レポート Music Stories
(FMとやま 他 9月10日28時〜29時)

JFN系列局で放送された、ラジオ番組「Music Stories」に加山さんが
先週に引き続き、ゲスト出演され、約40分間(放送された楽曲含む)

出演されました。

その内容を紹介します。今回音源の掲載はいたしません。
パーソナリティーは、萩原健太

ヴァーチャル若大将

♪恋は紅いバラ

荻原)今週も聞きたいことがたくさんあるんですけど。

良いですよ、なんなりと。

荻原)ヴァーチャル若大将というシリーズを。加山さんの往年の声で。いろんな、若いバンドの歌を
歌ったり。

出来るんですね、これがね。

荻原)加山さんはいろんな若い人たちとコラボレーションもやっておられますし、音楽シーンにも
興味があられるのかなと。

新しいもの好きですからね。

荻原)加山さんが新しいもの好きだったおかげで洋楽の新しい文化みたいなものを僕らは体験する
ことが出来た。加山さんを通して。そのヴァーチャル若大将のシリーズで新曲が公開された。
ヴァーチャル若大将で聴いてください。「そして陽は昇りつづける」。

♪そして陽は昇りつづける

荻原)いかにも加山さんらしい曲というか、昔だったらランチャーズをバックにエレキバンドで演奏
しそうな曲ですけど、それを少しグレードアップしたような曲で。オーケストレーションとか
ストリングスも入っていて。豪華に仕上がってるという感じですね。

プレスリー&ピアノコンチェルト

荻原)加山さんはいろんな曲をお作りになってますけど、本当に幅広いじゃないですか。最初は
カントリーをやっておられたんですよね?

自分で歌うのはカントリーウエスタンでしたね。FENから流れてくるカントリーウエスタンを聴いて、
これは良いなと思って聴きだしたのと、スキー場に、友達でギターを持ってきたやつがいたから。
そいつがカントリーを歌ったんですよ。教えてもらって、1時間半ぐらいで弾けるようになった。

荻原)それ、すごいですよね。

それからのめり込んだんですよね。

荻原)で、エルヴィス・プレスリーの登場が大きい?

エルヴィス・プレスリーのA面は歌えない、「ジェイルハウスロック」は歌えない、「トゥリー・
トゥ・ミー・ナイス」ぐらいだったら歌えた。それでB面ばっかり歌うようになった。B面も良いん
ですよねえ。聴いてて味があるなあと思った。

荻原)最初は元々ある歌をやってらっしゃったんだと思いますが。曲を書こうと思うようになった
のは、どの辺からですか?

曲はね14歳の時からですね。一番最初に作ったのは「夜空の星」の原曲に。ピアノの練習曲みたい
にね。サビは全然違う訳なんですよ。弾いてたら、後ろに親父が立ってて、”その曲は何ていう曲
だ?”っていうから”これは俺が作ったんだ”って。”お父さんはピアノコンチェルトが大好き
だから、いずれ勉強してピアノコンチェルトを書いてくれ”って。”わかった”って簡単に言った
んですよ。その時には第一主題のメロディーは生まれてましたからね。

荻原)後にそれをちゃんとお作りになりましたからね。

やろうと思っていたんだけど、親父に”あれ、やってるか?”って聞かれたんですよ。”まだやっ
てないよ、全然”と答えたら、ガッカリした顔をしてね。これはやらなきゃいけないと思ってね。
それから12年ぐらいかかって完成したんですけど。その途中にテレビの番組で、「オーケストラが
やってきた」という山本直純さんが司会をしてた番組で。ピアノコンチェルトを書いてるんですよ。
と話したら、それ、良いですね!ってなって。ピアノを初見で弾ける人は羽田健太郎さんしかいない
ってなって。苦労して長い譜面を書いたのを”こんな感じ?”って、一瞬にして弾いちゃうの。ガッ
カリしましてねえ。でも、すごいなあと思ったねえ。この人に任せておけば大丈夫だと思って。ウチ
の親父を呼んで演奏したんですよ。終わって、親父をステージに上げてスコアを手渡したんですよ。
親父がポロポロと涙を流してね。

荻原)それは泣きますよね。

嬉しかったですね。親孝行出来たと思ってね。

夕陽は赤く

荻原)お父さんがクラシックをたくさん聴いてらっしゃったんですよね。その影響もあって?

その影響もあって音楽が好きになったんで。親父が居ない時に親父のレコードを聴いて。居る時は
触っただけで怒られちゃう。”スリーB”って言ってね、ブラームス、ベートーベン、バッハ。
アルバムというのは78回転のレコードを何枚も聴いて(1曲の)コンチェルトになるわけですよね。

荻原)そういう中から、音楽を自分のものにしながら、、ロックンロールの影響も受けながら幅広い
感じで作っていって。いろんな曲調があって。「夕陽は赤く」はちょっと変わった曲じゃ
ないですか。”Bセブン”が1回も出てこなくて曲が成り立ってる。

編曲してくれた森岡賢一郎さんが同じことを言ってましたよ。”(Bセブンが)無いのに終わるん
だからな”って。

荻原)しかも終わり方も・・・。なんだこりゃあ!?って。これが60年代のああいう時期に、日本の
ポップミュージックがまだ洗練されてない頃に軽々やってるというのはすごいなあって。

やっぱりいろんなジャンルの曲を聴くチャンスがあったから。(そういう)環境にあったということ
ですよね。有難いなあと思うんですけど。

荻原)その環境を存分に活かしてらっしゃる。その曲を聴かせていただきたいので紹介していただけ
ますでしょうか。

「夕陽は赤く」。

♪夕陽は赤く

ベンチャーズ

荻原)またライブハウスについて伺いたいと思うんですけど、ジャズ喫茶みたいなところへ出てらっ
しゃったことは?

学生時代にカントリークロップスでダンスホールに週2回、東京会館というところで。僕は余り歌わ
なかった。エレキをやってたりした。中にはバイオリンを演奏するやつも。彼はまだ生きてますけど。

荻原)バンドの楽しさを、グループサウンズ時代が来る前にみせてくれてたじゃないですか?楽し
ませてくれたのは加山さんでしたね。

縁があってね。聴くチャンスもあったりね。実際に演奏してる人たちに会うチャンスもあった。これが
大きいと思いますよ。

荻原)ベンチャーズとの共演も大きかったですよね?ライトゲージとか全然知らない時に、硬い弦で
ベンチャーズのように演奏しようとしても。

ベンチャーズのギターを触らせてもらったら、なんだこの弦は!?これだったらいくらでも出来るな
って。それからライトゲージに変えたら出来るようになったんですよ。

荻原)加瀬さんに聞いたんですけど、指のチカラが足りないんじゃないかと思って、指たてをやって
いたって。

そう思いますよね、指がよっぽど丈夫なんだろおってね。そんな気持ちになりますよ。

荻原)そういうような事も実際に加山さんたちが現場で取りいれた事が日本に広がって。

テレビでベンチャーズと一緒に演奏する機会があって、ノーキーエドワーズからエレキギターをもら
った。ベースを入れて3本くれたんですよ。気前の良い人だと思ってね。それから日本へ来る度に
お世話してましたけどね。

荻原)加山さんもトリビュートアルバムを若い日本のミュージシャンが作った時に、みんなにギター
をプレゼントしてたじゃないですか。みんな喜んでましたよ。やっぱりそうやって返していく
ということですか。

そういうことですよ。

♪海が男にしてくれた

コンサート活動引退後について

荻原)最後のステージが若大将クルーズですけど、海でのコンサートはやっぱり違いますか?

気分的に違うんですね。外、見れば海でしょ。いろんな部屋があったり。いろいろな事を楽しみ
ながら、コンサートをやる。気持ちが全然違うんだ。クルーズ船をたくさん見ましたけど。日本の
船の方が全然良いと思ってる。

荻原)そこで船長の歌を聴くのは最高ですね。

銀座ギャラリー&ヴァーチャル若大将&「若大将ベスト」の告知

荻原)ホールコンサートみたいなことは、もうやらないということですけど。

う〜ん。

荻原)もう人前には出ないんですか?

音楽活動をやめるわけじゃないから。単曲で、どっかで歌うとか、そういうのはあってもね。

荻原)やりましょうね。

ステージで長いこと、やるというのは、やめちゃうけど。

荻原)ちょっとどっかで。ワイルドワンズがやってるから、そこに、とかいうのも。

そういうことはあると思いますよ。

荻原)その辺のことも、これからも楽しみにしておりますので。

はい。

荻原)益々お元気で、頑張っていただきたいと思っております。

ありがとうございます。

荻原)2週に渡って加山雄三さんにお越しいただきました。本当にありがとうございました。
光栄でした。ありがとうございました。

ありがとうございました。

♪サライ(若大将50年バージョン)

荻原)谷村新司さんと一緒に加山雄三さんが歌っている「サライ」、「若大将50年バージョン」で
聴いていただきました。ケネディハウスで最後、アンコール辺りで、みんなで「サライ」を
歌った覚えがあるんです。その思い出に浸って聴いていただきました。

 

2023年5月13日新規作成