インタビュー 新田和長(元東芝EMIプロデューサー)

シアトルでのイチローの観戦記。

 

 

2021年6月22日にBillboard Live TOKYOで無観客で開催された、加山
さんの復帰後初&デビュー60周年記念の1夜限りのスペシャルライブの
様子がスカパーの「フジテレビTWO」で放送されました。

その中から今回は、元東芝EMIプロデューサーの新田和長さんのインタビュー
の内容を紹介します。

(番組で3回に分けて放送されたものをまとめて掲載します。)

 
 インタビュー 新田 その1

新田)池袋や新宿でオールナイトで「若大将シリーズ」が上映されるように
   なってね。特に大学生中心でどんどん膨れていくのを見てて、益々
   加山さんのファンになっていったんですよ。見てるうちに、”田沼
   雄一”さんという俳優は、加山雄三さんの実像なんだという風に、だん
   だん感じて行くんですね。何回も見てると癖もわかってきて、これは
   加山さんそのものなんだという風に思っていくんですね。

   僕たちが未だ学生時代に、東芝は加山さんにレコードたくさん売らして  
   もらって、大変儲けさせてもらったんですね。冬の時代なんて言わない
   で、6年間も(オリジナルアルバムを)出さないなんてことをしないで、
   ぜひレコードを作ってください、と。加山さんのほんとのファンは待っ
   てますよ、と言ったんだけど、中々受け入れてもらえなかった。それで
   制作本部長に担当させてくださいって、直訴したんです。それで僕は
   加山雄三さんの担当になれた。

   茅ケ崎の駅前に「雄三通り」という看板を発見したんです。そのことを
   加山さんに伝えたら、加山さんは知らなかったんです。それがきっかけ
   で、加山さんの幼少の頃から今日に至るまでの舞台になった茅ケ崎を
   テーマにした、加山さんの青春のドキュメンタリーみたいなレコードを
   作りたい、と考えたわけです。

   もう一つは、いつも曲先行で作ると曲調が似てくるんではないかと思っ
   てね。今回は詩が先行で、それに合わせてメロディーを作る形をとれ   
   ないだろうか?と。今でいうJ−POPとかニューミュージックの流れ
   というか。そういったスタッフで作ろうということになった。当時まだ
   そんなに売れっ子ではなかった、でも才能が輝いていた松本隆さんで
   いきたいと思って、加山さんに話をしたところ、非常に難色を示された
   んですよね。松本隆さんが嫌だというんではなくて、ずっと岩谷時子
   先生とやってきたのに、それはダメだ、と。申し訳ないという気持ちが
   強かったんですね。それも良くわかるんだけど。最終的には納得して
   いただいて。加山さんの成城のお宅に松本さんをお連れして、それで
   どんどん親しくなって、いろんな話が出来るようになって。”今度、
   光進丸に来てよ”という話になって。松本さんと私と光進丸に行くよう
   になって。{若大将シリーズ}の映画の話とか、小学生の時に、茅ケ崎
   でロケット遊びをした話とか、いろんな話を聞いて。松本さんは、それ
   を大学ノートにメモして。

シアトルでのイチローの観戦記。 シアトルでのイチローの観戦記。
シアトルでのイチローの観戦記。 シアトルでのイチローの観戦記。
 
 インタビュー 新田 その2

新田)B面の1曲目がアルバムタイトルの「加山雄三通り」で。「湘南ひき潮」
   という曲があって。加山さんが松本さんに説明されてるのを横で一緒に
   聞いてて、感動した話なんだけど。それを松本さんが上手くまとめてくれ
   たなあと思うんですけど。加山さんは海に毎日出てるわけですよ。都会の
   人が真夏だと感じる8月の第1週は、加山さんにとっては、秋の始まりだ
   という話だったのね。どういうことかというと、毎日砂浜歩いてるから、
   きょうはいつもより温度が低いと感じる日があるんだそうですよ。その時
   に、加山さんは誰よりも先に秋を感じるんだ、と。そうすると東京から
   来ている大勢の人たちも、もうじき居なくなっちゃんだな、と。その切
   ない気持ちを感じてたんだよ、と。

   あれを録音した時は、加山さんにウクレレを弾いてもらったの。それから
   ギターも。ウッドベースも。ウッドベースをスタジオの奥の方に隠して
   あったので、それを弾いてもらって。間奏で口笛も吹いてもらった。スト
   リングスだけ用意してもらって、あとは全部加山さんが手づくりで作った。
   だから、加山さんは最初はちょっと難色を示されたんだけど、やろうって
   決めたら、松本さんにも家へ来たら良い、船へ来たら良い、ご飯作って
   くれて、演奏も自分で全部やって、そういう手作りで作ったアルバムですね

シアトルでのイチローの観戦記。 シアトルでのイチローの観戦記。
 
 インタビュー 新田 その3

新田)本当は加山さんが全部演奏してるのを書くべきだったと思うんですけど。
   ライナーノートを書く時間が無かったというか早く出したいという気持ち
   の方が強かったんでライナーノートは岩谷時子先生に書いていただいた。
   作詞家としては参加してもらえなかったので、加山さんの申し訳ないなと
   いう気持ちを私は聞いてたから。岩谷先生に昔、光進丸に招待された時の
   記憶のようなエッセイを書いていただいて、普段、音楽家として接して
   いる加山さんではなくて、光進丸の船長としての、海の男としての岩谷
   先生の記憶がそこに書かれているんです。それが後々「海 その愛」の詩
   になるんですよ。

    「海 その愛」が出る10年以上前の話で。その貴重な、嵐の中を光進丸が
   勇敢に航海した、凛々しく船長を務めていた、と。私は船長を信頼してた
   から怖くなかったというエッセイを書かれているの。それが「海 その愛」
   につながっている。岩谷先生の所に行った時に、最初に教わったのは、
   加山さんの歌の一人称は”ぼく”よ、と。二人称は”君”よ。”俺”、
   ”お前”になっちゃうと、裕次郎さんになっちゃうでしょ?なんて言われ
   て、あっ、そうですね、と。それから詩のコンセプトは「恋すれど触ら
   ず」よ、って言われた。非常に深い言葉で。ああ、わかりましたって。
   新田さん、今度のこの曲は、どういう曲にしたいの?と言われたので、
   ビートルズでいえば「ヘイジュード」、サイモンとガーファンクルで
   いえば「明日に架ける橋」のようなスケールの大きな曲にしたいです、と。
   わかったわ、みたいな感じで。それで出来上がってきた詩には、”海よ 
   俺の海よ”って、”俺”が入っていたんでビックリしてね。この歌は先生
   の中では、昔光進丸にお乗りになった時に感じた加山さんの姿をダブらせ
   て、お書きになったんだなあと。これは、やっぱり”俺の海”なんだなあ
   っていう風に感じたんですけどね

シアトルでのイチローの観戦記。 シアトルでのイチローの観戦記。
岩谷さんが書かれたライナーノーツ、下をクリックしてください。

 

 アルバム 加山雄三通りライナーノーツ

 

 

期間限定で映像を紹介します。下をクリックしてください。

動画の掲載期間が終了しましたので、動画は削除しました。

 インタビュー 新田和長
 (元東芝EMIプロデューサー)

 

 

 復帰後初ライブ

番組全部の内容は、上の「復帰後初ライブ」をクリックしてください。

 

2021年9月9日新設
2025年9月5日更新