加山雄三 俺は100(歳)まで生きると決めた
  (文化放送podcast 2023年7月18日〜)

7月18日に文化放送の「くにまる食堂」で放送された「俺は100(歳)まで生きると
決めた」の内容をレポートします。
同日配信された文化放送Podcastでは、ラジオで未公開の内容も配信されました
ので、その内容も含めてレポートします。下からどうぞ!

今回は「podcast 第1回」を2つに分けてレポートします。

下からどうぞ!

 

 第1回 その1
 

野村)皆さんご機嫌いかがでしょうか。そしてこの番組のメインパーソナリティーは?

加山雄三、弾 厚作、田沼雄一です。(笑)いろいろ名前があるわな。

野村)よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

野村)加山さんとは何度も番組でご一緒させていただいているんですが、この肌の艶は
   何なんですか?

肌の艶?艶、あるかね?脂出てきちゃってテカテカしてるだけのことだと思うけど。

野村)加山さんは86歳を先日お迎えになって。我々が常套句で、”お元気ですね!?”
   って言うんですが。加山さんの場合は”何なんですか?その肌の艶は?”って。

わからないんだよ、良いんだか悪いんだか。

野村)良いことですよ。

なんでも感謝だな。

野村)この番組は、加山雄三さんのデビューからの63年の歩みを振り返りながら、番組
   タイトルにもございますが、100歳まで生きると決めた加山さんのこれからの人生
   についてじっくり伺がっていこうと思っております。文化放送では「好きがつな
   がる文化放送」というキャッチフレーズでキャンぺーンを展開しております。
   加山さんの好きなものは多いですね。

多いですね。嫌いなものを探したほうが良いぐらいで。なんだか、知らないけどなんでも
好きなんだよね。食うことは好きだしさ、潜ることもさ。スカイダイビングも好きだしさ。
なんでも好きだから、やってみちゃうんだね。

野村)それが全部、ものになっちゃうじゃないですか。

まあ一応ね。深い所は60mぐらい平気で潜ったからね。

野村)素潜りでしょ?

違う、違う。素潜りは出来ない。素潜りは30mぐらいいったことがある。

野村)30m!?

それは呼吸を止めていられる時間がね、相当訓練しないと出来ないことなんだけど、俺、
何分ぐらい止められてると思う?

野村)それは加山さんがお幾つの時?

高校の時だね。

野村)加山雄三の肺活量がクイズになるとは思いませんでしたね。せいぜい1分ていう
   とこでしょう。加山さんは2分。

とんでもない。4分3秒。

野村)息止めてた!?

長時間潜るのはプールでやったんだ。大勢観客が居る中でね。自分で時計を見ながら。
3分30秒ぐらいには相当暗くなったけどね、視界がさ。ヤバイと思いながら4分まで
耐えようと。それで結局4分3秒。

野村)すごいなあ!?記念すべき1回目のきょうなんですが、100歳まで生きると決めた
   理由について伺っていきたいと思うんですけど。このスタジオにいらっしゃって、
   ”でも、これは神様次第だからな”って。この番組のコンセプトが音を立てて
   崩れそうになったんです。

そんなことはないよ。神様が決めることだと思うけど、自分で、そう決めるということ
は大切なことで、ある。それをまず念頭に置いていただいて、ピンピンコロリが良いな
と。寝たきりに何年間もなってちゃ困る。ギリギリまで自分で稼働する、元気で居て、
それでコロっと逝っちゃうのが一番良いなと。俺の理想だな。

野村)あと少なくても14年はあります。100歳まで。

14年あるね。

野村)この番組結構長めにやりますんで。加山さんが病と闘ったことがあります。”不死
   鳥”っていう言葉がありますけど。まさに”不死鳥、フェニックス”、蘇るって
   すごいなと思うんですよ。

何度か倒れてね。ケガして寝込んだりとかさ。何か月かさ入院したり。いろいろなことが
あったけど、結果的には守られてるというかさ。その度に生き返って元気になって感謝
する。どこへ感謝したら良いのか、周りの関係のある人すべてに頭を下げて、”ありが
とうね”って。”ありがとう”っていう言葉はね、ものすごい大切だと思う。”ありが
とう”と言われて嫌だと思う人は居ないと思うんですね。だから”ありがとう”をいつも
頭の中に置いてね。きょうまで生きてきて、ありがとうって、神様に毎日だよ。ご飯を
食べて、きょうも食べられますよ、今がケアハウスだからさ、ちゃんと料理も出来てるん
だ。4種類から選べるんだよね。そんなことが出来るなんて、この世の天国だよ。そう
思うようになってね。なんにでも感謝する心それが大切だよな。

ここまでの内容を音源でお楽しみください。(時間 7分19秒)
下からどうぞ。
 第1回 その1
   
 第1回 その2
 

野村)2022年でコンサート活動を、人前でのパフォーマンスを引退ということになり
   ました。去年9月の「加山雄三ラストショー」、振り返ってみていかがですか?

あれは良く出来てたと思うんだ。周りの人たちがね、「ラストショー」っていえば、
”えっ!?”って思うじゃん。それが大事なんだよ。その時にみんな集中力が出て
くるんだね。俺は人前で歌うのは最後だ、っていう気持ちになると集中するからさ。
結果的にはすごい良かったと思うんだよね。自分が発信しなければ返ってこないからさ
良さがね。返ってきたその反応を見ながら、ありがたいなあと感謝する。相乗効果が
生まれてくるんだよね。あとから良かったという評価が出てくる。俺が最後で歌うのは、
海の上だと思うよ。

野村)海の上で同じ年12月に飛鳥Uで行われたラストステージ。飛鳥Uの名誉船長。

育ったところが海っ辺りでよ、当時は何もすることが無いんだ。パチンコ屋や喫茶店が
あるわけでもない。なんにもない。海へ行って潜って、貝殻を拾ってくるとか。島へ
泳いで行って、サザエをたくさん獲ってくることしかなかったわけだよ。今は獲っちゃ
いけないらしいんだけど。バケツ一杯獲って、家へ持って帰たんんだけど、お袋にこんな
にたくさんどうすんだって言われて、大きな鍋でサザエの佃煮を作って食べた。(お湯
いっぱいの鍋にサザエを入れて殻ごとボイルしちゃう。身が簡単に取れるんで、肝と
分ける。身は刻んで酒と醤油と味醂で作る)

野村)それは加山さんがご自分で?

それを(食卓に)出したら、ウチの親父が食って”旨いな”って。そう言わせることが
出来たので、たくさん作って親戚中に配った。もうサザエ屋さんだよ。そういうことが
好きだったんだね。

野村)浜で育ったというと殆ど漁師さんの生活に近いようですが。

そうだよね、地引網を手伝うと魚をたくさん分けてくれるんで、近くの魚屋さんへあげ
ちゃうの。それが数日経ったら干物になってる。

野村)地魚ですよ、旨いだろうなあ。

ちゃんと干物になって返ってくるんだ。

野村)物心ついた時から茅ヶ崎の浜というのは、加山雄三さんにとっての遊び場でも
   あったし、生活の場でもあった。

だから「海が育ててくれた」って感じるわけだ。あそこで見つけた貝があって、見たこと
がない格好をしてる。ハマグリでもない、アサリでもない。調べたらイシハマグリという
貝だった。これも佃煮を作った。

野村)歌手とか映画俳優の道に進まなかったら漁師さんになってかもしれませんね。

なりたいと思ったもん、俺。

野村)ホントに思った?

本当に思ったんだよ。それで自分で船を持ちたいと思った。

野村)「光進丸」はクルーザーじゃなくて漁船になってたかもしれない。

本気でそれを考えたからね。

野村)まだまだ1回目ですから。

あっ、そう!?

野村)海の話はまだ伺いますんで。

ああ、いいよ。

野村)今回はここまで。「”永遠の若大将”加山雄三、俺は100まで生きると決めた」。
   次回もお楽しみに。

ここまでの内容を音源でお楽しみください。(時間 7分20秒)
下からどうぞ。
 第1回 その2
 

2023年12月21日新規作成