♪恋は紅いバラ
徳光)本日のゲスト、加山雄三さんが歌います、「恋は紅いバラ」でござい
ます。この後インタビューをお届けするわけでございますけれども。
九州でこの歌を聴いておりました、高校生が「東京はこんな歌が流行
っているのか!?東京へ行ってみたいな”と思われたそうであります。
誰だと思いますか?
石川)誰でしょう!?
徳光)南こうせつさんなんですよ。加山さんていうのは、大変すばらしい
ミュージシャンでもあるわけでありまして。その傑出した才能につき
まして、触れておきたいと思うのでありますが。この「恋は紅いバ
ラ」は、加山さんの原点とも言える作品であります。リリースされ
ましたのが、56年も前の1965年で。加山さん自身が作曲を手掛けま
して。これが加山作品の最初のオリジナルシングルとなったわけで
す。作詞は岩谷時子さんだったんですが。実は加山さんが学生時代に
すでに書いておりました英語の詩を岩谷さんが訳詞をいたしまして、
アレンジを施して「恋は紅いバラ」が完成した経緯がございます。
広い意味で言いますと、シンガーソングライター加山さんの第一弾の
作品になるわけであります。この曲がヒットしまして、関係者から
加山さんが命題を突きつけられたわけであります。どういう命題かと
言いますと。これと同じような、或いはもっと良い曲を一週間以内に
書いてくれ、と。ちょっと乱暴な注文でありますけど。加山さんは、
それに応えまして。思案しながら満点の回答だったわけであります。
と、言えば大体わかると思うのでありますが。「恋は紅いバラ」の次
に発表しましたのが、「君といつまでも」だったわけであります。
加山さんは映画「若大将シリーズ」ですでにドル箱スターになって
おりましたんですけど。そんな加山さんの「君といつまでも」が
「エレキの若大将」の主題歌になりますと、たちまちエレキブームが
巻き起こりまして、お茶の水の楽器屋さんは加山さんに足を向けて
寝られないって言ってましたからね。歌手としましても、歌謡界で
不動の地位を築くことになるわけです。84歳になりますと、加山さん
を慕う後輩ミュージシャンで、最初に上げますのは桑田佳祐さんです
よね。桑田さんは、加山さんも経営陣の一人でありました「パシフィ
ックホテル」という曲も作っておられます。「パシフィックホテル」
のボーリング場でアルバイトしてた。それから「クロマニヨンズ」の
甲本ヒロトさんをはじめとして、たくさんいらっしゃるわけですが。
じつはこのコメントは、なるほどなと思ったわけでありますが。山下
達郎さんはこういう風にコメントしていらっしゃいます。「僕にとっ
て最大の疑問は、60年代頭にどうしてこういう音楽がうまれたの
か?こういう音楽をやっていたのが当時の日本では、加山さん以外
には誰も居なかったんだから。誰の真似でもない、ゼロから生み出
した発明の音楽が加山サウンド。ということになる。ということなん
です。言われてみたら、そうかな、という風に思いますよね。
先月、加山さんは新曲の「紅いバラの花」をリリースされたばかり
なんですが。これは60年代に作った未発表の曲で、これに加山さん
が新たな息吹を入れてた作品なんでありますが、後ほど加山さん
ご本人にですね、作品に対する思いを語っていただいております。
それをお聴き頂きたいと思いますが。加山さんの音楽論というのも
お話くださいましたんで。それもお楽しみにお待ちいただければと
思います。それでは加山さんの若かりし頃に作られました名曲から
1曲をお届けいたします。1966年リリース、「旅人よ」。
♪旅人よ
石川)加山雄三さん、「旅人よ」でした。今から55年前の曲なんですよね。
徳光)そうだよね、独特のね。「ジャンル 加山雄三」ですね。
石川)発明だったんですね。 |