあったんです。ある女性が
家に来て、14、5(歳)の可愛いお姉ちゃんだったんだけど、ハーフのね。その娘がバイエルの74番を
弾いたんですよ。それに魅せられて
「教えてよ、教えてよ」って。譜面も無かったんだけど1時間半ぐらいで弾けるようになっちゃった。

見様見真似で。それが小学校4年生の時。それでそのお姉ちゃんが、家の親父に
「この子は絶対ピアノを習わした方が良い」って。そしたら親父がしばらく経ったら中古のピアノを
買ってくれた、吸収が非常に良かったんですね。何でも吸収するのがものすごく早いですね。

秋山)そこから本格的に始めるわけですか?

先生に言わせれば出来の悪い弟子だった。来週までこれやっときなさいというのをやってない。
自分の好きなのしかやらない。曲が弾きたくてしょうがないから。「エリーゼのために」とか、
「乙女の祈り」とかさ。ツェルニーとかハノンとか、あんなのやったって面白くもなんともないん
だよね。やらなきゃならないのはわかっちゃいるけど、全然ダメでしたね。

秋山)とにかく、先に先に行きたいという気持ちが勝ってたんですね。ご近所のピアニストの方が?

はい、レオニード・クロイッツァーさんという世界的ピアニストの人が4軒ぐらい隣に住んでた。
そこを通って学校へ行ってたんだよね。時々ピアノのすごいのが聴こえてくるわけ。学校の帰りに
聴いてた、楽しみで。ある時、何も鳴ってないから壁によっかかってたら外国人のおじいちゃんが
「君はそこで何してるんだ?」って言うから
「ここで時々ピアノが鳴ってるのがすごい好きだから」って。そしたら、
「こっちこい」って、怒られるのかと思って、恐る恐る付いて行ったら「中に入れ」って言いだした。
「ここで待ってろ」って、そしたらいきなりドワーンってピアノの音が鳴りだした。二階から奥様が
降りてこられて
「あなた何してるの?」
「呼ばれて、夢中になって聴いていたんです」。

秋山)いつも加山さんが聴いてたピアノを弾いてたんですね?

ショパンですよ。それをお袋に言ったら
「あんたピアノをその先生に教えてもらいなさいよ」って。お願いしに行ったら
「うちではそういうことはしておりません」って。 それが家の親父にわかったら
「馬鹿者!あんな世界的な人にピアノを教えてくれと言う親がどこに居るんだ!」。
大変なお説教になっちゃった。

秋山)結局、クロイッツァーさんには習えなかった?

もちろん習えないけれども奥様がピアノの先生を紹介してくださった。それで、つまんないのばっかり。

秋山)練習は好きではない?

練習はつまらないですね。怠け者ですよ。

秋山)習いに行きつつ、作曲を始めるのもこの頃?

それは14歳ぐらいの時ですね。練習曲のつもりで弾いてたんですね。そしたら親父が立ってて、
弾き終わったら
「それは何だい?」
「これは俺が作ったんだよ」
「たいしたもんだ、お父さんピアノコンチェルトが好きだから、いつか勉強してピアノコンチェルト
を作曲して父さんにプレゼントしてくれよ」
「ああ、良いよ」って。その後々に作ったんですよ。でも14歳の時に第一主題のメロディーはもう
頭に生まれてたんだよ。話してる最中に。それがそのまんまそっくり何十年も経ってから作曲した
中にちゃんと入ってるんだ。

秋山)そのフレーズは頭の中に残ってたんですか?

そう、第一主題のメロディーはね。覚えててね。お袋に言わせれば
「あんた、音人間で子守歌がダメ、子守歌歌うとワンワン泣いちゃうんだって。変な子だね。しょう
がねえからジャズをかけるとスヤスヤ寝るんだ」って。

秋山)もうその頃から原型は出来てたんですね。バンドはいつから?

それはね、ギターに初めて出会ったのが高校1年生の時で、スキー場に質流れのギターを持ってきた
やつがいてカントリーを初めて聴いたの。なんか素朴で良いなあって。クラシックしか知らないから。
これまた1時間ぐらいでね。

秋山)ギターも1時間!?

ただね、絃高が高かったわけ。握力が無きゃ弾けないもんだと。ギタリストってすごい握力の持ち主
だなって。ただ、ネックが反ってただけだった。ローコードの方は大丈夫だったね。 後でそれを
知るわけだけど、「アイ・ドント・ハート・エニイモア」を覚えて、それが始まりで。そのうち
みんなが弾きだした。大学の1年の時にカントリークロップスという名前を付けて、未だに集まって
るよ。永いんだよねえ。

秋山)約60年ですよね。

60年以上だよ。

秋山)6人編成ですね。

そう、ただそのうち2人、亡くなってる。あの世に逝っちゃった。

秋山)歴史ですね。その時の感じが集まると甦る感じですか?

いやいや、CDにも入ってるのがあるよ。

秋山)で、歌手デビューが1961年。大学の若大将の「夜の太陽」で歌手デビュー。

これは僕が作った曲じゃな〜い。

秋山)1966年「エレキの若大将」の主題歌「君といつまでも」が350万枚の大ヒット。すごいですねえ。

これは僕が作りました。信じられなかったですね。でもその当時っていうのは、そういう風に売れる
もんだと思っちゃうんです。すごさというのは後でわかるんだよね。

秋山)その曲をお聴きいただきましょう。

「君といつまでも」

秋山)今、この曲を聴きながら作曲秘話を聞いてましたが、ビックリですね。何分で作られた?

1時間半ですね。この前に「恋は紅いバラ」という曲があって、それが大ヒットしたんですよ。
そしたら渡邊プロの渡邊 晋さんが来てね
「加山君、あの曲よりもっと良い曲、書いてくれる?同じコード進行で良いから」って。
「そんなの頼まれたって、俺やんないよ」って。
締め切りの前の晩になって、同じコードで。ギター持って。

秋山)そんな無茶振りから、あんな名曲が生まれたわけですね。

編曲とか詩というのは、偉大ですね。自分が作った曲が、こんなに良いアレンジになるとは夢にも
思わない。

秋山)”しあわせだなあ”というのは?

アレンジが余りにも良く出来てきて、関西に映画の撮影で行ってて、毎日放送でレコーディング
やるのにスタジオに入ったら、音が出てきた。その音聴いた途端に「ウォ〜!?」って。昔は間奏の
時に喋るのは、エルヴィス・プレスリーがやってた。
「いや、こりゃあ幸せだなあ」って。それ行きましょう!ってなった。咄嗟に思い付きで。

秋山)信じられない話がね、続きます。

 

期間限定で、加山さんの言葉の音源を掲載いたします。(音源の掲載は終了しました)

 

終わり

2017年06月01日新設