きらめき歌謡ライブ プラストーク   
(NHKラジオ第一 8月29日 20:05〜 )      

「きらめき歌謡ライブ」の「プラストーク」というコーナーでの
加山さんへのインタビューの内容をレポートします。

MCは、徳田アナと作詞家の杉 紀彦さん。

文中の「知ったかぶり1〜3」についてはHP容量の問題から
リンクを中止にしました。悪しからずご了承ください。

徳田)大スター、大型新人、加山雄三さんです。

よろしくお願いします。

徳田)こちらこそよろしくお願いいたします。中学生の頃に加山
   さんの歌を聴いて、妹が買ってきた「Exciting Sound Of
   Yuzo Kayama」という英語でお歌いになってる。
   今まで洋楽を聴いていて、日本人でも、エレキを弾いて
   英語でこういう歌を歌う人がいるんだと思って。擦り切れる
   ほど聴きました。

杉)加山さんが若い頃から大事にしてこられた音楽的な、自分の
  中の中心にあるものは何なんですか?

結局ね、人間と言うのは肉体以外に精神とか心とか宇宙とか、そう
いうもの全部感じてると思うんですけど、ひとりでに波動で、音と
いうのは祈りだというのを思えてならないんですよ。昔からそう
思ってましたね。親父がクラシック大好きで、お袋が演歌大好き
人間。そのあいだで育って、不思議な曲を作るようになったんです
けど。いずれにしても音と接していると幸せ感が半端じゃないん
ですよ。子どもの頃ね、僕を寝かそうと思って子守唄を歌うと泣い
ちゃって寝ないんだそうですよ。それでジャズのセントルイス・
ブルースをかけたらスヤスヤと寝た、と。メジャーな音に物凄く
敏感だったんだなと。お袋が言ってましたね。

杉)悲し過ぎるんでしょうね。こういう唄は。

そうでしょう!?子どもの時から音が大好きということだけですね。

杉)加山さんの歌声を聴いていますと、僕は加山さんと余り歳が
  違わないんですね。加山雄三という人が現れた瞬間に歌とか
  映画とかというものに対する考え方が少し変わったような
  気がするんです。同世代って、そうなんですよ。同級生の
  ようなのが、ええカッコして現れたわ!って。
  と、いうようなのが、まずあって。人気者が出るたびに同じ
  世代の人が応援するって、いうじゃないですか。だから、
  加山雄三さんを最初に応援したのは僕らの世代だったんじゃ
  ないかなって。威張るわけでもないですよ。一世代前の高峰
  秀子とか、上原謙が好きだったのが、ぶっ飛んだ。

徳田)同世代のスターが生まれた。

杉)だから「懐かしのブルース」じゃなくて、まさに、「お嫁に
  おいで」なんです。素晴らしいなと思ったし、軽快でしたね。

BGM 「夜空の星」

僕はほんとに音楽大好き人間で、音楽に関わる仕事をやらせていた
だいてる、こんな幸せなことはないです。僕は生涯、音楽は最高の
親友であると。その”親友”であるというのがミソなんでしすよ。
商売ということは考えない方がいいんですよ。好きだからやってる。
だから出来るんだ。それは昔、僕らが歌ってて、小島正雄さんに、
君等幸せだろ?好きでやってるのが一番いいんだよ。これで飯食う
ようになるとね、愛情がなくなるって、言われて。それから、プロ
意識持たないで、好きだからやってるというのをずっと通して守っ
てるんですよ。だけど、お金稼いでプロじゃないって言える?冗談
じゃないって、怒られたこと、ありましたけどね。

杉)好き感がよ〜く表れている人ですね、加山さんは。商売人が
  作ってるみたいじゃないんですね。それを越えたぐらいの。

徳田)依頼されてではなく?どんどん自分で?

自分で勝手に学生時代から作ってましたから。「夜空の星」は14歳
の時に、作ってますから。生まれてないでしょう?

徳田)ちょうどその頃ですね。全部の作品にKナンバーが付いて
   いるんですよね?Kの1番が「夜空の星」で。その頃から
   湧き出るように。そして学生時代に自分でバンドをお作り
   になって。スキーに行ったら歌ってという、ほんとに若大将
   の映画みたいなことをしてたんですね。

若大将という映画を藤本真澄という大プロデューサーが作って
くれたというのが物凄く大きいですね。自分自身の中のものを
そのまま出してると、それでいいんだ、みたいなものがかなり
あった。

徳田)それはまた、幸せだなって。

ところが、映画みたいに、あんなにモテないです。それから、
あんなに勝つなんて、嘘ですよ。

徳田)水戸黄門と同じで最後に「雄一さん、大好きよ」という澄子
   さんの一声があって勝っちゃうという。

でんでんの知ったかぶり1

あの映画は、ほんとうに有難かったですね。

徳田)本当に万能でいらっしゃる、スポーツは。

いや、そんなことはないですよ。

杉)ゴルフをやってらっしゃるのは、あまり見たことがないとか。

徳田)ゴルフは性に合わないとか。

杉)なんで合わないんですか?

親父がゴルフが好きで1回付いて行ったんだけど、言ってる割には
ヘタクソなんですよ。これは歳を取ってからでいいやと思ったん
ですよ。50(歳)過ぎてから初めて周ったんです。こんなに難しい
とは思わなかったんです。4年間、やったんだけど、僕が下手な
もんだから、みんな誘うんですよ。それで勝つとすごい嬉しい
らしいの。それで僕は4年で止めちゃったの。スキーは狭い所から
だんだん広くなって最後にはものすごい広い所に行くじゃない
ですか!?ゴルフ、逆ですよねえ。

徳田)と、いうことですが、きょうの1曲目は私のリクエスト
   「白い砂の少女」をおかけしたいんですが。これ、今でも
   ファンの方が多いんですね。実は、あれ、全部お一人で?

全部一人で。

徳田)あの当時?

はい、テープレコーダーが手に入らない、出てきてない時代に、
ウチの親父がワイヤーレコーダーを買ってきたんです。その翌年、
テープレコーダーを買ってきた。一方に録音して、それを流し
ながら録音するとダビングできるんですよ。これを元に戻すと
3通り目が出来るんです。それで、一人でコーラスをやってみよう
と。「グリーンフィールズ」をやったんですよ。出来るんですね、
これが。多重録音のハシリをやった。そのお蔭でこれ、一人で全部
出来たんですよ。

でんでんの知ったかぶり2

徳田)レコーディングスタジオで?

もちろん、レコーディングスタジオです。

徳田)後に「オールバイマイセルフ」というCDが出ましたけれど、
   あれじゃなくって。ちょっと聴かせていただきましょう。
   「白い砂の少女」です。

○「白い砂の少女」

徳田)これをお一人で。

懐かしいですね。

徳田)ドラムも「オールバイマイセルフ」は、多分打ち込み。

あれと違うでしょ?ほんとのドラム。

徳田)1967年の作品、「白い砂の少女」でした。

ここまでの音源を期間限定で紹介します。

下の「プラストーク その1」をクリックしてください。

 プラストーク その1

徳田)’67年の秋か、暮れに「別れたあの人」というシングル盤を
   買ってきたんですよ。聴いたら全然違うじゃないか!?って。
   演歌だ、これ!?って思って、ビックリしたんですが。
   それはどういう?何か、あった?

船で集まると、雰囲気がそうなるんですね。夜、江ノ島の沖で停泊
している時にデッキで、やってたら、船長、それ、いいですね!
って。それで出来上がったんですよ。

徳田)あの歌詞は?

あれは岩谷さん。あんないい詩が付くなんて夢にもおもわなかった
ですよ。

杉)加山さんの場合は、弾厚作として詩は無くて、メロディーだけ
  作る?

それが、ほとんどですね。曲先で。

杉)それを聴いた岩谷さんがハメていく。そんな感じで出来上がる
   んですね?

「白い砂の少女」は、西伊豆の岩地というところへロケに行って
たんですよ。可愛らしいもの凄く綺麗な湾なのね。水がもの凄く
綺麗で。夕方、撮影が終わって何もすることがないから、ギターを
弾きながら、それで出来ちゃった。

杉)それが「白い砂の少女」に、なりかわる瞬間というのが、曲を
  聴いた作詞家の方が、閃くんですよね。閃かせるような曲じゃ
  ないといけない。

その通りなんですね。僕もどんな詩になるか、わからないで。譜面
にしないで、加山さん、鼻歌で歌ってって言われるですよ。わかり
ました、って、テープに録ってお渡しすると3日ぐらいで出来て
きて。うぉ!?こんな詩が付くんだ!?みたいな。タイトルも岩谷
さんが。149曲ですから。

徳田)加山さん自身が、急に作れと言われて詩を書いたものもある
   みたいですね?

それはあるんですけど、23曲しか無いんですよ。

徳田)映画を撮ってる最中に?

本当にまいちゃったのは、ブラジルまで行って、コパカバーナ
ビーチで。明日、撮影やるけど、主題歌あるんだろうな?って。
そんなもん、作ってないですよ。ダメだ、明日、撮影だよ。僕、
詩を書けないです。って、言ったんだけど。結局、作れ!って
なって。しょうがないからギターを持って、コパカバーナビーチ
で。詩も作らないといけない。生まれたのが、「ある日渚に」。

徳田)ロマンチックな、いい歌ですよねえ。

苦しむのも、いいのかなあと。

杉)よく分かり過ぎて口を挟めないです。勝手にやってくださいと
  いう感じになるんですけれど。僕の場合は外国曲もかなり多

  ったんです。それをどうやって、噛み砕いてメロディーとして
  残すかが問題なんです。例えば「お嫁においで」にしても、
  すっごい分かりやすいですね。岩谷さんは、お幸せだったかも
  知れない。そんな気がします。

いやあ、嬉しいなあ。

徳田)メロディーがわかりやすいというのは?

杉)次、こういくんだろうなあと。曲の発展の仕方が。それをわか
  ってても、それを越える詩がはまれば、フレーズが生きるん
  ですね。ヒット曲というのは、良いコンビネーションがあって
  初めて生まれるのかなと思いますね。

本当にそう思いますね。その通りですね。皆さんのチカラが結集
してくる。それがすごく大事です。アレンジもそうです。

徳田)森岡賢一郎さんですね。

そう、森岡賢一郎さんねえ。

   

徳田)今度の曲は、「また会いたい あの人」という曲ですが、
   これはつんく♂さんがお書きになった?

そうなんです。

徳田)「別れたあの人」のアンサーソングという。「別れたあの
   人」が1967年で、それから現在ですか。51年経って。

ほんとですよ、半世紀ですよ。反省しなくちゃ、いけないですかね?

徳田)つんく♂さんに発注というか、書いてと、仰ったんですか?

ウチのスタッフに、誰かいい人、いないか?って、言ったら、
つんく♂さんが書くって、言ってくれたって。そりゃあ、嬉しい
なあと思ってね。

徳田)じゃあ、その曲を。

聴いていただけます?よろしくお願いいたします。

徳田)「また会いたい あの人」。

○「また会いたいあの人」

徳田)「また会いたいあの人」。作詞がつんく♂さんで、作曲は
   弾厚作さん、加山さんご自身です。杉さん、いかがですか?

杉)だんだん難しくなってきたなって。あと4小節ぐらい短いと
   全然違う歌になる。

その通りです、それでA’を取っちゃう。決めました。仰る通り
です。すごいなあ!

杉)違う歌にもなるし、とてもいい曲になるんじゃないですか
  ねえ。もっと親しみやすいというか。

そうです、ほんとそうです。

徳田)ハワイでコンサートをされるとお話されてましたが?
   つんく♂さんも何か?

参加してくれるという話なんですけれど。ギターを弾く。もう
嬉しいですねえ。

徳田)ハワイでも「また会いたいあの人」が、聴ける?

当然歌わないといけないと思うんですけど、さっき仰った通り
短くしますから。

でんでんの知ったかぶり3

徳田)さらにバージョンアップしたものを!?演歌の若大将として
   のコンサートもあるんですよね?来月。

はい、ありますね。演歌ばっかりを歌う。大阪二日に、東京でも
やりますし。

杉)歌ってて飽きませんか?

いや、演歌は飽きないですねえ。全然飽きない。いろんな方の、
いろんなジャンルのものがあるから。
前川清さんなんて、歌ってて気持ちいいですよ。

徳田)「そして神戸」などもレパートリーに入ってるんですね。
   今回は聴けなかったですけどね。

杉)どっかで買ってきます。

ちゃんとお届けしますから。

徳田)加山雄三さん、ありがとうございました。

ありがとうございました。本当にありがとうございました。

杉)会えて幸せでした。

僕も幸せでした。

ここまでの音源を期間限定で紹介します。

下の「プラストーク その2」をクリックしてください。

 プラストーク その2

2018年11月8日新設
2024年5月25日更新