辻岡)こちらには装いも新たに加山雄三さんです。改めてどうぞ
よろしくお願い致します。
よろしくお願い致します。
桜井)かっこいい!
辻岡)そうなんですよ。まさに海が似合う男、加山雄三さん
ですが、さて加山さんが今、一番伝えたい歌は何で
しょうか?
「光進丸」です。
辻岡)やはりそうなりますか。加山さんの光進丸についてVTRに
まとめています。こちらをご覧ください。
今年4月。
アナ)昨夜、加山雄三さんの船、光進丸から火災が発生しました。
加山にとって光進丸は人生そのものだった。加山が船に興味を
持ったのは10歳の時。地元茅ヶ崎のシンボル、烏帽子岩に自力で
行ってみたいと思ったことがきっかけ。そして14歳の時、独学で
カヌーを作った。以来、船作りに魅せられた加山はカヌーやモー
ターボートなど合計23隻を手作り。実は芸能界に入った、きっ
かけも船。大学卒業を控えたある日、親友が。
V親友)もっと、でっかい船作りたいんだったらさ、芸能界で
一旗あげればいいじゃないか。
V加山)お前いいこと言うな!!
もっと大きい船を作りたいという理由で芸能界へ。映画「若大将
シリーズ」が大ヒット。またたくまに大スターになり念願の船を
手に入れる。それが初代光進丸。設計は加山自身が手がけた。
そんな加山、船に女性を乗せるのは、あまり好きではなかった。
なぜなら、すぐに船酔いをしてしまうため。しかし大時化の日
でも全然、船酔いしない女性が。
v加山)君、酔わないの?
V松本)全然平気よ。
船で編み物をするこの女性こそ、後の妻、松本めぐみさん。
その後、歌手としても大成功し、さらに大きな船を手に入れる。
それが二代目、光進丸。そして、この曲が生まれた。♪光進丸
加山が特に気に入っているのは、
♪昨日の夢は陸に捨てよう 水平線の向こうが未来
そして、1982年。もっともっと大きな船を手に入れる。それが
三代目、光進丸。多くの後輩アーティストたちもこの船に憧れ、
船の上で加山と語り合った。
しかし、今年4月。(♪夜空の星)コンサートを終えて、ホテル
に戻った加山の元に、あのニュースが。
Vマネージャー)加山さん、光進丸が燃えてしまいました。
それを聞いた加山の第一声は。
V加山)船に乗っていた人はいなかったか?油の流出はないか?
周りへの被害を心配していた。実は加山、この翌日、光進丸に
乗る予定だった。
V加山)もし、沖であんな事故が起きていたら、大惨事になって
いたかもしれない。光進丸は、自分の寿命を悟り、自ら
命を奪ったのかもしれない。
今は悲しみよりも感謝の気持ちだ。初代誕生から54年、人生を共に
過ごし、夢を馳せた光進丸。その名がついた名曲を今、伝えたい。 |