光進丸 沈没1カ月 思い告白
 (フジテレビ とくダネ! 5月3日)

小倉アナ)さて、加山雄三の船、光進丸が炎上してから間もなく
     一か月です。加山さん本人がこの後、生で出演して
     くださいまして、「とくダネ!」だけに思いを語って
     くださいます。

スタッフ)おはようございます。

おはよございます。

スタッフ)加山さん、あれから一か月たちましたが?

いまだに信じられないし寂しいし。

先月、愛する光進丸を失った、加山雄三さん。

どうしたら、いいかなと思ってますけど、本当に正直
言って・・・。やっぱり寂しいですね。

スタッフ)きょうは、よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

 

(羽田空港での会見映像)

思い出は山ほどです。自分の半身を失ったぐらいつらいです。

涙の会見から一月。その後語ることのなかった光進丸炎上のすべてをスタジオで語る。

先月18日、全焼し沈没した光進丸の引き揚げ作業が行われた。船体のいたるところに残る火災の爪痕。
加山さんがわが子のように可愛がっていた光進丸は無残な姿に変わってしまった。

(2005年 フジテレビ めざましTV アニバーサリスト 加山雄三デビュー45周年より)

小倉アナ)光進丸と言うのは加山さんにとっては、どういう存在ですか?

人生そのものっていう感じがして、しょうがないんだよね。

まさにこの船は、加山さんの”人生”、そのもの。内装にこだわり。友人たちや家族と数々の思い出を
作ってきた。

(羽田空港での会見映像)

つらくなって精神的に追い詰められたときは、いつもあの船は温かく迎えてくれて、僕を癒して
くれたんですよ。

会見で涙を抑えることができなかった加山さん。以後、公の場で語ることはほとんどなかった。
ファンからは。

ファンの女性1)画面を見て本当にかわいそうだなと思いました。お子さんを亡くしたみたいな感じで、
しゃべっていらっしゃいましたもんね。

ファンの女性2)笑顔がすごく好きなので、早くあの笑顔で、あの歌声でテレビの前で歌って
ほしいなって思います。

加山さんにとって、かけがえのない存在だった光進丸は、出火原因などの調査のため、現在、清水港に
運ばれている。加山さんは今、何を思うのか、この後スタジオで思いの丈を語る。

小倉アナ)改めてご紹介します。

山アアナ)加山雄三さんです。よろしくお願いします。

おはようございます。よろしくお願いします。

小倉アナ)加山さん、もう一か月ですね?

ちょうど一か月ですかね。

小倉アナ)ニュースで燃えている光進丸、あるいは
     沈没していくところ、あるいは引き揚げ
     られるところ、映像が流れてましたけど。
     ご覧になってましたか?

はい、時間がある限り。

小倉アナ)どんなお気持ちでご覧になってたんだろう?

う〜ん、非常に表現が難しいですけれども。何はともあれ、地元の方がね、それから漁民の方、それから
消防署、警察、海上保安庁。皆さん、ものすごい協力してくださいまして。全力で救おうと努力して
くださいました。24時間一睡もしないで、やってくれた地元の皆さんに、ほんとに心からお礼を申し
上げたい。ありがとうございました。交代要員が来ると寝るところがないですから、皆さん道路で寝てた
んですよね。そういう状況報告を途中聞きながら、これはえらいご迷惑をかけたなあと。
ほんとに申し訳ないなあと。確かに僕の夢ではあるんだけれども、こういう形で皆さんにご迷惑かけた
ことを、ほんとに申し訳ないという気持ちですね。

小倉アナ)光進丸は西伊豆のドッグのところにいつも
     係留してたんですか?

はい。あそこが定位置なんです。

小倉アナ)そうなんですね。地元の人に、そこに停め
     てることで迷惑がかかるだろうからって、
     いろいろ、お気遣いされたり、花火を上げ
     たりとかもやってたと聞いたんですけど。

まあ、何回か、やらしていただきましたけどね。

小倉アナ)出火があったと報告を受けた時、あの時
     確か、加山さん、地方で仕事されてた?

 

あのね、沖縄に居たの。16本のコンサートの、一番最後のコンサートを終わって30分後に出火したんですよね。
その情報を聞いたのが、沖縄で打ち上げをしていて、乾杯をしようと、その時に、ちょっと変な様子になった
なと思ったら、電話が入った。何が起きたのか、信じられない。いったい、なんだ!?という気持ちでしたけど。
一番心配したのは、油の流出ですね。それから人的被害ですね。類焼、そういったものをものすごい心配したん
ですけども。油は出なかったですね。それから類焼もなかったし。それから、けが人が居ない。そこらへんが
安心しましたけど、ここまで燃えてるんだったら、どうしようもないなあ、というような気持ちで見送りました。
ただ、長い間に僕は、ずいぶん幸せをもらいましたからね。いろんな方が来てくださって、楽しい時間を。僕は
14歳から船をず〜っとやってまして、今年で67年間、海と船から離れたことがない人間なので。ここらで、お前
もう船、やめろ!もう諦めてもっと大事なことがあるだろ!?って。天から言われたような気がしましてね。
もう、そんなんで遊んでる場合じゃない!?他に何か、他人のためになることを考えろ!?って天から言われた
ような気がします。

小倉アナ)諦められますか?

諦めるっていうよりも、気持ちはもちろん持ってるんですが、今はそれどころじゃないですね。

小倉アナ)光進丸と加山さんの話というのは、ファンの皆さんを始め、大勢の方が、よく知ってるわけですよ。
会見で涙、流されてたじゃないですか。普通の人があんな風に喋ってたら、たかが船ぐらいでって
言う人が居るかもわからないけど、加山さんに関しては、光進丸のことはみ〜んな知ってるんで。
気の毒がってましたもんね。さきほどのVTRで取材された方もそうですよね。

多くの方に、ご心配をかけたことがね、一番つらいですね。

小倉アナ)半身を失ったようだと仰ってましたけど、コンサートが終わって、ちょうど切れ目のいい時で。
     その後仕事の予定というのは、余り入ってなかったんですか?

そっから、船に乗る予定だったんですよ。

小倉アナ)乗る予定だったんですか?

乗ってたら大変なことになってたと思うんですよ。沖縄に居る日に全焼したということですね。人的被害が
まったくない、それが私は、何よりも救いだったと思うんです。

小倉アナ)オール電化らしいですけど、係留中に、ああいう風に火が出るなんていうことも稀にあること
     なんですかね?

おそらく今まで、そんなあれ(事例)は、ないんじゃないかと思うんですが。やはり老朽してまして。普通、
だいたいこういう船は30年ぐらいが耐用年数ですね。36年から37年目に入ってましたんで。ちょっと長い
のと、かなり老朽が進んでたのと。今これからですけどね、連休明けに原因調査。海上保安庁、警察、消防と。
入ります、これから。

小倉アナ)その間に、加山さんにいろいろ調査が入ったりするんですか?

いや、私は居なかったのと、図面等が全部残ってますんで。それを元にしていただけると思いますが。

小倉アナ)図面も引かれた光進丸。これ、3代目でしたよね。どういう思いで造ったんですか?

ただ、ほんとに自分の夢をね、どこまで走れる船で、どんな生活が出来るか、どのくらいの機能を持った
ものが造れるか、その理想をずっと追ったわけですよ。それで周りの人間は、こんな船、出来るわけない
だろう!?って思ってましたね。ところが、ある日突然そういうチャンスが訪れて。これを建造することが
出来たんで。ああ、やっぱり人間は、夢を持って一生懸命になると可能性が出てくるんだなあと。つくづく
その時から思い始めましたですねえ。

小倉アナ)当時の日本じゃ、あれだけのクルーザーを持ってる人というのは、少なかったですよねえ?

少ないと思いますね。日本で船を持つというのは大変なんです。検査機構とか、操船するための資格とか。
そういうことを全部わかっていて、免許を持って、しかも検査がきちっと通って。平水区域なのか、沿海
区域なのか、遠洋区域なのか、近海区域なのかと、その区域を取るのが大変なんですね。

小倉アナ)加山さんは、いろんな人を光進丸に招待してるんで・・・。

一応ね、いろいろお世話になった方を、お食事とかにご招待をするというのが、我々の世界では、よくある
と思うんですけれども。船で自分が作った料理を食べていただければ、これはきっと喜んでいただけるか
なあということが、まず大前提となったんですけどねえ。

小倉アナ)加山さんの作る料理って、プロはだしだって、知ってます?すっごいらしいですよ。

山崎アナ)本当にたくさん、光進丸でいろんな、お食事を振る舞われていたということで。こちら船内
     メニューの一部なんですが、和食だけじゃなく、中華、フランス料理。牡蠣のマヨネーズ
     グラタンなど、手の込んだお料理まで、あるんですよねえ。

小倉アナ)独学で勉強したんでしょう?料理も。

一応そうですけど。どこかのシェフとお友達になった時に、秘訣を教えていただいたりとか、そういうこと
ありましたですけどね。

小倉アナ)加山さんて、何をやっても出来る人というイメージが強いんですけど?

そんなことはないですよ。

小倉アナ)だって、計算も早いし、普通は船の設計はやらんでしょう!?ねえ!?

好きなことっていうのは、やっぱり、出来るんじゃないでしょうかねえ。

小倉アナ)みんながそんなに出来ないでしょう。あれだけお上手な絵を描いたり。曲を作ったりとか。
     そういう加山さんが、やることがいっぱいあるにも関わらず、海だけは別だ!って、言ってた
     でしょう?小さい時から。なんで、そんなに海に魅力を感じたんですか?

結局僕自身がですね、これは環境だと思うんですね。1歳半から海っ辺りに住んでました。そして、時代が
戦前、戦中、戦後なんですよね。何も、物が無くなっていく時代なんですね。その時に、海へ行くと、ある
意味で幸せがあったんですよ。だから、いつも暖かくなってくると、海で遊んでいるというか。海で砂を
ほじくっていたら貝が出てくるんですよ。それをたくさん獲って。生きてるアサリや蛤が獲れたんですね。
それを親に持っていったら、ものすごい喜ばれるわけ。それで、なんか幸せを感じたり。傍に島があったん
でね。半分ぐらい歩いて、ちょっと泳げば着く平島があったんです。そこへ行くとサザエが獲れたり、
アワビが獲れた。今は獲っちゃいけないんです、もちろん。その頃は自由だったんで。それをまた持って
家へ帰ると、親がえらい喜ぶわけですね。喜ぶ姿を見ることが、私にとっては幸せいっぱいと。海へ行けば
幸せがあった。他にないんですよ。何にも。ゲームなんか、とんでもない話でしてね。遊ぶものがない。
海へ行くと幸せがある。夏になると大勢我が家に来るわけです。ガヤガヤ、ガヤガヤと海へ行って遊んで。
それが海と接する、それから好きになる大きな理由が生活の中にあったんですね。

小倉アナ)そこから手作りのカヌーを作ったり、船を作ろうかというとこには、いかないじゃないですか!?

島があってね、その島に泳いでいくには、ちょっと遠かったんで、これは船を作るよりしょうがないなと。
作れないこと、ないだろうと思って。近くに材木屋さんがあったんですね。そこへ行って、材木を買って。
自分で勝手に図面を描いたやつで作っちゃったんですよ。そしたら出来たんですよ。

小倉アナ)今、写真見たでしょ?これ!14歳の時に、このカヌーを・・・。

これ、15歳の時の。14歳の時のは、これより、もうちょっと小さいやつ。それはもう無くなりましたけど。
この15(歳)の時に作ったやつは今でも残ってます。

小倉アナ)これだって、おそらく当時ちゃんと図面を引いて、木材を加工してという風に本格的に作ったと
     思うんですよね。

家に大工さんが出入りする、ウチの親父も好んでやってた気がするんですよ。家の方のね。大工さんの仕事姿
だとか、よく見てたということと、あと船に対する興味が非常に強かったもんで。三田の慶應の近くに川が
流れてて、その川の角っこにモーターボート屋さんがあって。作ってるのを、ず〜っと見てたりしてたんです。

山崎アナ)こちらに、それが。

これは大学の一年の時に、とうとうモーターボートを作ろうぜってなっちゃって。3人がかりぐらいでね。
2か月半ぐらいかかって作っちゃいましたよ。

小倉アナ)この頃、ボート作りをずっとやってたわけじゃなくて、スキーで国体行ったりとか、音楽もその頃
     から、やってたわけで。慶応には、
ちゃんと行ってたんですか?

はっはっはっは。一応、行ってたんですけどね。
大学行った時なんかもう、慶応まで行くんだけど、そのまんま寿司屋に直行とか。

小倉アナ)古市君、(加山さんは)先輩でしょ?

古市)今で言う、リア充みたいなことですよねえ。小倉さんは光進丸に乗ったこと、あるんですか?

小倉アナ)乗ったこと、無いの。

古市)乗らせてもらえなかったんですか?

この間、約束したんですよ。それで乗ろうとしたら燃えちゃったんですよ。

古市)タイミングが悪くて乗れなかったんですね。

小倉アナ)家内にね、光進丸に乗せてもらえるかもって言ったら、私、どうしても付いて行くって言ってたの。
     そしたら、あのニュースが流れてすごいショックを受けてました。
     大勢の方が、光進丸に乗せてもらって。外国の有名な歌手とかも招待なさってるんでしょ?
     思い出の方は、どういう方が?

ベンチャーズのノーキー、彼が来て。彼は海に居ようが、どこに居ようがギターを渡したら、夜中の3時まで
一人で弾いてますよ。音楽が好きだというのがよくわかって。あんなに弾かなければ上手くなれないんだと、
つくづく思いましたよ。

小倉アナ)それで加山さんも刺激されて一生懸命弾くようになったんだと思いますが。

小倉アナ)芸能人の方でも、加山さんの船に乗せてもらった人は、みんな自慢しますよね。

ありがたいことですけども。美味しいものというのは誰でも嬉しいんじゃないかと思うんですけど。

小倉アナ)さっきのアワビ見た?

しっかり見てるし!?

小倉アナ)これからなんですが、光進丸があんな風に
なっちゃいました。加山さん、さっき、
もう船はいいかなとか、仰っしゃいました
けど。もう今から作る気はないですか?

当分それどころじゃない気持ちですよね。ただ、命が
あったわけで。本当の意味での、人様の為になること
出来るんだったらやりたいなと思いますね。

小倉アナ)社会貢献出来るような船を、ということで
設計したりなさってたじゃないですか?
あれは先には進んでいるんですか?

進んでません。今、混乱状態で。う〜ん!?本当に
どうすればいいんだろうっていう気持ちですからね。

 

 

このショックというか、皆様にご迷惑をかけっぱなしでね。それどころじゃないんでね。皆さんに謝罪の
気持ちを、申し訳ない気持ちを。どう、自分自身を変えて行かなくちゃいけないか。自分自身が変わる
ために大きな出来事というのは、あると思うんですね。試されたんだと思うんです。だからこれはもの
すごい大きな衝撃ですから。お前がそんなことやってる場合じゃないんだよ、ということを言われたんだ
と思いますんで。これから、どういうことが本当の意味での生きる道なのか、と。考えるとですね、
ちょっと船と縁があるかどうか、わかりません。

小倉アナ)加山さんの、そのお気持ちは、きょうテレビをご覧の皆さんには伝わったと思いますので。
この前80歳になられたばかりで。

81(歳)です。

小倉アナ)そうですよね。これから益々ご活躍ください。

はい、80歳というのは、4度目の成人式ですから。それに1プラスですから、新しい命の1歳という
ことで。新しいスタートでもあります。

小倉アナ)きょうはどうもありがとうございます。加山雄三さんでした。

ありがとうございました。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。

 

 

2018年05月07日新設