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JFN系列局で放送された、ラジオ番組「Music Stories」に加山さんが その内容を紹介します。今回音源の掲載はいたしません。 |
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荻原)今週のゲストは加山雄三さんです、よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 荻原)お迎え出来まして、本当に光栄です。9月7日に「若大将ベスト」というベストアルバムを 手紙のような長い文章がピアノの上に置いてあったのが出てきたんですよね。 荻原)気が付かなかったんですね? 岩谷さんの詩は文字に特徴がありますから。原稿用紙も同じで。それから抜粋して詩の形に整えた 荻原)加山さんが詩の形にして。それに曲をつけて。岩谷さんと曲を作る時は曲先ですよね。今回は そういうことですね。 荻原)このお年になられてから新たなチャレンジということで。その曲を聴かせていただきたいと はい、加山雄三っで「海が男にしてくれた」。 ♪海が男にしてくれた 荻原)良いですね、雄大な感じもしますしね。これは加山さんへのメッセージという形で岩谷さん そうです、手紙のようだったんですけど、やっぱり詩なんですよね。 荻原)岩谷さんとは150曲以上も一緒に。 曲数は多いですよ。僕が自分で作詞したのは少ないですからね。 荻原)岩谷さんの言葉は、僕等も聴く方として加山さんの言葉として受け止めているような。それの ありがとうございます。 |
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荻原)「若大将ベスト」というこれまでの代表曲をズラっと並べたベストアルバムがリリースされ 全然前例が無いわけじゃないんですが。大橋節夫さんはバンドをやって作詞作曲をしてたんで、同じ 荻原)これだけの数をやられた方も居ないですし、ご自宅にあったガレージの中でテープレコーダー そう、信じられないですよね。1本の釣り糸みたいな針金に音が入るというのは不思議だなあと思っ 荻原)その2台を駆使して。 最初はワイヤーレコーダーっだったんだけど。翌年に親父がテープレコーダーを買ってきて、2台に 荻原)多重録音をねえ。60年代の初めの方でしょ? そうですよ。誰もいないですよ。 荻原)やってないですよ。 ただね、外国の曲で、多重録音をやったのが、メリーフォード。 荻原)レス・ポールとメリーフォードですね。 それを聴いた時に、何だろう?やれば出来るだろうと思って。行って返って、行って返って。段々 荻原)そうですか!?60年代にすでにね。(山下)達郎さんの多重コーラスの曲は70年代の終わり そのためにガレージにスピーカーを置いて、ガレージの反響音をマイクで拾って自然のエコールーム 荻原)機械(作ったエコー)じゃなくて自然の反響音で。 そのあとに、スリーヘッドのテープレコーダーになった時に頭をズラして残響音を作るとか、いろん 荻原)環境って(影響が)大きいですもんね。 大きいですよ、これは。 荻原)しかもガレージもあって。そこでいろんな実験が出来た。 そういうことですね。有難いことで。 荻原)そういうとこから、いろんなものが始まっているという。さて「若大将ベスト」の中から1曲 伴奏をしてくれたんです。 荻原)大橋節夫さんの曲って、少し歌謡曲っぽくて。加山さんのこの曲の方が正面切ってハワイアン テンポがあって、良かったと思いますよ。 荻原)その代表曲を聴かせていただきたいと思います。ご紹介をお願いいたします。 それでは加山雄三で聴いていただきたいと思います。「お嫁においで」。 ♪お嫁においで |
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荻原)僕も「海の若大将」、「エレキの若大将」の世代ですから、「お嫁においで」のウクレレ ここでライブハウスのことを伺いたいと思います。加山さんといえばケネディハウスが 今はもう全然やらなくなっちゃったんでですけど、毎週出てましたからね。 荻原)一度、山下達郎さん、竹内まりやさんご夫婦と一緒にお邪魔したことがあるんです。 ホント!? 荻原)達郎さんがステージに呼び出されてドラムを叩かせられてましたよ。 そう、そう、そう。 荻原)あの規模でライブをやるのは楽しいですか? 狭いところでやるライブ感を身に付けた。最初はすぐ傍で見てる人の顔を見ながら歌えなかった。 荻原)そうなんですか!? もう横向いて歌ってた。どこ見て良いかわからない。大きいステージだと遠いじゃない。顔が見え 荻原)大石五郎さんとか、やってらっしゃいましたもんね。 喋ってもらってた。その内段々自分で。それでいらねえよって。 荻原)加山さんでも”あがる”んですか? ”あがる”というか、緊張はするんですよね。あがっちゃっちゃダメだからね。緊張ですよね。 荻原)あの時に印象に残っているのは、終わった後に焼き鳥を食べておられたことで。”これが 良く知ってますねえ!焼き鳥3本とビールがあれば良いやって。 荻原)ギタリストの加山さんに、みんな憧れてたと思うんですけど、だから加山さんの指を見て そう!?へ〜えっ。 荻原)どうやって弾いてるんだろう?って。親指の使い方は自己流? 自己流ですね。外国に行っても、同じように弾いてる人は居ないですよ。 荻原)「ブラック・サンド・ビーチ」で親指で第6弦を押さてグーンとあげて高いところへいく 良くご存じですね。なるほどね。面白いな。 荻原)右手でのピッキングも中指を使いながらやっていて。それを見るのがね。 それはいろいろと勉強しましたよ。ピックを持ちながら中指で弾いて同じような音が出るかな、と。 荻原)そういうのを含めて、いろんなことを学ばせていただきましいた。 |
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荻原)僕が忘れられないのは、インストのベスト(1994年7月1日発売 ブラック・サンド・ 良く覚えてるなあ!? 荻原)ビックリしちゃって、カッコイ〜と思って。 もう忘れてた。 荻原)やってらっしゃいましたよね? やってた。今、言われてみれば、やってたなあって。地方へ行ってのロケの場合、合間の時間をどう 荻原)あぁ、加山さんも練習.やるんだ、と思って。 ほとんど、忘れてた!?ビックリしちゃったですよ、ホントすごいなぁ! 荻原)エレキギターを弾きたいという気持ちは、加山さんに触発されたことが大きいですからね。 なるほどねえ!? 荻原)そんな加山さんのエレキを聴くことが出来る曲を紹介していただけますでしょうか? はい、「ブラック・サンド・ビーチ」。 ♪ブラック・サンド・ビーチ これ、実際にハワイにありますよ、「ブラック・サンド・ビーチ」。 荻原)それをイメージして? いや、そうじゃなくて。作った後で、あるんだよってなってビックリした。茅ヶ崎の海岸みたいな 荻原)黒いんですか? 真っ黒!?火山灰のせいでしょうね。タイトル通りの名前だった。ビックリしたよ。 荻原)すごいですね、知らないで作ってる。加山さんが、”なんで、この曲のキーをGにしたん もう忘れちゃってね。不思議なもんだね。 荻原)良いですよね、そういうとこも含めて”加山雄三”で。大らかなイメージがありますけ それ、後から聞いたんだ。そんな馬鹿な話は無いなと。カントリーウエスタンから始まって、エレキ 荻原)お客さんの盛り上がりの上手さはありますよね。当時の日本のお客さんはそういう盛り上がり 知らない。ないですよ。 荻原)それに乗せられて、ここまでやってきた、ということになるんですかね。素晴らしい。 |
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荻原)まだまだ、いけそうな気がしますが。 音楽を辞めるわけじゃないから。お客様の前でちゃんと歌うのは最後になりますということで。 荻原)それが9月9日のコンサートで、抽選はものすごい倍率だったようで。見事に外れてしまい これは僕の長年の夢なんですけど。昔、僕が勉強を教わりに行っていた家庭教師の先生が商船大学 荻原)加山さんも図面を描かれるんでしょ? 見様見真似でね。それがすごい勉強になってね。後々ものすごい役に立つんですよ。最初はカヌー、 荻原)それが加山さんにとって初の動力が付いた船ということなんですか? リヤカーに乗せて海へ持って行って進水式をして、親父を乗せて走った。ものすごいスピードが 荻原)そこから光進丸そして飛鳥Uに繋がるんですね? 海で歌って、それが最後というのは僕らしいなと。 荻原)”若大将”という呼び名もありますけど、”船長”という呼び名も。 何回かやってるんですよ、名誉船長として。長い事、夢だったんですよ。肩章付きの制服を毎回着る 荻原)お客さんもそういう姿が見られて嬉しいですよね。 ブリッジに出ると気分が良いんですよ。お客さんが”キャー!”って言ってくれるんです。 荻原)カヌーから始まって、そこまできたんですね。 そこまで来ちゃったら、もう言うことないです。 荻原)最高ですねえ。銀座では2年間限定で「加山雄三ギャラリー」ということで絵の方も。展覧会も。 そう、たくさん来てもらいたいなと思うんですよ。入口が狭いから知らないんじゃないかと思うけど。 荻原)ギターも展示してあるとか? 古いやつがね。エレキだとか使ってたのとか展示してあります。 荻原)その他に映画若大将シリーズ復活上映もありますし。ヴァーチャル若大将、若大将ベストの告知 良いんですか、来て? 荻原)お願いしますよ。嬉しいなあ!? ありがとうございます。 荻原)もう1曲かけたいと思います。この曲は、達郎さんと(ケネディハウスに)一緒に行った時に 僕は、その曲を歌ってたペリー・コモと会ったことありますからね。 荻原)すごいですね。そんな加山さんの曲できょうはお別れして、また来週来ていただくことにした ありがとうございました。 荻原)ラストに、この曲を紹介してください。 では、加山雄三で「ある日渚に」。 ♪ある日渚に |
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2023年5月29日新規作成 |
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