昭和は輝いていた 
   岩谷時子・加山雄三 運命の絆
 (BSジャパン 2014年7月9日)

 2014年にBSジャパンの「昭和は輝いていた」という番組で、岩谷時子さんの
 特集があり、その中で加山さんがお話されていた内容を紹介します。

 映像の掲載は終了しました。

 

 運命の絆 その1

 

 恋は紅いバラ

岩谷さんが作詞家となり、加山さんと出会い名声を得ることになります。

昭和12年生まれの加山さんと世代は違うものの、互いの人生観を凝縮させた作品の数々。
きっかけは、加山さんが作曲した英語の歌「DEDICATED」に日本語の詩をつけてほしいと関係者が
岩谷さんに頼んだことからでした。

岩谷さんが作詞家となり、加山さんと出会い名声を得ることになります。

昭和12年生まれの加山さんと世代は違うものの、互いの人生観を凝縮させた作品の数々。
きっかけは、加山さんが作曲した英語の歌「DEDICATED」に日本語の詩をつけてほしいと関係者が
岩谷さんに頼んだことからでした。

武田)仕事のお付き合いからでしょ?

(英語で)作詞作曲を自分でやってたんだけど、日本語にしろと言われて、出会ったのが岩谷時子さんで、訳詞してくれたわけ。

武田)一番最初が「DEDICATED」?

「DEDICATE」というのは、「捧げる」ということ、「捧げた」という過去形にして「DEDICATED」。

武田)英語の詩の内容は、どんな内容だったんですか?

近いんだけどね。

 

武田)「恋は紅いバラ」に?

上手い訳詞だなと思った。

武田)何で英語(で作詞)だったんですか?

当時流行ったのがEプレスリーで。プレスリーの曲を一生懸命を覚えて。英語でロックを歌うことが
ライフワークになったわけだよ。

武田)そこらへんが異質だよな!?

英語で作ると、(曲に)乗りやすい。日本語は自数が多いから。どうしようって、考えるだけで、ゾッ
とするような感じ。

須黒)岩谷さんの訳詞を見たときは、どうだったんですか?

ピッタリはまるじゃねえか、みたいな。歌いやすいしね、まったく納得ですよ。

武田)(「DEDICATED」を)少し聴かせてくれますか?

♪DEDICATED(ギター弾き語り)

武田)若大将の歌、大好き。聴いてるうちに映画のワンシーンの主役に自分がなってるような気になる。

加山さんの英語の歌を聴いた岩谷さんは、元の詩のイメージを壊すこと無く新たな詩を書きあげました。
タイトルは「恋は紅いバラ」。

♪恋は紅いバラ(CD音源)

岩谷さんが加山さんの曲に詩を提供したのは149曲。
二人の絆、岩谷さんは自身の著書で加山さんについて、こう記しています。
「今考えてもゾッとするような作詞の数をこなしていけたのは、加山さんの心をメロディを通して素直
に受け止めることが出来たからだと思う。加山さんは日本男児の古風な厳しさとおおらかで明るい西洋
の男の良さとを併せ持った男性である。

武田)印象としては、文学少女で・・・。

文学少女って言うよりも、本当に優しい人。謙虚でね、物静かでね。清楚な感じがしてね。詩が出来て
くると、”これで良いかしら?”って言うから。良くないとは言えないぐらいね。とっても優しい人で。

 

 君といつまでも

武田)(「君といつまでも」)これはメロディ先行?

「恋は紅いバラ」が25万枚のヒットしたときに、渡辺晋さんが来て、あれと同じコード進行で良いから
もっと良い曲作ってよって。同じコード進行だけど、違うメロディを作った。ほんの1時間半ぐらいで
まとめちゃって。

武田)ちょっと色っぽい言葉が出来きます。例えば「君はそよ風に髪を梳かせて やさしくこの僕の
   しとねにしておくれ」。

最初、僕はそれ(しとね)、わからなかった。どういう意味だ?これはって。でもね、聞いちゃ失礼か
と思って、そのまんまずっと歌ってて。ある時、どういう意味か?って、聞かれて。俺も良くわから
ないって、答えて困ってた時に。どなたかが、教えてくてね。そうですよねって、知ってるような顔を
した思い出のある言葉です。
最初はセリフは無かったんですが、レコーディングのリハーサルで歌い始めて間奏になって、あまり
にも素晴らしいんで。”いやあ、幸せだなあ!?”って言ったら、”それいきましょう!”ってなって。
その時に即興で作ったんですね。

武田)運命的なもんですね?

そうですね、完全に運命的なもんだと思います。

♪君といつまでも(昭和55年年忘れにっぽんの歌)

ここまでを期間限定で映像を紹介します。
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映像の掲載は終了しました。

 運命の絆 その1

 

 

 

 

 運命の絆 その2

 

 お嫁においで

須黒)加山さんがメロディを作って、そのあとに岩谷さんが詩を作るという形態でこの後もヒット曲を
   作っていくんですが。「お嫁においで」の詩をご覧いただきたいと思います。

まさか、「お嫁においで」というタイトルにまずは仰天したね。この曲は30分の間に5曲も作曲した
うちの一つ。これはやっぱり詩がスゴいから大ヒットした。

武田)あっけらか〜んと歌うんだ。

いつも言われるんだけどさ。何でそうやって無神経に歌うの?って。良く言われるんだ。

♪お嫁においで(CD音源)

 

 旅人よ

武田)我らフォーク世代がこぞって夢中になった歌です。この歌を聴いてて、チベットの山岳が確かに
   見えるような気がするんです。

スゴくわかる。作りだしたら早かったですよ、これも。茅ケ崎を出て、東京へレコーディングに行く車
の中で出来ちゃったんだよね。それをテープに入れて岩谷さんに渡しちゃったの。そしたら翌日詩が
出来てきた。「加山さんのメロディを聴くとね、独りでに詩が出てきちゃうのよね。」って。その典型
がこれ。心の中にあるものがある瞬間にパパっと編み物のようにうまく組んじゃうんだろうと思うん
だよな。

♪旅人よ(スペシャル音楽館 1995年)

 

 母よ

須黒)続いては、岩谷さんの詩の中で加山さんが特に印象的な作品としてあげていらっしゃいます「母よ」。

52歳という若さで、母が。ちょうど結婚した年なんだけど。女房も、もちろん子供も知らずに死んでいっ
たんです。失意は大きかったです。母の事を考えるのが辛くて、5年経って母の事を思いながらメロディ
を作った。それに詩がついて出来上がったのが、この「母よ」なんです。岩谷さんが、僕の母に対する
思いを全部わかってくれた。この曲は歌うと、時々詰まるくらい気持ちがね。

加山さんの母、小桜葉子さんは昭和45年、52歳で他界。時を同じくして加山さんの人生は大きく変わり
ました。事業の失敗による多額の負債。結婚、子供の誕生。困難に向き合いながらも、懸命に生きた姿を
亡き母に見せたかったと、思い続けていました。加山さんが曲を作った時、岩谷さんも唯一の家族であ
った母を亡くしたばかりでした。二人の思いが重なり「母よ」が完成したのです。

♪母よ(CD音源)

武田)最後の4行、最高ですねえ!?

本当に最高ですねえ。5年経ってたから孫がもう居たわけですよ。結婚して3年目に長男、その次が生ま
れてましたから。だから、幼な児にかこまれたぼくがみえますか?と。天国から見えるかなという事を。
非常に僕は、これは心に沁みる歌ですね。岩谷さんがよくぞここまで、ただのメロディに詩をピタっと
乗せてくれたんですね。

武田)加山さんに似つかわしくない表現が。

ウチのカミさんが、辛い思いをした。結婚直後は会社は倒産する、仕事は無い、食べるものも無い、どん
底の時代があったわけですよ。それをちゃんと見てて、それを母は知らないわけ。だから、それが見え
ますか?と。だけど頑張って。子どもが生まれて、みんなで生きてるのが見えますか?というのを母に
問うてるというかさ。そういう事を良くわかってるなと。詩の中に全部入ってる。

  

 

 眠られぬ夜の長恨歌

武田)死んだ子に語りかける母の悲痛な響きですよね?

須黒)お二人の仲が読み取れる詩ですよね。

やっぱり詩人だな。全ての思いをこういうところまで強烈に表現できる。これを詠むことによって本当の
絆みたいなものがあったんだなあとと思うもんね。生涯独身じゃないですか。女でありながら知らない、
それを問いかけて願ってというかさ。私に起こせ!って。強烈だよね。

平成25年10月25日、岩谷さんは97年の生涯を全うされました。生涯独身。世に送り出した曲は3,000曲。
その多くが愛の歌。

ご自身の心に素直な方だったなあと思いますね。ものスゴく素直な方だと思いますね。作詞をするために
悩む、何か降りてくるまで平気で待つ。その平気で待つ時間が非常に短い人だなと思うんですよ。心が
素直になって、人を愛する気持ちというのは、いろんなものを生むチカラがつくんだと思うんだな。無理
やりに愛されなきゃ私は嫌だとか、そんなこと考えてると絶対に生まれないと思うんですよ。人を愛する
ということが、こういうものを作ってきてるんじゃないかなと僕は思います。愛は奪うもんじゃなくて
与えるもんだ。

 

武田)死んだ子に語りかける母の悲痛な響きですよね?

須黒)お二人の仲が読み取れる詩ですよね。

やっぱり詩人だな。全ての思いをこういうところまで強烈に表現できる。これを詠むことによって本当の
絆みたいなものがあったんだなあとと思うもんね。生涯独身じゃないですか。女でありながら知らない、
それを問いかけて願ってというかさ。私に起こせ!って。強烈だよね。

平成25年10月25日、岩谷さんは97年の生涯を全うされました。生涯独身。世に送り出した曲は3,000曲。
その多くが愛の歌。

ご自身の心に素直な方だったなあと思いますね。ものスゴく素直な方だと思いますね。作詞をするために
悩む、何か降りてくるまで平気で待つ。その平気で待つ時間が非常に短い人だなと思うんですよ。心が
素直になって、人を愛する気持ちというのは、いろんなものを生むチカラがつくんだと思うんだな。無理
やりに愛されなきゃ私は嫌だとか、そんなこと考えてると絶対に生まれないと思うんですよ。人を愛する
ということが、こういうものを作ってきてるんじゃないかなと僕は思います。愛は奪うもんじゃなくて
与えるもんだ。

加山雄三さんは77歳の喜寿を記念し、この夏「若大将EXPO」という一大イベントを開催します。

武道館単独公演、最高年齢。今までも最高年齢なんですが、それを自分で塗り替えるという馬鹿なことを。

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 運命の絆 その2

 

 

 

 

2021年3月4日新設
2023年8月2日更新