「自作のモーターボート」 |
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今日は僕の船と海の歴史みたいのを話しようと思います。
14歳のときに船を作ったということはご存知だと思うし、二隻目の船がここ(ミュージアム)にありまよね、それが15歳のときにつくったんですけど、それから大学卒業するまで(毎年)1隻ないし2隻ぐらい船を作りましてね。 大学一年の時にモーターボートを、これは14.5フィートの船を作っちゃったんですねえ。 オヤジに ちょうどおやじが二ヵ月半ぐらいロケで京都へ映画の撮影で行ってていなかったんですけど、その間に僕の従兄弟とその友だちとで、二ヶ月ちょっとでもって見事に14.5フィート、自分で図面を引いた船を、ミュージアムの中に写真がありますけど、それを作っちゃった。 それを、出来上がってオヤジが帰ってきて見せたら、 探したんですよ、知り合いに朝日新聞の記者さんがいて、しょっちゅう家に来ていた人が。 米軍の基地の中で、モーターボートのエンジンを売り出そうとしている人がいるという情報をつかんで、おやじが買いにいったんです。 それで手に入れて、リヤカーって知ってます?リヤカーの上に乗っけて、茅ヶ崎の家から浜辺までずっ〜と運んで。 日本酒で進水式、うちのおやじもいまして、昔のエンジンというのは船外機、ハンドル、ワイヤーでつないで、あのときちょうど加瀬邦彦もいたんだよね、最初は6人くらいで乗って、エンジンかけて、沖へ向かって走り出して、もう最高の気分でみんで騒ぎながら左へハンドルきったら、船が右へ曲がるんだよね。 ワイヤーを反対につないじゃったの、これは操船難しいですよ。やっと帰ってこられたけどね。 一回陸に上げてワイヤーをやり直して、また走っていったら烏帽子岩まで二分もかかんないで、物凄いスピードでもう嬉しくって嬉しくってねえ。 大島まで行って、大島の岡田港ってこんなんだっったんだって! 観光船で行こうと思えば行けないことないんだけど、自分で作った船で行っちゃたわけなんで。 |
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トークショーとは関係ないですが、加山さんをお楽しみください。 | ||||||
たった一人ですよ、誰も乗ってないいんです。 最初は全部単独で、そのうちに今度は霧がかかってきて、なんにも見えなくなったことがあったんですよ。これは怖かったなあ、どっちに行けばいいかわからないけれど、だいたい相模湾というのは南のほうから波が来るケースが多いんです。 その波が向かってる方向に行けば相模湾の真ん中にいけるだろうと、勘でもって行って、絶対茅ヶ崎だと思っていたら、ちょっとずれて、相模川の河口あたりまで来ていた。それで沿岸に沿って、家に近づいていったら、なんかにぶつかったんだよね。 それで陸へ上がったら、漁師がぶっとんできて、 漁師さんが上げてみたら魚が何も入ってない。怒ってたねえ。 これが私の船の一番最初の事故ですよ。 |
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08年04月03日新設
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