ぼくの妹に&この愛いつまでも 

(BGM ぼくの妹に)

田家)1976年のシングル「ぼくの妹に」。加山さん39歳。結婚もされて環境も生活も変わって。
   そんな中の曲ですね。

生活的には非常に苦しい時代ですよね。やっとこさ食べていけるような状態だったですね。

田家)これは岩谷時子さんの作詞ですね。

そうです。ファンの人たちに、こういうお兄さんがいたらいいなあって思ってもらえるん
じゃない?って、言ってらっしゃったから。ああ、「お嫁においで」の次はこれか!? って。
これも大変嬉しかったですね。

田家)60年代と70年代というのはいろんなことが変わったんだと思いますけど。2000年の
   グレーテストヒッツというアルバムの中で、山下達郎さんと対談されてたでしょう?
   その中で達郎さんに加山さんが60年代、あの頃は日本に参考に出来る対象はあんまり
   無かったんだよって仰ってて。やっぱり、そうだったんだって思いましたけど。

そうですね、確かに。

田家)師匠が居ないっていう話もありますけど、多重録音もご自分で。

ワイヤーレコーダーで。針金の細いようなものがテープの代わりなんですね。ワイヤーに録音
されるんですよ。ワイヤーに音が入っちゃうんだ!?電磁波に変えてから再生する時はまた音に
変えて出てくる。初めて出会ったのが高校生の時だから。今でもそのワイヤーレコーダーが
残ってて。マイクロフォンが無いんですよ。その当時、録音したやつが再生したら出てきましてね。
「Treat Me Nice」というピアノと歌ですけども。

田家)エルヴィスの?僕大好き!

自分で歌ったやつが入ってたんだよな。それを親父が手に入れてきた翌年、テープレコーダーが
手に入った。この二つが揃ったということで、最初に録った音を出しながらもう1回歌ったり
演奏を入れると、二人で演奏したことになる。コーラスが出来る。またワイヤーレコーダーに
戻すと3人に、また戻すと4人になって。ブラザース・フォーの「グリーン・フィールズ」が出来た。

田家)高校生、1950年代であります。パイオニアと呼ばれる所以がここにもあります。それでは
   81年のシングルをお聴きいただきます。「この愛いつまでも」。

「この愛いつまでも」

田家)80年代を迎えられた時はどう思われました?

音楽が根っから好きだったんで。音楽は生涯の親友という位置付けをしてましたから。

田家)当時から?

はい。無理矢理作ることは絶対にしない。気が向いた時に作ってストックしておいて必要な時に
出すという、そういうことをやってたので、シングルに入れたのは自分では、ましな曲だと思い
ますね。だけど勝手な考え方で申し訳ないと思うのは、レコード会社さんには申し訳ないと。

田家)でもこういう曲が生まれております。「この愛いつまでも」でした。

ここまでを期間限定で音源を掲載いたします。(掲載終了しました)

 

2017年08月24日新設