徳光)実はですね、今週、地元、茅ヶ崎の市民ホールで「ありがとう
加山雄三さん、湘南サウンドといつまでも」というコンサートが。
これは地元の商工会議所が、加山さんが今年でコンサート活動を
終えられるということで、ぜひ、30年間お住まいになっていた
地元の茅ヶ崎で、と話を持っていきましたら、すぐにOKして
くださって。で、たいへん有難いことに、だったら司会は徳光君
にしたら、ということでご指名をうけまして。最高のコンサート
でありまして。言ってみれば、故郷でのラストコンサートが、
実現したわけであります。精力的に20曲近く、歌ってくれたん
ですかね。最後の「旅人よ」では、スタンディングオベーション
でしたね。
地元出身の、加山さんとご縁のありますミュージッシャン、ブレ
ッド&バターの岩沢兄弟とか、「モンローウォーク」の南 佳孝
さん、それから加山さんが名付け親になりました”ワイルドワン
ズ”、そういった人たちが、加山さんとの思い出を語るわけですよ。
ブレッド&バターのお兄さんの方は、小中学校が加山さんの後輩で、
中学校へ通う時に、よく家の横を通るとギターで1960年代のアメ
リカンポップスを歌ってる加山さんに出会ったことがあるそうです。
”ワイルドワンズ”の面々は、リーダーの加瀬さんが加山さんの家
に入り浸っていたと。加瀬さんは、慶応高校の後輩だったんですね。
ギターを習っていたんですが、それが目的ではなくて、本当の目的
は、加山さんの妹さんだった、と。そんなような話をしてました。
で、加山さんから、”加瀬、お前ギター全然上手くならねえな”
って良く言われてたという話もありました。
茅ヶ崎商工会議所の会長さんも慶応の後輩でいらっしゃって、慶応
に残る話として、1960年代、茅ヶ崎には二人の高校生ミュージッシ
ャンが居た。一人は加山雄三さん、一人は平尾昌晃さん。同級生
なんですって。加山雄三さんは皆勤賞、平尾昌晃さんは出席日数が
足りなくて、中退を余儀なくされた。加山さんは一度だけ遅刻した
ことがあったそうなんですが。東海道線が途中で送電線の故障で
止まってしまったんで、降りて京浜東北線の最寄り駅まで歩いて、
そこから乗り継いで学校まで行ったそうなんですけど。2時間目の
終わりあたりに到着したらしいんですよ。その話を聞いた先生は
”それだったら遅刻じゃない、お前は皆勤賞にしよう”って。それ
で皆勤賞になったと。そういう話を伺いましたけど。
加山さんは、高校時代はボクシングとかバンドに打ち込んでいらっ
しゃいまして。大学は、船乗りか、船の設計士を目指して商船大学
を志望したらしいんですよ。そしたら周囲から、せっかく田舎の
中学から慶応高校に入ったんだから、慶応大学に進んだ方が良いん
じゃないかと。それで、慶応大学に進んだわけです。大学時代は
音楽活動に積極的に取り組んだそうですけど、就職活動として三菱
商事とアサヒビールの会社要領を取り寄せて、入社試験を受けよう
としたんですが、文化放送で社長と会長をやられました親友の峰岸
さんから、せっかく”上原 謙”というブランドがあるんだから、
そっちの道に進んだ方が良いんじゃないかって。スターになった
ら、大好きな船も買えるぞって。この一言で加山さんは芸能人を
目指したということなんです。
とにかくいろんなお話がふんだんに出まして、大変楽しい、僕に
とりましても思い出に残るコンサートでしたね。 |