加山雄三 俺は100(歳)まで生きると決めた
  (文化放送podcast 2023年7月18日〜)

7月18日に文化放送の「くにまる食堂」で放送された「俺は100(歳)まで生きると
決めた」の内容をレポートします。
同日配信された文化放送Podcastでは、ラジオで未公開の内容も配信されました
ので、その内容も含めてレポートします。下からどうぞ!

今回は「第10回 光進丸は人生の生きがい!」を
    レポートします。

下からどうぞ!

 

 第10回 光進丸は人生の生きがい!
 
 初代&二代目光進丸の頃
 

野村)最初の光進丸が出来た頃は加山雄三としてどんどん忙しくなる時間じゃ
   ないですか。

忙しくなっても海へ行けば暇だからね。

野村)光進丸に乗る時間が無かったんじゃないですか?

そんなことないですよ。まとめて休みを取ってたから。

野村)光進丸のために。

仕事を決める前に、休みを決めるわけよ。そして空いてるところに仕事を入れる。
そうい図々しいことをね交渉したんだね。藤本プロデューサーが僕の言うことを
聞いてくれたなって思いますよ。

野村)仕事優先じゃないんだよな。海優先なんだな。初代光進丸はどれくらいの
   期間?

ちょっとわからないけど、その次の船が出来る時に他人にあげた。タダでもらって
もらった。その次の船があったから。もう次の船のことしか頭にないからね。
木造船と言うのはどんどん老朽化するんだ。

野村)上原謙さんが1,600万円を出してくれた船をあげちゃいました。

本当にわがままだったね。親父には感謝だね。

野村)二代目は大きくしたいですよね。もっと遠くへ行くために。

二代目は4つぐらい部屋があってね、結構大きくなってね。

 三代目光進丸
 

野村)それから三代目光進丸へと船の歴史は続くわけです。一方で辛酸をなめた時代
   もあったわけじゃないですか。借金をするとか、それでも光進丸への思いと
   いうのはずっとあったんですか?

海への憧れと船への思いはずっと続いていいたからね。何があったって、俺は船の
ことしか考えてないから。

野村)莫大な負債を抱えていながら、加山さんの頭の中には、俺には船がある、
   海があるというのが、ずっとあったわけだ。

海への憧れがずっとあったから、それがいきがいになって、俺は乗り越えてみせるぞ
という強い意志が生まれるんだね。”やる気”だ。

野村)俺には、これがあるんだという人間は強いですね。

その方が良いんだね。

野村)三代目光進丸、私は残念ながら外観を見るしかなかったんですけど。写真では
   見たんですけど。ビックリしました。こんな大きな船なんだ!って。

デカイですね、三代目はデカかったですよ。

野村)遠い所はどこまで行きました?

グアム島まで行ったよね。もちろん免許も大型船に乗れるものになってったけど。
いろいろな資格をクリアして1,000トンまで操船できる免許を取った。

野村)船長として舵を握ったり、クルーに指示を出したりすることが楽しくて堪ら
   ない時間だったんじゃないですか?

そうなんだけど、自動操舵を設定しておくと、小さなツマミで修正するだけでOKな
船になっちゃったから、交代で”ワッチ”してれば良いんですよ。

野村)舵をいじらなくても、予定通り航路を進んでいるかどうかを見てればよい。

ワッチしてない時は寝てれば良いんだ。

野村)三代目光進丸で外洋へ出た時の胸の高まりは?

それはもう夢のようだね。大変なのは、みんなのご飯。

野村)いろんな方が加山さんを慕って(三代目光進丸に)遊びに来て、ご飯を食べ
   させて。航海中は加山さんが船長でもあるし。

船長は何でも出来ないとダメなんだよ。俺の船にはコックさんが居ないからさ、船員
の飯を作らないといけないんだ。大変だよ。

野村)朝昼晩と。

鍋にすると簡単で良いんだ。何でもぶっこんで煮れば良いんだ。長く作ってたから
レシピも増えて、今度レシピ本を出すことに。記録が残ってた。それが良かったんだ。

野村)堂ヶ島のミュージアムで番組中継した時は、夕飯は光進丸で食えるんじゃない
   かと期待してたんですけど、良い店教えるよって。言われて。光進丸に
   行けなかった。

ここまでの内容をPODCAASTの音源でお楽しみください。(時間 12分40秒)
下からどうぞ。
 第10回PODCAST
加山さんが光進丸への思いについて自著の「この夢をこころに」で書いておられます。
紹介しますので、お楽しみください。下からどうぞ。
 初めての光進丸に胸躍らせた日々
 

2024年3月14日新設