ピアノからギターそしてバンドへ 

(BGM 恋は紅いバラ)

田家)岩谷時子さんとの出会いの曲。日本語で歌うようになった最初の曲。元々は「DEDICATED」。

これは大学の3年の時の曲ですね。周りにアメリカンスクールに言ってる連中が多かったんです
よね。自分で書いてみて、これで正しいか、聞いたりしてたやりとりがあって出来あがった曲です。

田家)この曲を聴いた時に日本人でこんな曲があるんだって思った人が僕らの年代、たくさん
   居る
んですけど。

聞いたこと、ありますね。

田家)お作りになった時は、そういう風には思ってなかったんですか?

エルヴィスはずっと意識してました。なんてったってレジェンドですから。

田家)加山さんの音楽の体験が、8歳の時に叔母様が弾いてた?

バイエルの74番ですね。小学校3年生だったかな?

田家)そういうクラシックをおやりになった方にエルヴィス・プレスリーとか?

最初はね、ピアノを習い始めたんです。実は親父がクラシック一点張りの男だったんですよ。
だから家にあるレコードは全部クラシックだった。それを聴きながら育ったんで、クラシックは
偉大な存在なんだという風に植えつけられてるわけです。だけども、高校の時に初めてスキーの
合宿にね、質流れのギターを持ってきたやつが居て。カントリーウエスタンを歌ったらものすごい
新鮮に感じちゃって、そこからポップス系の方に流れちゃって。その後すぐ、エルヴィス・
プレスリーが出てきた!

田家)その前にカントリーがあった?

そうなんです。一番最初がカントリーなんです。高校の時にバンドの形になったバンド名が
カントリークロップス、田舎で採れたもの=田舎者という感じでね。

田家)戦後にジャズやカントリーに惹かれた人たちが平和になって音楽が出来るんだという気持ち
   と一緒になって解放感とともに聴いたり演奏していた。ロックンロールというのはそういう
   音楽ですよね。

アメリカの高度な音楽を追随したいじゃないですか?ジャズも本当の意味で自由に演奏できる
ようになってから皆さん一生懸命になってバンドを作ってた。だけど入って来るロックをその
まんま完コピしてるやつは一人も居ないんですよ。全部日本語で、違うんでないかい?と思い
ながら、乗ってないよ、これは!?我々は英語で完璧にコピーしようぜって、そこから始まって。
出来るだけ忠実にやったんですよね。それが良かったのか、悪かったのか、ずっとあと
引いちゃってますけどね。

田家)でも、こうやって時を超えたロックとして僕らが楽しむことも出来てるわえです。
   それでは、そういう流れの中でこの曲もありました。「YESTERDAY」もう1曲
   「DIMONDLINE」をお聴きいただきます。

「YESTERDAY」〜「DIMONDLINE」

田家)ビートルズとベンチャーズでした。そしてこの曲の後にベンチャーズと一緒に作った
   という加山さんのオリジナル「バーガー&ヌードル」が続くんですが、プレスリーとも
   ビートルズともベンチャーズともお会いになってる唯一のミュージシャンですね。

ここまでを期間限定で音源を掲載いたします。(掲載終了しました)

 

2017年08月10日新設