ラジオイースト
 インタビュー(ミュージアムにて)
  (SBSラジオ 2005年3月)

今回は加山雄三ミュージアムのサイン会時のラジオ
出演をレポートしました。

ラジオの音源とマイビデオの映像をお楽しみください。

音源と映像の掲載は終了しました。

 
 インタビュー ミュージアムにて(2005年)

上をクリックすると以下の内容が音源が聴けます。

音源の冒頭、約2分弱までは、ミュージアムに来ていた
お客さんのインタビューが収録されています。

音源の掲載は終了しました。

 

インタビューも直前まで鉄道模型の本を手放さない加山さん、花粉症にならない理由についてインタビュワーが「加山さんは容量が大きいんですよ」と言うと「俺は要領は良くないんだけどなあ」とダジャレで切り替えしてラジオ中継の始まりです。

インタビュー開始早々、「キラキラ光ってますね」、とレポーターの胸にギターピンバッジを発見、「ピンバッジは45周年を記念して作ったんだけどデザインは40周年記念に40台限定でつくった幻のギターを土台にしたピンバッジですよ」と丁寧に質問に答えます。

 

 

45年というのはどうでしたか?という質問には「やっぱり長いですよ、今でもデビュー当時のことはぱっと思い出せるけど、昔のことはよく覚えてるじゃない人間って、想い出が沢山あるし、いろいろとやってきたことを一つ一つ形として残す事ができた。今年「若大将シリーズ」もDVDになる。

そして皆さんが認知してくれた歌が沢山ある。
音楽と言うのは時を超えて存在するという気がする。
それを支えてくださったファンの皆さんが沢山いて今の僕があると思ってます。常に感じています。

音楽との出会いは10歳位の時に足ふみオルガンが初めて、バイエルの74番を1時間半くらいでマスターした。もともと音が好きだった。
弾厚作というペン・ネームはおばあちゃんが占い師にみてもらってきた中から選んだ。後からギターを弾きながら厚かましく作るとしてきた。

 

 

ここにある時計、これはもうもう僕がねえ大事にしてず〜としている時計。全然狂わない。20数年調整したことがない。
間違えてこれを身に着けたまま小笠原で海に潜ってしまったが壊れなかった。41m潜って10分以上いたのに壊れなかった。伝説の時計になった。

ところが失くしてしまいあきらめていたら5年振り位に見つかった。5年間僕の腕からなかったんだけどちゃんと動いていた。涙出てきたね俺、それからは絶対離さない。まるで女房みたいなもんでね。その復刻版を今回45周年記念のグッズにしたんです。

 

「目覚まし時計もあるんだよ。」
「これが今回当番組のプレゼントです。」
「目玉賞品で〜す(目覚まし時計で〜すにひっかっけて)って」
「皆さん笑うところです」
「いいんです、別にいいんです、サインしておきましたから」
最後まで和やかなインタビューでした。

 
 マイビデオ
 インタビュー ミュージアムにて(2005年)

上をクリックしてください。映像で見れます。

映像の掲載は終了しました。

2005年4月7日新設
2023年8月2日更新