田家)加山さんは音楽活動が英語で歌われることから始まっ
てる。岩谷時子さんから、日本語で歌ったらと言われて
「恋は紅いバラ」につながっていくわけですけど、英語
で音楽体験の始まりがなかったら違う歌い方になってた
んでしょうか?
それは間違いなくあると思いますね。英語の曲でスタートして
ますから。カントリーミュージック、エルビス・プレスリー。
彼の歌を歌ってバンドをやってた。それが後々すごい役に立っ
てるわけですよ。自分で作曲するのも、作詞作曲から始まった
時に英語の作詞だからね。英語で作詞作曲してというのは結構
あったりするんですよ。
田家)去年、「岩谷時子BOX」が出て。
岩谷さんとの出会いが僕の人生を左右したというか、あの方と
出会ってなければ今の僕はない、と断言できると思います。
歌ってると、やっぱり素晴らしいなと。”時”を全然意識しない
で。例えば今2020年になってるけど、全然関係なく歌えるなあ
と。オールマイティーなところがある。その良さに出会えた。
素晴らしいことだと思いますね。
田家)森山良子さんが「湘南引き潮」をカバーしてまして、作詞
が松本 隆さん。「加山雄三通り」のプロデューサーの
新田さんが、松本隆さんでどうですか?って加山さんに
聞いた時に加山さんが”僕は岩谷時子さんとしか仕事を
しません”。
そんなこと言ったんだって?生意気だね。困っちゃうね。
田家)最初は強硬にお断りになったと話を聞きました。
こんな良い詩が出来てくるとは思わなかったんだね。
「光進丸」もそうでしょ。
田家)さださんとのお付き合いが「夏 長崎から」。
彼の毎年やってるイベントに奉仕の精神でね、出させてもらっ
たら、(お客さんが)25,000人ぐらい来るんだよね。こんな
大勢のところで歌を歌えるなんて、こんな幸せなことは無いな、
って。それから毎年出させてくれよって。
田家)それはさださんがやってらっしゃるテーマに共感したっ
ていうこと。
もちろん奉仕の精神がものすごく良いことだ。人のために
とか、本当にそういう気持ちでやると負担にならなくなって
きたんだね。自分のために頑張ろうっていうのと全然違うん
だな。それは感じたもんだから。結局11年続いたかな。
田家)そういう音楽と奉仕、平和ということは。
あると思いますよね、やっぱりね。我々の年代というのはそう
いうものを持ってると思いますよ、元々ね。だからといって
若い人たちがないっていうことじゃなくて。
田家)それがロックチッパーズの人にちゃんと伝わってる。
みんなどう思ってるかわからんけど。
田家)音楽は伝わって行くんだぞって。
♪ザ・ロンリーハーツ親父バンド
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