レポート Music Stories
(FMとやま 他 9月3日28時〜29時)

JFN系列局で放送された、ラジオ番組「Music Stories」に加山さんが
ゲスト出演され、約50分間(放送された楽曲含む)出演されました。

その内容を紹介します。今回音源の掲載はいたしません。
パーソナリティーは、萩原健太

♪海が男にしてくれた

荻原)今週のゲストは加山雄三さんです、よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

荻原)お迎え出来まして、本当に光栄です。9月7日に「若大将ベスト」というベストアルバムを
リリースされまして。コンサートも行われるということで。これが我々ファンにとっては
ショッキングだったんですけど、ホールコンサートは一区切りということで。私もチケット
を申し込んだんですけど外れました。全国から殺到してたみたいでね。パブリックビュー
イングも行われるということです。話題たくさんの加山雄三さんをお迎えしまして、いろ
いろお話を伺いたいと思います。新曲の「海が男にしてくれた」がリリースされるんですが、
岩谷時子さんの詩で加山さんが曲を作られたんですけど、岩谷さんが亡くなられて10年近く
なりますけど、詩があったんですよね。

手紙のような長い文章がピアノの上に置いてあったのが出てきたんですよね。

荻原)気が付かなかったんですね?

岩谷さんの詩は文字に特徴がありますから。原稿用紙も同じで。それから抜粋して詩の形に整えた
んです。

荻原)加山さんが詩の形にして。それに曲をつけて。岩谷さんと曲を作る時は曲先ですよね。今回は
詩が先にあって。

そういうことですね。

荻原)このお年になられてから新たなチャレンジということで。その曲を聴かせていただきたいと
思いますので、加山さんから紹介していただけますか?

はい、加山雄三っで「海が男にしてくれた」。

♪海が男にしてくれた

荻原)良いですね、雄大な感じもしますしね。これは加山さんへのメッセージという形で岩谷さん
が書かれたんんですか?

そうです、手紙のようだったんですけど、やっぱり詩なんですよね。

荻原)岩谷さんとは150曲以上も一緒に。

曲数は多いですよ。僕が自分で作詞したのは少ないですからね。

荻原)岩谷さんの言葉は、僕等も聴く方として加山さんの言葉として受け止めているような。それの
新曲が出来るのはすごい嬉しいことですよね。

ありがとうございます。

多重録音

荻原)「若大将ベスト」というこれまでの代表曲をズラっと並べたベストアルバムがリリースされ
ますが。きょうはここからの曲も交えながら、昔話も交えながらお願いしたいと思いますが。
加山さんと言うと日本で初のシンガーソングライター、自分で曲をお作りになって自分で歌
う。少なかったじゃないですか。それをかなり早い段階でおやりになったという。

全然前例が無いわけじゃないんですが。大橋節夫さんはバンドをやって作詞作曲をしてたんで、同じ
ようなことが出来るんだなあと思いながらやったわけですよね。僕が最初みたいなことを言われると
恐縮しちゃって。

荻原)これだけの数をやられた方も居ないですし、ご自宅にあったガレージの中でテープレコーダー
とワイヤーレコーダーで。

そう、信じられないですよね。1本の釣り糸みたいな針金に音が入るというのは不思議だなあと思っ
たんですけど。

荻原)その2台を駆使して。

最初はワイヤーレコーダーっだったんだけど。翌年に親父がテープレコーダーを買ってきて、2台に
なったんだ。初めてピンポンやったんだ。

荻原)多重録音をねえ。60年代の初めの方でしょ?

そうですよ。誰もいないですよ。

荻原)やってないですよ。

ただね、外国の曲で、多重録音をやったのが、メリーフォード。

荻原)レス・ポールとメリーフォードですね。

それを聴いた時に、何だろう?やれば出来るだろうと思って。行って返って、行って返って。段々
重ねて4回ぐらい重ねていくと音がだいぶ悪くなるんですよ。でもね、ブラザースフォーの「グリー
ンフィールズ」を多重録音でやってそれがおそらく日本じゃ初めてだと思うんですけど。それを
ラジオで放送したんですよ。

荻原)そうですか!?60年代にすでにね。(山下)達郎さんの多重コーラスの曲は70年代の終わり
頃ですから。15年以上早くやってらして。

そのためにガレージにスピーカーを置いて、ガレージの反響音をマイクで拾って自然のエコールーム
を作ったんです。それで上手く(歌えてるように)聴こえるんですよ。

荻原)機械(作ったエコー)じゃなくて自然の反響音で。

そのあとに、スリーヘッドのテープレコーダーになった時に頭をズラして残響音を作るとか、いろん
なことをやったのも、やっぱり親父がそういう道具を買ってくれたおかげだなと思ってね。

荻原)環境って(影響が)大きいですもんね。

大きいですよ、これは。

荻原)しかもガレージもあって。そこでいろんな実験が出来た。

そういうことですね。有難いことで。

荻原)そういうとこから、いろんなものが始まっているという。さて「若大将ベスト」の中から1曲
聴きたいんですけど。大橋節夫さんが関わって素晴らしいスチールギターが楽しめる。

伴奏をしてくれたんです。

荻原)大橋節夫さんの曲って、少し歌謡曲っぽくて。加山さんのこの曲の方が正面切ってハワイアン
的なプレーをなさってて。

テンポがあって、良かったと思いますよ。

荻原)その代表曲を聴かせていただきたいと思います。ご紹介をお願いいたします。

それでは加山雄三で聴いていただきたいと思います。「お嫁においで」。

♪お嫁においで

ケネディハウス ライブ

荻原)僕も「海の若大将」、「エレキの若大将」の世代ですから、「お嫁においで」のウクレレ
とか「夜空の星」のエレキギターがベース(基本)を作ってるみたいな。加山さんに切り
開いてもらった。音楽の趣味というか。大の恩人というところがあるように思います。

   ここでライブハウスのことを伺いたいと思います。加山さんといえばケネディハウスが
   パッと浮かびますが。

今はもう全然やらなくなっちゃったんでですけど、毎週出てましたからね。

荻原)一度、山下達郎さん、竹内まりやさんご夫婦と一緒にお邪魔したことがあるんです。

ホント!?

荻原)達郎さんがステージに呼び出されてドラムを叩かせられてましたよ。

そう、そう、そう。

荻原)あの規模でライブをやるのは楽しいですか?

狭いところでやるライブ感を身に付けた。最初はすぐ傍で見てる人の顔を見ながら歌えなかった。

荻原)そうなんですか!?

もう横向いて歌ってた。どこ見て良いかわからない。大きいステージだと遠いじゃない。顔が見え
ないから良いんですよ。ところがケネディハウスじゃ、みんなすぐ傍で見てるから。最初は喋る
こともできないから司会を付けてね。

荻原)大石五郎さんとか、やってらっしゃいましたもんね。

喋ってもらってた。その内段々自分で。それでいらねえよって。

荻原)加山さんでも”あがる”んですか?

”あがる”というか、緊張はするんですよね。あがっちゃっちゃダメだからね。緊張ですよね。

荻原)あの時に印象に残っているのは、終わった後に焼き鳥を食べておられたことで。”これが
俺のギャラなんだよ。”って。

良く知ってますねえ!焼き鳥3本とビールがあれば良いやって。

荻原)ギタリストの加山さんに、みんな憧れてたと思うんですけど、だから加山さんの指を見て
いた人が多かったですね。

そう!?へ〜えっ。

荻原)どうやって弾いてるんだろう?って。親指の使い方は自己流?

自己流ですね。外国に行っても、同じように弾いてる人は居ないですよ。

荻原)「ブラック・サンド・ビーチ」で親指で第6弦を押さてグーンとあげて高いところへいく
のが、あるじゃないですか?どうやってるのかなと。

良くご存じですね。なるほどね。面白いな。

荻原)右手でのピッキングも中指を使いながらやっていて。それを見るのがね。

それはいろいろと勉強しましたよ。ピックを持ちながら中指で弾いて同じような音が出るかな、と。

荻原)そういうのを含めて、いろんなことを学ばせていただきましいた。

エレキの練習&ブラック・サンド・ビーチ

荻原)僕が忘れられないのは、インストのベスト(1994年7月1日発売 ブラック・サンド・
ビーチ/加山雄三withランチャーズ)だったと思うんですけど、それのライナーを書くのに
加山さんにお話をお聞きするのに、ホテルの部屋に入ったら、加山さんがアタッシュケース
みたいなものにスピーカーが付いていて、MDプレイヤーもあって。そこにギターのコード
を差しこむと音も出て、MDプレイヤーで”マイナスワン”(ギターの入っていない)の
カラオケが流れてて、それに合わせて練習をなさってるのを見たことがあって。

良く覚えてるなあ!?

荻原)ビックリしちゃって、カッコイ〜と思って。

もう忘れてた。

荻原)やってらっしゃいましたよね?

やってた。今、言われてみれば、やってたなあって。地方へ行ってのロケの場合、合間の時間をどう
利用するか、自分で”マイナスワン”のカラオケを作っておくと、弾くと練習になるんですよ。

荻原)あぁ、加山さんも練習.やるんだ、と思って。

ほとんど、忘れてた!?ビックリしちゃったですよ、ホントすごいなぁ!

荻原)エレキギターを弾きたいという気持ちは、加山さんに触発されたことが大きいですからね。
そういうシーンに遭遇できたことが幸せだったなあと。

なるほどねえ!?

荻原)そんな加山さんのエレキを聴くことが出来る曲を紹介していただけますでしょうか?

はい、「ブラック・サンド・ビーチ」。

♪ブラック・サンド・ビーチ

これ、実際にハワイにありますよ、「ブラック・サンド・ビーチ」。

荻原)それをイメージして?

いや、そうじゃなくて。作った後で、あるんだよってなってビックリした。茅ヶ崎の海岸みたいな
白じゃないよということで、「ブラック・サンド・ビーチ」ってつけたのに、ハワイ島にある、
行ったんですよ。

荻原)黒いんですか?

真っ黒!?火山灰のせいでしょうね。タイトル通りの名前だった。ビックリしたよ。

荻原)すごいですね、知らないで作ってる。加山さんが、”なんで、この曲のキーをGにしたん
だろう?”って。ご本人が仰ってて。”最初にハーモニックスが入ってるからでしょう”
って、言うと、”あっ、っそうだ!”って。

もう忘れちゃってね。不思議なもんだね。

荻原)良いですよね、そういうとこも含めて”加山雄三”で。大らかなイメージがありますけ
どね。当時は、エレキは不良みたいな文化だったじゃないですか?

それ、後から聞いたんだ。そんな馬鹿な話は無いなと。カントリーウエスタンから始まって、エレキ
を弾くのは当たり前だと思ってた。米軍キャンプにたまにトラ(エキストラ)で出されたことがあっ
た。その時にエルヴィス・プレスリーの曲を演奏したら、みんなが喜んで。ステージって、こんなに
素晴らしいんだって。お客さんの反応がすごくて。それを覚えたのが米軍キャンプですよ。良いもん
だなと思って。

荻原)お客さんの盛り上がりの上手さはありますよね。当時の日本のお客さんはそういう盛り上がり
方は知らなかったから。

知らない。ないですよ。

荻原)それに乗せられて、ここまでやってきた、ということになるんですかね。素晴らしい。

飛鳥Uでのライブ

荻原)まだまだ、いけそうな気がしますが

音楽を辞めるわけじゃないから。お客様の前でちゃんと歌うのは最後になりますということで。

荻原)それが9月9日のコンサートで、抽選はものすごい倍率だったようで。見事に外れてしまい
ました。ライブビューイング&飛鳥Uの若大将クルーズの告知。

これは僕の長年の夢なんですけど。昔、僕が勉強を教わりに行っていた家庭教師の先生が商船大学
の学生だったんですよ。その人の家で船図(船体線図?)を見て、こうやって描くんだとわかった
時から興味を持ったんですよ。

荻原)加山さんも図面を描かれるんでしょ?

見様見真似でね。それがすごい勉強になってね。後々ものすごい役に立つんですよ。最初はカヌー、
14歳の時に乗れるカヌーを作って。3人乗っても平気だった。それから毎年作ってて、大学1年の
時には、とうとうモーターボートになって。親父に、作ったらエンジンを買ってもらうという約束
をしたんですよ。親父は絶対作れないと思ったんでしょうね、”良いよ”って。ロケから帰って
きた親父に制作中の写真を見せたら、約束通りエンジン(中古の)を買ってくれた。その当時で
23,4万円のエンジンを。

荻原)それが加山さんにとって初の動力が付いた船ということなんですか?

リヤカーに乗せて海へ持って行って進水式をして、親父を乗せて走った。ものすごいスピードが
出るんだ。

荻原)そこから光進丸そして飛鳥Uに繋がるんですね?

海で歌って、それが最後というのは僕らしいなと。

荻原)”若大将”という呼び名もありますけど、”船長”という呼び名も。

何回かやってるんですよ、名誉船長として。長い事、夢だったんですよ。肩章付きの制服を毎回着る
んですよ。

荻原)お客さんもそういう姿が見られて嬉しいですよね。

ブリッジに出ると気分が良いんですよ。お客さんが”キャー!”って言ってくれるんです。

荻原)カヌーから始まって、そこまできたんですね。

そこまで来ちゃったら、もう言うことないです。

荻原)最高ですねえ。銀座では2年間限定で「加山雄三ギャラリー」ということで絵の方も。展覧会も。

そう、たくさん来てもらいたいなと思うんですよ。入口が狭いから知らないんじゃないかと思うけど。
中は広いんですよ。

荻原)ギターも展示してあるとか?

古いやつがね。エレキだとか使ってたのとか展示してあります。

荻原)その他に映画若大将シリーズ復活上映もありますし。ヴァーチャル若大将、若大将ベストの告知
まだまだ聞き足りない話がありますので来週もまた来ていただくということにしてですね。

良いんですか、来て?

荻原)お願いしますよ。嬉しいなあ!?

ありがとうございます。

荻原)もう1曲かけたいと思います。この曲は、達郎さんと(ケネディハウスに)一緒に行った時に
まりやさんが”私、この曲が一番好きなの加山さんの曲では”と仰ってた曲なんです。
まりやさんは、その時に加山さんが歌ってらっしゃった「For The Good Times」を聴いて、
”これ誰の曲なの?”とか、”加山さん、すごい!?”って盛り上がってました
が。

僕は、その曲を歌ってたペリー・コモと会ったことありますからね。

荻原)すごいですね。そんな加山さんの曲できょうはお別れして、また来週来ていただくことにした
いと思います。きょうは本当にありがとうございました。

ありがとうございました。

荻原)ラストに、この曲を紹介してください。

では、加山雄三で「ある日渚に」。

♪ある日渚に 

 

2023年5月29日新規作成