夜空の星&君といつまでも 

(BGM 夜空の星)

田家)流れてますのは「夜空の星」。1965年のシングルで14歳の時に作った曲です。

ピアノの練習曲としてバイエルのようなものを、ピアノをいじくり回して弾いてるうちに何となく
バッハみたいな曲を作りたくなったんで、作ってピアノで弾いてたんですよ。うちの親父が後ろに
居て、弾き終わったら、なんだよ、その曲は?って言うから俺が作ったんだって言ったら親父が、
お父さんピアノコンツェルトが大好きだから、いつか勉強してお父さんにプレゼントしてくれよ。
って言ったのが、この曲の思い出なんですね。

田家)最初の楽器はオルガンでしたよね?

一番最初は小学校の3年生ぐらいの時に、茅ヶ崎の海岸の方の家じゃなくて、古い家に住んでた
時に、その家に足ふみオルガンがあって、ある女性が家に来た時にバイエルの74番を弾いて、
すごい魅せられて、教えろ、教えろって。譜面も読めないのに覚えて弾けるようになったんですね。
そのお嬢さんが親父に、この子はピアノを教えた方がいいと言ってくれたんで親父が後々中古の
ピアノを買ってくれたんですけれどね。

田家)ギターも最初は質流れ品だったとか?

友だちがね、スキー場へ持ってきたんですよ。ギターを初めて触れるし、見たし。高校1年
でしたね。そいつがカントリーを弾きだしたのが、それまで知らない世界に魅せられちゃって。
そしてカントリーに興味を持ったやつが集まってきちゃって、大学生になるちょっと前に
バンドが出来ちゃったですよね。

田家)それまではギターには全く関心がなかった?

聞いたこともないので、ものすごい新鮮に感じて。いいなあと思ったですよ。

田家)で、エレキはベンチャーズということになるんですか?

そうじゃなくて、カントリークロップスでやってたカントリーも間奏でエレキが入る。
エルヴィスのバンドも間奏にエレキが入る。それで箱型のエレキを借りてきて練習したのが
一番最初のエレキとの出会いです。

田家)加山さんにもそういう時代がおありになったんだ。それでは「君といつまでも」を。

「君といつまでも」

田家)このメロディーが浮かんだ時は覚えていらっしゃいますか?

覚えてるも何も、さきほどの「恋は紅いバラ」がヒットして渡辺晋さんが僕のところへかっ飛んで
きてね、「恋は紅いバラ」と同じコード進行でいいからもっといい曲を作ってよって言われて。
ピアノに向かって、同じコード進行で♪タラララ〜♪ってやって1時間半くらいでまとめて。
譜面に書くのも面倒くさいからテープで渡したんです。

田家)セリフはスタジオでアドリブ?

編曲のすばらしさ。間奏で♪タラララ〜♪って出てきた時に、うゎ〜幸せだなあって一言言ったら
ブースの中に居たみんなが、それ、いきましょうよって。当時エルヴィスがセリフを言ってたじゃ
ないですか!?そういうのを真似して入れたのが始まりですけれど。もちろんアドリブですよ。

田家)当時、なぜこの曲がレコード大賞を取らないんだと思ったんですよ。こういう仕事をする
   ようになって当時の審査委員長に話を聞く機会があったんです。大賞は霧氷、橋幸夫さん。
   決選投票になって23対16で霧氷になったんですって。霧氷に入れた人たちの、加山さんに
   入れなかった理由の一つに、加山君は俳優が本業で歌は遊びだって言ってなかったか?
   というのが口実にされたという話を聞きました。

なるほどね。

田家)レコード大賞って、当時意識はされてました?

全然!それこそ遊びでやってるから、特別賞か?特別だからいいじゃんかって。ただ、周りが結構
騒がしかったように思いますね。

田家)実はそういうことでありました。

なるほどね。それは後で僕も聞きました。それはごもっともと思ったですね。

ここまでを期間限定で音源を掲載いたします。(掲載終了しました)

 

2017年08月24日新設