未来へ続く航海
音源 対談:さだまさしさん 
(文化放送 2010年6月13日)

2010年に放送された、ラジオ番組「未来へ続く航海」の中で、
加山さんとさださんの対談がありました。その音源をお聞きください。

ホームページ容量の問題から、音源は削除いたしました。
悪しからずご了承くださ
い。

 対談 さだ その1
 

「座・ロンリーハーツ親父バンド」が流れる中、
加山雄三とザ・ヤンチャーズの「座・ロンリーハーツ親父バンド」、流れております。
ここからは、この歌の作詞を担当され、シンガー・ソング・ライターとして、お互いに
尊敬し合う、加山雄三さん、さだまさしさん、お二人の対談をタップリとお届けいた
します。というアナウンスのあと、対談が始まりました。

 

ようこそ!

さだ)こんばんは!加山さん素晴らしかったですね!

いやあ、おかげさまでだよ。ありがとうございました。

さだ)僕は翌日ですね、仕事で大阪へ移動したんですよ、一人で。夕方の便に乗ったら
   僕の真後ろに居た40代の男性ですかね、声をかけてくれましたね、
   「昨日行ってたんですよ、いやあ、楽しかったあ〜!」って言ってくれましたよ。
   その近くに居た、40代の女性も、
   「私、昨日の帰りです」
   「昨日武道館に行ったんですか?」
   「行きましたよ!最高だったです!」
   二人に声かけられた。いろんなところから来てくれたんですよ。

地方から来てくれたんだ。嬉しいねえ!

さだ)良いコンサートでした、お疲れ様でした。

まさしくんのチカラでね、相当な集客力ですから。

さだ)73歳で、アリーナツアーが出来る!凄いですよ。喜寿は何しましょう?

良いから。そんな先の話は、しないことにしてるの。   

さだ)もう4年先ですよ、考えておかないと。だって、ワールドカップは次どこでやるか
   決まってますからね。

何が言いたいんだい。

さだ)喜寿の時には何するか、今からそこへ動かないといけないからスタッフは!?
   僕なんか大変なんですよ。僕は自分がやめても、加山さんのコンサートの応援は
   やめませんから!

たまあね、お世辞でも、そういうこと言ってもらえるだけで、ほんとに嬉しいと思ってる
んだよ。

さだ)僕は、加山さんが存在してなかったら、歌手になろうともしなかったし、少なく
   とも曲を作って歌おうという発想は、なかったと思うんです。中学の時に、若大将
   シリーズで加山さんの存在を知って、自分でギター弾いて、自分が作った歌を歌う。
   こんなカッコウいい人がいるんだと思って、自分で作って歌うようになってみて
   思ったんですけど、あれは、自分で作って歌うのがカッコウいいんじゃなくて、
   加山雄三がカッコウ良かったんですよ!そのことに僕は、あとで気づいたんですよ。

何を言ってるんだい、関係ないよぉ!じゃあなんで、あんたの曲が沢山ヒットするわけ?

さだ)それは偶然なんですよ。

いやいや、名曲が物凄く多い!一つ一つ心を打たれる。あなたみたいな人にさ、みんなに
囲まれて、あのヤンチャーズ、あんな長い音楽を、誰に詩を付けてもらおうって聞いたら
全員が「まさし!」って指さした。狙った以上の出来栄えでさあ。

さだ)そりゃあ嬉しいですねえ!

あんな長いのをね、覚えるのが大変でさあ、自分のライブで、やったんだけど、歌詞が
危ないなあって思いながら歌ったのに、お客さんのほうが先に覚えちゃってるんだよ。

さだ)加山雄三のファンは、本人により先に覚えますよ!自分の歌って、余り聞かない
   ですけど、人の歌は聞くから覚えるんですよ。僕は自分の歌を覚えない理由が
   わかりました。自分で聞かないからです。加山さんの歌を覚える理由は、加山さん
   の歌は聞くんですよ。だから、覚えるんですよ。

それ、すげえわかる。俺自分の歌、聞かないもんね。一回録音したら、いやんなっちゃって。

さだ)僕もそうなんです。自分の歌を覚えないんですよ。だって、反省材料ですもんね。

ほんと、そう!

さだ)やっぱ、そうですか?加山さんも。正しいですね、僕の感覚は!

正しい!毎回聞くたんびに、反省度も増えてくる。

さだ)ですよね!いやあ、嬉しい!

握手してもらった。

さだ)自分の歌しか聴かない人もいるんですよ。

え、そうかね、ナルシストだね、俺は聞かないんだよ、そして人が聞いていいといってる
かどうか気になるんだ。自分じゃ、良いと思ったのが、良い評価じゃなくて、どうしよう
もないなあって思ったやつがいいですねえって言われると頭の中が混乱してさ、判断力が
まずいのかなって。作った曲をいいのと悪いのと仕分けしたんだけど、アルバムに入れる
曲が足りなくなってダメな中から出したことがあるんだけど、その中に「海 その愛」が
入ってたんだよ。

さだ)え〜っ!?

だから、曲が足りないって言われなかったら、あれは捨てられてたんだよ。世に出てない
曲だったんだよ。

さだ)だめですよ、捨てちゃあ!判断しちゃあだめですよ。周りに判断させてくださいよ。
   僕が判断しますよ。

わかった、そんなに目剥きだして言わなくていいからさ。いずれにしても反省材料ばっか
しで、上手くなるかと思えば全然上手くならない。あんたみたいに綺麗な声で上手くても
反省してるの?向上心があるんだね。

さだ)僕は作ってね、発売日前後が一番嫌いです。早くあれ、消したいと思うから、また
   作るんですね。

そうかも知れない。だから次が出来るんだ。俺、絵を描いてて言われたことがある。初めて
個展をやるときに、絵の偉い先生に
「一番、取っておきたい気に入った絵から売りなさい、そうするとそれ以上の絵が描ける
ようになりますよ」って。今考えてみたら、そんな絵なんていうのは、売っっちゃって
良かったと思うくらい、買った人には申し訳ないかもしれないけど、上達しちゃってる
わけよ。音楽もそうなんだよ。初期の頃のを聞くと汗出てくるね!

さだ)どうしてですか?初期の頃の加山雄三が、僕好きなんですよ。

だから、貴方は俺じゃないからだよ。俺は自分の聴いてて汗出てきちゃって、なんでこんな
無神経な、乱暴なんだな。なげやりに歌ってんだよ俺、かみさんにも言われるの俺、どうし
てあんなになげやりに歌うの?って。英語の歌、一生懸命歌って、自分の歌はあんなになげ
やりに歌ってて、なげやりじゃないんだ、一生懸命歌おうと思っても、あれしか出来ねえ
んだ。

 

さだ)それにしても、エレキの若大将の時の、「君といつまでも」はひどかったですね、
   不愉快そうに歌ってましたね。

なぜ、あんな顔になっちゃったかってことだけど、あんな気分の悪かったことはないよ。
それでどうしてヒットするのか、わからないね。

さだ)いやあ、良い唄ですもん。

結果論から言えばそうだけどさ!あんときのシチュエーションを考えたら、冗談じゃない
と思うよ。映画だからいいんだよって、言われるのはさ、なんでだよって。

さだ)その辺がミュージシャンなんですよね。俳優さんだったら、映画だからいいんだっ
   て言われるとそう思うんですよ、加山さんは、俳優じゃないんですよ、俳優として
   も数々の偉業は成し遂げておられますが、このあいだ、武道館で感動したのはあれ
   だけの映像資料を、青年時代からの、持ってる人はいないですよ。

何が言いたいわけ? 

さだ)それだけの仕事をしてこられたわけですよ。若大将シリーズだけじゃないですもん。

歩いてきただけだよ。

さだ)あの頃から変わらないもん、加山さん。

何が変わらないだよ、冗談じゃないよ。俺のけぞっちゃうもんね、嬉しいから。

さだ)変わらないって、みんなに言われるでしょ?

ずっと出てればさ、徐々に変わってってるから、わからないんだよ。

さだ)出てることが凄いんですよ。

さだくんだって、そうじゃないか。

さだ)だから、必死に忘れられないようにしてるんです。

あなたのトークはほんとに凄い。CDをぜんぶ聞いてるんだ。ハワイの話も可笑しいしさ
お父さんの、外人が来たときの話も。

さだ)僕ブラウンさん見てて、朝顔を洗いに来ると、「お〜っ!」って言うから、この人
   日本人がみな、朝起きたらみんな「お〜っ!」って言うと思ったらどうしようと
   思って。親父は英語何も話せないんで、鶏のえさを「チキンライス」と言った人
   ですから。

ハハッハハッハ、それをその外人さんに言ったわけ?

さだ)そう言ったんですけど、ニュージーランド人はチキンライスって言われてもわかん
   ないじゃないですか。それで、「クォクォクォ」ってやったら、「オウ、イヤァ!
   ティケンフード」っていったら、親父が「ティケンって言ったぞ!」って。お母
   さんの事「マドルゥ」って言ってたぞって。

ニュージーランドってのは、物凄い訛りがあるんだ。わっかんないよぉ。

さだ)ウチのお父さんは不思議な人でしたよ。親父を送る会に、忙しい加山さんに来て
   いただけるなんて思ってもいなかったです。親父もきっと喜んでいたと思います。

だってさ、10年間通ってさ、会うたんびに、ほとんど君の自慢話だよ、最高傑作だと思っ
てんだよ。だって、下駄に俺のサインをして履いて歩いていた小学生時代の話から始まっ
て、自分にさだまさし君、頑張れ!加山雄三っていうハガキを書いて自分に出して来た
ぞ!って、みんなに見せて自慢してたって。それ聞いて可愛いねえって思うじゃんよ。

さだ)ウチの弟だけは、年賀状、加山雄三から来たぞ!って見せたら、「バ〜カ」って。
   来るわけ無い!って。

 

あのさ、「君といつまでも」という俺の代表曲をね。前奏、間奏、後奏、コーラス。

さだ)これ、びびったぁ!

堂々とやってたけど。

さだ)堂々とやらないとカッコウ悪いからですよ。

普通、あんなに出来ないよ、これをリスナーの方に聞いていただきたいと思うの。
リクエストも、きてるんで。

さだ)恥ずかしいけど、嬉しい。

♪君といつまでも (with さだまさしat武道館)

前奏、間奏、後奏さだ君のヴィオリンが入った「君といつまでも」新バージョン、コー
ラスも付けてくれちゃって。ほんとに見事に弾いてくれたな、武道館で。良かったよ。

さだ)怖かったですよ。加山雄三の脇で弾いてんですよ。カッコいいっすよ。

俺は、さだ君がね、さだまさしが俺の脇でヴィオリン弾いてんですよ。前奏で一人で
弾いていくほうがオーケストラでいくより全然いいんだよ。もう、ストラディバリウスの
音かと思うくらいのいい音なんだよ。

さだ)30万円ですよ、あのヴィオリン!

凄いね!その時の気持ちで弾いてんだろ?違う?気持ちで弾いたろ。

さだ)そうです。

長い、いろんな時間というものを感じながら。

さだ)まさか、これを、まさか、加山さんの隣で、俺が前奏弾くとは思わない。それを
   ねぇ。加山さんが、じゃぁ、お前やれよぉ、まさし。とか言われちゃって、図に
   乗ってんじゃねぇぞぉ、って感じ、ですね。

良いじゃんかよ。

さだ)図に乗るのは、一番嫌ですよ。

あ、そうなんだ。図に乗るから降りられるんじゃないの?

さだ)僕、乗ると降りられないんですよ。

あ、それもまずいねえ。

さだ)まずいんです。

ノリノリでいってさ、それがお客さんに幸せを与える面白いトークになってりゃあ良い
と思う。

さだ)わかりました!頑張ります。

「対談 さだ その1」の音源を期間限定で紹介します。

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 対談 さだ その1
 
 対談 さだ その2
 

ところで、後半は、「夏・長崎から」の・・。

さだ)ほんとに、加山さん、ありがとうございます。

あの話をちょっとしたいと思う。僕は、ほんとに、あなたは偉かった。

さだ)10年。

20年だよ。あ、あなた自身・・。(俺は)半分はやったんだな。

さだ)そうですよ、広島もやりましたから。

俺の中でも”誇り”。だってさ、一番最初、行ったとき、2万5千人のお客さんがいて
びびったね、俺は。凄いよ、さだまさし君、こんなに人集めちゃうんだみたいな。

さだ)加山さん、お前800人くらい集めてやってんのかと思ってたっておっしゃって
   ましたもんね。

相当俺は、見くびってたというか、ごめんね!正直謝っちゃうけどさ。あのとき、出て
いったら、お客さん総立ちになってさ、迎えてくれた。あなたのファンはいいファンだな
って。最初は不安だったのが、いっぺんに解消された。

さだ)気持ちよかったでしょう、加山さん!

気持ちよかった。それっきり味しめちゃって。

さだ)僕もあんな気持ちよかったことなかったですよ、加山さん出てきた瞬間。まぁ、
   20年やったんで、20年同じこと言い続けてくれば、伝わる人には伝わっただろう
   と思って、まぁ、やめたんですけどねぇ。ところが加山さん。去年親父が死んだ   
   でしょう。で、親父がねぇ、最後ね、白血病のようになって死んだんですよ。

へぇ〜。

さだ)あのぉ、でねぇ。血液データ、まぁ、血小板が異常に増えるっていう病気になり
   ましてね。で、お医者さんがね、こう、血液データ僕に見せながら、あんた見せ
   ても分かんないだろうけど、これねぇ、専門家が見たらねぇ、原爆症、って言う
   でしょうね、って言ったんですよ。親父、被爆者じゃないんですよ。親父は、
   戦後すぐに長崎に入ってきて、被爆地、爆心地に近いところで生活はしてたんです
   よ。でもぉ、被爆者じゃないのに、晩年89(歳)になってね、この血液データと、
   これどういうメッセージだろう。最後、血液内科、一番優れてるのは、原爆病院
   なんで、長崎原爆病院で、僕の父は死んだんですけども。この父の最期の、ダイ
   イングメッセージっていうんですか。これを僕はどう受け止めたらいいんだろう、
   って考え込んでるんです。加山さん。これは、夏・長崎からを、やめてはいけなか
   ったと父に言われているような気もするし、まだ間に合う、もう一回やれ、って
   言われているような気もするし。もっと違った形でなにか、表現する・・。

俺はね、人間には全て、みんな役割があると。そして、あなたが、20年間もできたという
ことはね、あなた自身が持ってる役割って言うのは、本質的に核廃絶と、平和、そして
人間の愛というもので、地球を救うというような、大きなテーマを持って生まれてきてん
だよ、あなたは。

さだ)そんな大したもんじゃありませんけど。

大したもんじゃないかもしれないけどさ、あなたにとっては。俺にとっては、大したもん
なんだよ。

さだ)いえ、僕は、そんな大したもんじゃない・・。

そうじゃなくて、あなたがやってることは、大したもんなんだよ。

さだ)そうですかぁ。

それを、だから、やめたけども、それで、お父さんは、要するに、自分の命を終わって
いく時に、メッセージとして、形で見せたんだな。で、それはまだ続けられるじゃん。
形はそのままじゃなくたっていい訳だし。

さだ)そうですね。

ただ、テーマが、そういうテーマ。要するに、人々に平和というものを与えつづけ・・。

さだ)加山さん、ピースミュージアム、お陰で、加山さん、協力してくだすって、できた
   じゃないですか。あれで、もう8年以上、経つのかな。去年、浦上天主堂が壊され
   るまでの写真を展示し、それがきっかけで、岩波から本として出版された。発売前
   に1万部の大ヒット。(中略)被爆マリア像を展示したことがきっかけとなって、
   それがバチカンへ行き、先月ニューヨークまで行った。あんな小さなものでも、
   インターネットで、世界発信できんですね。ピースミュージアムは形はあんなに
   小さいけども、インターネットの世界では、大伽藍(だいがらん)になりつつある
   んですよ。

やっぱし。だから、そういう役割をさ、あんたは担って生まれてきてるんだと。

さだ)いやぁ、でも、それは、加山さんが。

テーマだよ。

さだ)加山さんが、支えてくだすったんですよ、10年間も。

それは、ほんの微力ながらね。

さだ)とんでもないです。

 

えぇ、もう、あなたのなにか、望むことでしたら、なんなりと。

さだ)なにを仰いますやら、とんでもないです。

老いては子に従えのつもりで。

さだ)なにをおそれおおい。もう、加山さんのためだったら、僕、何でもしますから。

環境問題なんかにも、力になれればさ、平和もそうだしさ、ほんとにネットの世界と言う
のは凄い。この間インターネット観てたら、ある作曲家がこの指とまれって発信したらさ
自分が作った曲を歌いますって、そしたら、何人もがステージをCGバーチャルで作る
わけさ、作った本人が指揮して世界同時にその歌を一緒に歌うの。アカペラで大合唱。

さだ)仮想空間というのは、それやると素敵ですね。

それを見た人が面白いと思ったときに、その中に大きなメッセージが入っていたら、なる
ほどなと思う。俺は、これからはインターネット使ってさ。役割を果たしていく。
俺が貴方の曲で、一番涙を流して聞いた曲あるんだよな、「案山子」って言う曲、泣いた
よな、俺は。

さだ)坊ちゃんが、ソルトレイクへ。

たそう、16歳で。

さだ)僕は13歳でしたけど。

東京でしょう?

さだ)海外ですもんねえ。

一番英語と日本語と両方わかる境目、大事なときに、出したわけなんだよ。半年くらい経っ
て、俺が車運転してカミサンと一緒に、ラジオつけたら「案山子」が流れてきちゃったん
だ。その詩を黙って聴いてたら、隣で泣くわな。まったく詩の通りなんだよ、ほんとに丘
の上から見下ろすとね、真っ白な街が待っ平らでさ、カミサンがぼろぼろ涙でさ、泣いて
んのさ、俺も泣きそうだったよ。交差点で止まってさ、隣に停まった自動車の中から、こ
っち見てんだよ、「加山雄三」だと思ったら、隣で奥さんがハンカチで涙拭いてる、夫婦
喧嘩だと思われたんじゃないかなって。

さだ)二人で泣いてたら変ですもんね。

”子を思う親の心”この”案山子”にあり!

さだ)ありがとうございます!

聴きながらお別れしましょうかね。ほんとにありがとうございました。さだまさし君でした!

さだ)ありがとうございました!

♪案山子

「対談 さだ その2」の音源を期間限定で紹介します。

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 対談 さだ その2
 
 

2020年5月14日新規作成
2023年9月18日
更新