レポート その1 みらいブンカvillageスペシャル
 加山雄三60周年 Forever with you!
  
(文化放送ラジオ 2020年1月2日)

60周年のラジオ特番レポートを2回に分けて紹介します。

今回は「その1」をお楽しみください。

 プロローグ

(BGM Forever with you〜永遠の愛の歌〜)

皆さん、あけましておめでとうございます。加山雄三でございます。

太田)令和最初のお正月ですが?

そうですね。いやいやいいや、ほんとう、正月かあ!?いろいろと考えさせ
られちゃうなあと思うなあ。新しい年を迎えるとね、人間は新しい事に挑戦
しなけりゃあいけないのかなあとか、いろんな事を考えちゃうんですけども。

”令和”という名前は、”麗しい”という意味もあるんだよね。皆さん、
麗しく平和なお正月をお迎えでしょうか?

太田)加山さんと、こういった特別番組でご一緒させていただくのは、6年
   ぶりなんですが。前回は2014年、加山雄三さんが77歳、喜寿の時
   でした。「若大将EXPO」を開催された時だったんですが。あの時

   もいろいろな企画を展開されていましたが、その紹介を含めて
   「dreaming 若大将、加山雄三 夢に向かって いま」という番組を
   放送しましたけれど。

懐かしいタイトルだな、それ。

太田)1960年にデビューされて以来、加山雄三さん、レギュラー番組とか
   特別番組とか、文化放送で担当してくださいました。

いや、本当にお世話になりましたよ。

太田)初めて文化放送で冠番組を持たれたのが1963年、昭和38年

昭和38年!?

太田)実は私、その年に生まれておりまして。

あのね、それを言うために、言ったのね。なるほどね!?まだ誰も生まれて
なかったよね、ここに居る人は。そう言われちゃったら、どうしようもないよ。

太田)こうやって加山さんと番組を一緒にやらえていただくのは、本当に喜び
   でもあるし、慶應義塾の後輩でもあります。
   今年60周年、なんとオリンピックイヤーと重なるわけですけれど。

そうねんですね。ちょうど60年でございまして。60周年でなんかやろうと、
みんなで考えては、いるんですが。その一つに有意義な、本当に有難いご託宣
がありまして。

太田)そうですね、聖火ランナーとして走られるということですけれど。
   神奈川県内で三日間の内のいずれかで走られる?

僕がどこを走るか、まだ決まってないみたいですけどね。

太田)ファンの方は茅ヶ崎が良いなって思ってらっしゃるんじゃないですか?

どこが良いかなあ!?ほんと。大勢の人たちが渡してくる。その一部を担う。
ホント意義のあることだよなあ。有難いことだと思うんですよ。もう感謝、
感謝。それあるのみですね。

ここまでの音源を期間限定で紹介します。

下をクリックしてください。

 プロローグ

 

 トーク その1
 STARTコンサートツアー 東京公演

太田)4年ぶりのコンサートツアーを、去年6月茅ヶ崎からスタートして.今年
   4月まで、全国で開催中なんですが。私、年末の文化村オーチャード
   ホールのコンサート拝見しまして。11月に体調を崩されたという事で
   心配されていたファンの方もいらっしゃったかと思いますが。まったく
   心配の要らない素晴らしい歌声、素晴らしいコンサートで。本当に楽し
   かったです

ありがとうございます。皆さんが本当に心配してくださったんでね。自分と
しても心して、心改めて。新人になったような気持ちでスタートしなければ
ダメだと。心を整えなきゃいけない。それを必死で全身に念じて。全身全霊で
やるしかない!それで皆さんの心配してくださった気持ちに少しでも恩返しが
出来ればと。御礼の気持ちでやったんですけど。自分でも良かったかなあと
思いましたよ。皆さんが拍手して、尾上してくれて、有難いなあと思ったです。
ほんとに一人一人の皆さんのチカラが結集するんだなあ。なんとも有難いです。

太田)加山雄三さんに引っ張られてファンの方が元気になる、そしてファンの
   方の元気な声援を聞いて、また加山雄三さんが元気になる。そういった
   関係性は本当に素晴らしいですよね

それで脳梗塞消えちゃったもんね。まったく後遺症がない、奇跡に近いなあ。
みんなの助力のお陰だという気持ちになってね、感謝の気持ちでいっぱいです。

太田)無事60周年の年をスタートさせる事が出来て、82歳にして、なお若々
   しい加山雄三さんの魅力をタップリと。新春らしく楽しい番組をお届け
   したいと思いますので最後までよろしくお願いいたします

そうなれば良いですけど、こちらこそ、よろしくお願いいたします。

太田)加山雄三さんは今年デビュー60周年です。そこで今夜は60年に及ぶ芸能
   生活を、加山雄三さん縁の音楽とともに振り返りながら、加山さんご自身
   にエピソードをご披露いただきたいと思います。

60年、長いねえ!?

太田)振り返ってみて長いなあという感じでしょうか?

長いですよ。どう考えても長いなあ。50(歳)前後だったら、まだ半分って気が
するんだけど。もう今や、人生100年時代って言われているから。60(年)って
いったら、半分超えちゃってるわけだ。そう考えると、長いなあ。と、つくづく
思ったりして。

太田)その長い60年を極々簡単に振り返っていきたいと思いますが。まず、俳優
   の加山雄三さんが誕生する前。池端直亮少年、青年時代のエピソードを
   伺っていきたいと思いますが。その前に1曲お届けしたいと思いますので
   曲紹介をお願いいたします。

「加山雄三通り」、加山雄三です。

♪加山雄三通り

 デビュー前

太田)1978年発売のアルバム「加山雄三通り」からタイトルチューンの「加山
雄三通り」をお届けしました。これはまさに加山雄三さんの少年時代、
池端直亮少年のエピソードもふんだんに織り込まれているんですねえ

そうですねえ、(歌詞に書かれていること)全部やってる。カヌーも作ったし
トロッコは野球場を作ってる時にね、砂を積み上げるのにあったんですよね。
誰も居ない時には、そのトロッコを動かして。坂で乗っかって、でんぐり返っ
て遊んでいたんです。

太田)やんちゃだったんですね

鉛筆のサックというのは、アルミの穴の開いてないのが、あるんですよ。その
中にセルロイドの下敷きを削って入れて。広がってる口を織り込んで塞ぐんだ。
それを焚火の中に放り込むとね、シューっと飛び出してね、ロケットみたいに
なっちゃうんだよね。

太田)そんな遊びしてたんですか?

それが高じてだんだん本格的にロケットを作りだしてね。3段式まで作ってね。
相当高いところまで上げた。そういう記憶がありますよ。固形燃料ですけどね。

太田)加山さんは、お父様が俳優の上原 謙さん、お母様が女優の小桜葉子さん
の息子さんとして生まれたということで、その環境の中で今のお話だと
科学者になったかもしれませんし、どういう方向に進んだかわからない
中で、音楽の方、演技の方に行ったというのは家の中に音楽が溢れていた
という事ですね?

親父がものすごくクラシック音楽が大好き人間、お袋の方は演歌が好きで、その
間に育ったからどっちも好きになっていったんだけども。クラシックというのは
音楽の基礎みたいなものが全部詰め込まれてるから。一つ一つ聴く事によって、
その音楽の成り立ち、大事なものが自然に身に付くというか、聴いてる内に覚え
ちゃうのね。曲の進行、こういう音に行った時にはこういうコードでやると心地
が良いとかね。この先の音を予想させる。そうするといつの間にか自分でやって
みようという気になってたんですよね。で、ある時自分でピアノで作って弾いて
たんですね。弾き終わったら後ろに親父が突っ立ってたんですね。
”それはなんだい?”、
”これは僕が作ったんだ”って言ったら、
”お父さんはピアノコンチェルトが大好きだから、そのうちに、作ってプレ
ゼントしてくれよ”って。
”ああ、良いよ”って簡単に言ったね。馬鹿だねえ。

太田)その曲というのが、14歳の時に初めて作った「夜空の星」

そうです。後の「夜空の星」になった曲。原曲はバイエルか、ソナチネのような
弾き方だった。ピアノの練習曲のような感じで作ってたのを、曲として出して
アレンジしてくれたのが、ロック系でやったもんだから、ああいうテンポの、
すごい良い曲になっちゃった。

太田)初めて作った曲がいきなり、あんな名曲って、天才ですよね

天才かどうかは、みんなの。アレンジも良かったねえ。それから岩谷時子さん
が詩を付けてくださった。その詩も良かった。全部が新鮮な気持ちで新鮮な
ものを作りあげて。みんなで喜んで出してた。作る側の喜びとか嬉しさみたい
なものが集大成的に出来上がった。聴いてるひともきっと良い雰囲気だったと
思うんだね。

太田)今や完全なスタンダードになりましたけども。じゃあ、その「K−1」。
この曲をお届けしたいと思います。曲紹介をお願いいたします

「夜空の星」、加山雄三です。

♪夜空の星

ここまでの音源を期間限定で紹介します。

下をクリックしてください。

 トーク その1

 

 トーク その2
 ピアノコンチェルトを父にプレゼント

太田)ピアノコンチェルトを作ってくれっていうお話でしたよね

その時は、”ああ良いよ”って。そんなことできるわけないのに。そう言っとか
ないと、うるさいと思ったから、そう言ったんだと思うんですけど。で、何十年
か経ってね。親父にいきなり、

”進んでるかね?”って言われて
”何が”
”ピアノコンチェルトだよ”、
”いやあ、全然”って言ったら。
”そうか!?”って。その”そうか”ががっかりした、ものすごい残念そうな
”そうか”だった。敵も役者だから。それで、なんかやらなきゃダメだなあっ
て。第一主題は最初に頭に浮かんだんですよ。それを思い出しながら、作り
始めたの。で、半分も行かない内に、あるチャンスに恵まれてね。「オーケス
トラがやってきた」という番組があって、その番組に出てください、と。

太田)山本直純さんが司会をされてましたね。

それに出てくれと。山本さんは、クラシックのミュージシャンと、僕に歌を歌
わせようと思ってたと思うんですよ。だけど僕が余計な事を言ったんだな。
”クラシック音楽のメンバーに僕の歌の伴奏をさせるっていうのは、ちょっと
気が引けるんですけど。僕、今ピアノコンチェルトを書き始めてるんですよ。
それどうですかね?って言ったら、
”それ、いこう。それ完成させましょう”って。それから大騒ぎして。自分
ひとりじゃどうにもならないんで。森岡賢一郎さんが手伝うって言ってくだ
さって。後半はほとんど彼が書いてくれた。それで出来た。初演奏の時に
羽田健太郎さんをお呼びしまして。譜面を渡して弾いてもらった。あんなに
苦労して書いたのに、簡単に弾かれちゃったよ。すげえ人だなあと思ってね。

BGM(ピアノコンチェルト)

これは絶対この人に弾いてもらおうと思った。そして(テレビの)本番の時
に羽田健太郎さんのピアノで、第一楽章の2/3ぐらいで終わっちゃったん
だけど。それをやっていただいたんですよね。それが初演ですよ。

太田)当然、上原 謙さんもお聴きになって?

その時は、あんまり聴かせたくなくて、後でちゃんと発表するときに聴かせた。
第二楽章、第三楽章と全曲完成してから。親父の喜寿のお祝いに。その誕生日
にオーチャードホールで。そこでオーケストラ83人と羽田健太郎さんと。指揮
は森岡賢一郎さんで。演奏やったんですよ。親父にステージに上がってもらっ
て、手書きのスコアを渡したら、親父ね、ボロボロ泣き出して。感動してたっ
け。これで親孝行は出来たかなと思ってね。僕もジーンときちゃって、良い事
したなあと思ったもんでしたよ。

太田)科学者になるかと思いきや、そうはならず、クラシックの作曲の方にいく
      のかと思ったら、そうもならず。ポップス、ロックの世界に入ってきた
   のは、やっぱり学生時代のお仲間の影響が?

それが大きいんですね。”カントリークロップス”っていう名前のカントリー
ミュージックをベースにやりながらエルヴィス・プレスリー(の曲)も入って。
ちょっとロック系の曲も入れて。ダンスホールみたいなところで演奏。出演料
が6人で、2ステージやって500円という。

太田)安いですねえ!?

その代わり、そこにある食べ物はいくら食っても良い、飲みたきゃあ何を飲ん
でも良い。そのホールで結構練習は積みましたよね。「Blue Suede Shoes」
とか「Rip It Up」とかテンポの良いのを歌って、エルヴィスのを歌うと
ウケると。それで気を良くして。それで出来たのが”カントリークロップス”
ですね。

太田)そこからポップス、ロックの世界に本格的に入っていった?

そういう事ですね。

 映画デビュー 「男対男」撮影時の話

太田)手元に映画のポスターの写真がありますが。1960年、加山雄三さんは
   東宝に入社しまして、映画「男対男」でデビュー、俳優デビューです。
   アクション路線を驀進するわけですが。いかがですか、このポスター?

いやあ、これね本当に恥ずかしい。どうして良いかわからなくて。いきなり、
セリフがものすごい量の演説のシーンから始まっちゃってさ。そんなの俺出来
るわけないなと思ったんだけど。監督さんがおだてるのが上手いんだな。谷口
監督が”君だったら出来るよ、良いよ、良いよ。好きなようにやって良いよ”
って。で、好きなようにやったら、”出来る、出来る、OK、OK”って。
1発でOKになって。

太田)最初の作品ですよね?

「男対男」って妙なタイトルだなあって。三船敏郎さんと池辺 良さんの、戦友
なのかな?その話なんだけど。

太田)3番目に加山さんの名前が出てますけど、ポスターには。

太田)出てますねえ。白川さん、星由里子さん。この時から共演されてるん
   ですね。他 豪華なメンバーで。

いやあ懐かしいですね、この写真見ると。

太田)ここからは、俳優、そして音楽家への道を驀進していくという事ですね。

年間に何本も撮ったもんな、映画。

太田)翌61年から加山雄三さんをよりヒューチャーした「大学の若大将」で
   始まる「若大将シリーズ」が本格的に始まっていくと。この1作目で
   東宝は、これでいけると。シリーズで行けるという、大プッシュだった
   んですか?

藤本真澄さんていう方が「青春もの」を撮りたいという意欲に燃えてたらしい
んですよ。もともと。松竹で「若旦那シリーズ」というのが、あったんだそう
です。そういうのをやりたいなあと。でも「若旦那」じゃないなあっていう
んで「若大将」っていうのを考えだした。

太田)そういう事だったんですか。「若大将シリーズ」では、お馴染みのヒット
   曲がたくさん生まれてくるわけですが、初めて自分の曲を披露されたのが
   「DEDICATED」(恋は紅いバラ)という事ですね

映画では、ハワイで歌ってたね。ハワイで歌ってたシーンは覚えてるんだな。

太田)「ハワイの若大将」では英語の歌詞で「DEDICATED」。そして「海の
   若大将」では「恋は紅いバラ」として主題歌になった

「DEDICATED」が「恋は紅いバラ」に代わって日本語になったのを担当された
のが岩谷時子さんなんですよ。

太田)これが最初の出会い?

最初の出会いなんですよ。これで岩谷さんと出会ってなければ今の僕は無いと
いうほど、素晴らしい出会いになっちゃったわけですねえ。

太田)その話は、曲をお届けした後で

「恋は紅いバラ」「DEDICATED」、加山雄三です。

♪恋は紅いバラ (映画「海の若大将」バージョン)

ここまでの音源を期間限定で紹介します。

下をクリックしてください。

 トーク その2

 

 トーク その3
 岩谷さん、森岡さんとの出会い

太田)去年、「IWATANI TOKIKO DAN KOHSAKU BEST WORKS COLLECTION」
   という、ファンが選んだ15曲を人気順に並べたベストアルバムがリリース
   されましたが、名曲揃いで本当に素晴らしいアルバムですよね。

今やってるコンサートツアー、全部岩谷時子さんの作詞の曲だけをやってると
いうツアーなんですけれども。岩谷さんの詩は、僕が不思議だなあと思った事
が何度もあったんですが。余地能力があるんじゃないかと思う事があったり、
いつ歌っても、時間の経過とか場所とか時を感じさせないで聴けるという曲が

多いんですよね。僕自身が歌うのに、いつ、どこで歌っても大丈夫だという歌
になってちゃてるんわけでしょう。これは本当に有難い事だとつくづく思うん
ですよ。岩谷さんは偉大な作詞家だなあとつくづく思ってねえ。だってね、
「海 その愛」っていうタイトル、なんだこれ?って最初思ったもんね。捨て
ちゃた曲だったんだ。お蔵入りになってたんだ。アルバム作ってる時に、1曲
足りないなあってなって。これ、良いかもしれないなあって。岩谷さんに渡し
て、三日で出来てきちゃって。歌ったらすげえ重い、良い曲なんだわな。この
人、すごい人だと思ってね。

太田)さっき人気順でってご紹介しましたが、1曲目「海 その愛」ですよ。
   捨て曲だったって。何を仰る加山さん、ですよ

ホントだよねえ!?

太田)人気ナンバーワンですよ。危ない事しましたよね。

本当に危なかったよね。

太田)「IWATANI TOKIKO DAN KOHSAKU BEST WORKS COLLECTION」から
   「海 その愛」、「君といつまでも」、「恋は紅いバラ」、「お嫁に
   おいで」、4曲続けてお届けします

♪海 その愛〜君といつまでも〜恋は紅いバラ〜お嫁においで

太田)最後の「お嫁においで」は大橋節夫さんのアレンジですが、それ以外の
   3曲は、岩谷時子さん、弾厚作さんコンビの常連、アレンジャーの森岡
   賢一郎さんが手掛けていらっしゃる。加山雄三さんの数々の名曲を生み
   出した功労者は岩谷時子さんでもあり、森岡賢一郎さんでもありますね。

ホントにそうですね。森岡賢一郎さんのアレンジというのは、クラシカルな
雰囲気をちゃんとどっかに持っておられるからね。非常に良いハーモニーなんだ
よね。岩谷時子さんはどんな曲にでもね。まさか「お嫁においで」なんて
タイトル付けてくるなんて、夢にも思わないじゃないですか。全部なるほど
なあ!?って、なっちゃうんだよなあ。出来上がってくると。

太田)日本のポップス、ロックのパイオニアである加山雄三さんの名曲は、
   クラシックにも造形が深い加山雄三さんと森岡賢一郎さんが作り出した
   というのは、ちょっと面白いですよねえ

そうかもしれないですよねえ。クラシックが好きだった親父に感謝しなきゃ
いけないなと思うんですけど。”スリーB”っていってね、バッハ、ブラー
ムス、ベートーベンが猛烈に親父が大好きで。キャビネットを作ってアルバム
を入れていくんです。音楽を聴く部屋もスピーカーを壁に埋め込んで、布を
貼ってるから、どこにスピーカーがあるか、わからない。いろんなところから
音が出てきて、オーケストラの配置に合わせて、考えて悦に入ってた親父だった
んだよね。

太田)本格的なオーディオシステムを自宅に作っていたんですね。

親父は学生時代には下手くそだけど、ホルン吹いてオーケストラに入ってた
からね。

太田)ここで、作詞、岩谷時子、作曲、弾厚作、編曲、森岡賢一郎の作品を
   「IWATANI TOKIKO DAN KOHSAKU BEST WORKS COLLECTION」から
   お届けいたします。「蒼い星くず」、「ぼくの妹に」、「美しいヴィー
   ナス」、3曲続けてお聴きください

♪蒼い星くず〜ぼくの妹に〜美しいヴィーナス

ここまでの音源を期間限定で紹介します。

下をクリックしてください。

 トーク その3

 

 トーク その4
 声優初挑戦

太田)今公開中の映画「ジュマンジ/ネクストレベル」で声優初挑戦という
   ことで話題になってましたけど、意外ですね

やったこと無いですよ。やってくれって言われた時に”なんで俺がよ?俺の声
そんなに良いわけないじゃんよ”って。しかもマイロ役は、俺の大好きな俳優
さんでしょ。

太田)ダニー・クローバー。

そうそう、それをね汚しちゃったら、本当に申し訳ないと思うから、ちょっと
考えさせてくれって言ってたんですけど、結果的には頭の部分だけだからって。
やったんですけど。やっぱり難しい!全然違う言葉に合わせるわけでしょう。
自分で言ったアフレコでさえ難しいのに。しかも英語で喋っているのを日本語
で合わせろ。苦労した。もういいや。

太田)本当の俳優さんが演じている時間の尺と日本語の尺をピタっと合わせ
   なきゃいけないから、本当大変そうですね

大変ですよ。本当に難しいんですよね。だから声優さんというのは大したもん
だなあと僕思うなあ。

太田)口の開け方とか息継ぎとかも、大体合うように?

そう、そうしないといけない。違った感じになると具合が悪いやと思って。

太田)しかも、それに声優としての演技も加えて・・・

演技がね、演技は彼が演じてるか良いんだけど、それに言葉が合わないと全然
合わないじゃんかよ。合わないとどうしようもない。”すいません、もう1回
お願いします”って。

太田)じゃあ、2度目の声優チャレンジは?

無いでしょう、おそらく話は無いだろうと思います。

太田)苦労された結実はどうなってるのか、ぜひ劇場まで足をお運びいただいて
   ご覧ください。

 ザ・ヤンチャーズからthe RockChippers

(2014年武道館ライブでの桑田さんのサプライズ場面が流されます)

太田)桑田佳祐さんが、”一生加山さんをお慕い申し上げます”と、最大限に
   リスペクトされていらっしゃいますけれど

言ってくれちゃったりして。本当に有難いねえ。

太田)加山雄三さんを本当にリスペクトして、フォロワーとしてミュージシャン
   になったアーティストになった方はたくさんいらっしゃいまして。桑田
   佳祐さんの他にも山下達郎さん、大滝詠一さん。
   山下達郎さんは「BOOMERANG BABY」が好きでカバーをされてますし、
   大滝詠一さんも多羅尾坂内楽団で「ブラック・サンド・ビーチ」を出して
   いらっしゃいます。傘寿の誕生日パーティーではそうそうたるアーティ
   ストが加山雄三さんのバックコーラスを務めてくださったそうですね?

有難いことです。

太田)山下達郎、竹内まりやご夫妻、桑田佳祐、原由子ご夫妻がバックコーラス
   を務めてくれた

有難いですねえ。若い人たちがそうやって僕の音楽を歌けてもらえるという
ことは、その曲自体が長生き出来るということだよね。それが作った人間
としては嬉しいやねえ。

太田)星野 源さんが、加山雄三さんに日本のロックの歴史を感じて感動する
   というような事も仰ってましたね。

本当に有難いことだよなあ。

太田)2010年に加山雄三さんが芸能生活50周年の時に、そうそうたるミュージ
   シャンが加山雄三さんの元に集まって「ザ・ヤンチャーズ」というバンド
   を結成しました。

ヤンチャーズ、面白かったなあ!

太田)メンバーがすごくて森山良子さん、谷村新司さん、南こうせつさん、さだ
   まさしさん、そしてジ・アルフィーということなので。そのヤンチャーズ
   の曲をお届けしたいと思いますので、曲紹介をお願いいたします

ヤンチャーズの何をやる?「座・ロンリーハーツ親父バンド」いくか?「座・
ロンリーハーツ親父バンド」、加山雄三とザ・ヤンチャーズ。

♪座・ロンリーハーツ親父バンド

 The RockChippersの名付け親は石田プロデューサー

太田)10年経ちまして、あのヤンチャなメンバー、大人たちが還ってきたという
   ことで。「ザ・ヤンチャーズ」改め、加山雄三&THE Rock Chippers、
   こちらが再結成ということですよねえ。

そういうことですねえ、全員そのままですけど。なんでThe Rock Chippers
と言うか、60代、70代、80代を麻雀の言葉じゃないけど、ろっくちっぱー。

太田)そういうことだったんですか!?誰が考えたんですか?

それは石田さんだ。パーは誰だ?って言ったら、”決まってるだろうが”。
俺一人だけパーだ。いやだよ。しょうがねえけどさあ。って。

太田)”chipper”というのは、元気が良いとか、快活とかっていう意味も?

そういう意味があるんだそうです。言い訳だね、それは。

太田)皆さん、パワフルで元気。ベテランアーティストの方々ばかりですけど、
   人生100年時代を象徴するような、これから年齢を重ねる人に応援歌と
   なるような曲ではありますけどね。では、2月12日にリリ−スされる
   ことになっているんんですが。加山雄三さんから曲紹介をしていただき
   ますでしょうか?

作詞、さだまさし君で、作曲編曲は高見沢君がやってくれたのね。結構良い
作品になったんだよな。お聴きください、「Forever with you〜永遠の
愛の歌〜」、加山雄三&The Rock Chippers。

♪Forever with you〜永遠の愛の歌〜

ここまでの音源を期間限定で紹介します。

下をクリックしてください。

 トーク その4

「レポート その2」は下から見ることが出来ます。

 レポート その2

 

2020年1月16日新設
2023年12月3日更新