木村)加山雄三君、おめでとう。今、彼は変な顔をしたんですが、生ま
れて初めて彼に”加山雄三君”と言ったんです。仲間の間では別
の呼称があるんですが。それは非公開ということで。”池端君”
で話させていただきます。池端君と私は、昭和28年に慶応高校で
1年生の時に一緒になりました。
上原謙の息子が来るっていうんで、どんなスマートなのが来るの
かと思いましたら、マンボズボンが流行ってる時に、ブカブカの
学生服を着て、たぶん五分刈りだったと思うんだけど。大きな
弁当箱を2時間目ぐらいから、ムシャムシャ食ってるという。
(我々とは)ちょっと違うよねっていう感じで居ました。
慶応大学では大変化を起こして。冬になりますと石の湯ロッジに
みんな集まってワイワイやってたんですけど。そこの花形、スキ
ーは上手い、全塾大会で優勝する、国体には、出てる。ギター
弾かしたら上手い。料理作らしたら上手い。女の子が周りにワン
サカいるんですよ。こんなの、敵いっこないと。その時に、おそ
らく彼の人生の節目があったんだと思います。就職するか、芸能
界へ行くか。そういうのが酒の場で話題になりました。彼はそん
なに積極的で、なかったように思います。船会社に行きたいって。
彼は海が好きで、船の設計図ばっかり書いてたんで。で、どっち
に行くのかと思ってたら、やっぱり芸能界へ。
その後の活躍は、皆さんがご存じの通りです。私が神戸の記者
クラブにいた頃、「海の若大将」の撮影が会社の近くでやって
まして。そこで彼が光輝いていました。俺たちの同期にも、こん
なに輝いているやつがいたんだと。
今回、受賞ということで、音楽賞かなと思ったら、特別賞。これ
は当然だと思います。どうぞ、皆さん祝福してください。
これからは出来るだけ、お互いに長生きして、人生楽しみましょう。
おめでとうございました。 |