加山さんの音楽の原点ともいえるエルヴィス・プレスリーの人生をたどって、メンフィス、ナッシュビルを2週間に渡って旅をした時のドキュメンタリー番組です。加山さんの音楽に対する深い愛を感じさせてくれる番組でした。

 2000年5月NHKBS2にて放送
 ナレーションも加山さんが担当されてます。

エンターテイメントの世界に身をおいて、今年で40年目、あるときは立ち止まり、あるときは迷い、今僕はここアメリカ南部にいる。
僕にとってこの地は心から敬愛する、エルビス・プレスリーが生まれた特別な場所。
この大地を旅することで、自分がこれまで築いてきたもの、そしてこれから築いていくべきものが、見えてくるかもしれない。大いなる期待と不安を胸に、僕はエルビス・プレスリーの人生を辿った。彼の愛したアメリカの音楽を訪ねる。
僕がエルビスの音楽と出会ったのは、大学一年のとき、言葉に表せない魅力を感じ、いつしかその虜になった。
今回の旅で、最初に足を運んだのはテネシー州メンフィスのアラバマ・ストリート。エルビスがデビューする一年ほど前から、彼の一家が住んでいた場所だ。
当時、彼は18歳。
アラバマ・ストリートを歩く。
トラック運転手の仕事をしながら、ここからスタジオに通ったという。僕は今、彼と同じ道を歩いている。音楽好きの一人の青年に過ぎなかったエルビスは、どんな気持ちでこの道を歩いたんだろうか。そんな思いを胸に、訪れたのは、エルビスが初めてレコーディングをした、サン・スタジオ。
その記念すべき場所で、エルビスを偲び、僕の大好きな彼の曲を唄ってみることにした。
サン・スタジオでエルヴィスを
偲ぶ。
”好きにならずにいられない”
 を歌う。
1935年、アメリカ南部で産声を上げたエルビス・プレスリ−。19年後、彼の才能はこのサン・スタジオで花開いた。ここでのレコーディングがきっかけとなって、彼はメンフィスのヒーローとなった、そして瞬く間に全米を興奮の坩堝と化すことになる。30本以上もの映画出演、全世界で10億枚を超えるレコード売り上げ。20世紀が生んだキング・オブ・ロックン・ロール、エルビス・プレスリー。
彼は限りない熱狂と感動を世界中の人々に与えて、わずか42年間の人生を駆け抜けた。

在りし日のエルヴィス。

エルビスが生まれたのは、アメリカ南部ミシシッピー州テュペロ、当時黒人達の多く住んでいた街である。
彼は貧しい境遇のなか、ここで幼いときを過ごした。
しかし、僕は彼の音楽からは、そんな貧しさなど感じたことはない。そこには溢れんばかりの生命力、そして聴く人すべてを包み込む大きな愛があるように思われた。
その感覚はいったいどこからくるんだろう。
そんなエルビスの音楽の根底に流れるものを求めて、僕は彼の生まれ故郷テュペロへと向かった。

エルビスは生まれた当時、すでにこの土地に根付いていたのは、カントリー、ブルースそして教会のゴスペル音楽。幼い頃の彼が、実際に通っていた教会を訪ねてみた。今では宗派こそ変わってしまったが、当時と変わらないエネルギーに溢れたゴスペル集会が行われている。僕はエルビスのルーツに触れることが出来るんだろうか。
教会の聖歌隊(写真左)のゴスペルを楽しむ。
凄いなあ、乗りは。
映画で唄っているのがあったねえ、それを思い出したよ。まあ、本当に、なんか神様と一体になって、自分の気持ちがね、部屋に居る全部の人たちの気持ちが、段々一つになっていくというのがはっきりわかるのね。
ほんとにエルビスが、それこそ今から、65年前にね生まれた小さな街の、小さな教会で聖歌隊に入って歌を唄っていた。それを考えるとスピリットとか、中から歌というものを、守られながら出していくというのを、自然にやってたんだなと。だから段々大きくなって、歌が上手くなっていって、その歌がただ上手いだけじゃなくて、人に何かを訴えるという力みたいなものが、より以上に普通のアメリカのエンターテナーと違ったパワフルな何かが出たのかなあと感じたりしましたね。
エルビスが少年時代までをすごしたテュペロ、この典型的なアメリカ南部の土地を僕は少し歩いてみることにした。
エルビスの家からすぐの場所にある、ローボン小学校、当時の彼はとても大人しく目立たない少年だったという。しかし、ひとたび唄いだすと、誰もが彼を注目したそうだ。
テュペロのダウンタウンにある金物店、エルビスが11歳のとき、カントリー音楽好きの母親に初めてギターを買ってもらったのがこの店である。今ではギターは売られていない。しかし、店内には当時を偲びギターケースのみが飾られている。その事実を記した証明書、7ドル75セント、決して高級品とはいえない値段だ。エルビス少年の音楽に対する情熱を、さらに燃え上がらせた今も、世界中のファンがこの店を訪れる、彼の温もりを求めて。
テュペロの街を歩く。 金物店に飾られている
ギター・ケース。
エルビスの生まれ故郷、テュペロを後にして、一路メンフィス郊外へ。そこには若き日の彼を知る人物がいた。
その人は、エルビスの最初の恋人だった女性。彼の素顔に触れた数少ない人の一人だ。僕の胸は高まった。
彼女は、現在ファースト・アセンブリー・オブ・ゴッドという教会で、聖職者として働いている。そしてその教会こそが、若き日のエルビスの通った教会である。
偶然にも、僕が結婚式を挙げたロサンゼルスの教会が、ここと同じ名前。これも何かの縁なのだろうか。
廊下の奥に待っていたその人の名はディキシー・ロック。
ディキシーと聖歌隊のゴスペルに聴き入る。
エルビスの恋人に相応しい美しい女性、当時ハイティーンの彼は、彼女とともにこの教会に通っていた。エルビスだけでなく、彼の家族とも親しかったというディキシーさん、エルビスのことを聞いてみることに。

エルビスと初めてお会いになったときに、どんな感じだったか覚えてらっしゃいますか?

ディキシー)とてもドキドキしたわ、すごくハンサムだったし、エルビスも私も10代だったから、いっしょにいられるだけですてきだったわ。

エルビスのどんなところに、惹かれたんですか?

ディキシー)エルビスはとにかくかっこ良かったの。
他の男の子とは違うファッションで、髪を長くしてとても個性的だったわ。

エルビスのご両親とか、家庭の雰囲気はどんなでしたか・

ディキシー)彼の両親と私の両親は、同じような感じですごく貧しかったけど、とても温かい人たちだったわ。彼の両親と私は本当に仲が良くて、とてもいい関係だったの。

彼の生まれた家は、本当に小さかったね

ディキシー)私の家も同じでとても小さかったわ。

一番強く印象に残っている、彼の思い出はなにですか?

ディキシー)音楽に対する情熱ね、特にゴスペルに対する情熱だわ。私たちの通っていた教会の音楽はすばらしくて、私たちはいつも教会で過ごしたわ。ゴスペル集会があると、色々なグループが集まって歌っていたものよ。そう、彼の音楽への情熱が、私たちを結びつけたのね。

彼はよく歌ったの?ギターなんか弾きながら?

ディキシー)ギターとピアノね。

ロックンロールとかカントリーとかは?

ディキシー)よく歌っていたわ、古いブルースの曲も好きだったわ。

僕は彼の音楽を聞きながら育ったから、彼の曲を歌うのが好きなんだ。彼の曲をたくさん覚えたよ、彼についていきたくてね

ディキシー)すばらしいのは、エルビスが活躍していたころ、まだ生まれていなかった若い人たちが、今、彼の音楽を愛してくれていることね。エルビスは知らなくても、彼の音楽は好きなんだわ。

彼の声は優しくてハートフルだから、ラブソングが一番いいね。ぼくが好きなのは「ラブ・ミー」「ラブ・ミー・テンダー」そして「オール・シュック・アップ」です。

ディキシー)幅広いわね。彼の曲で、気にいらなかったのはないんじゃないかしら、わたしは全部好き。

「せっかくいらしたのだから、聖歌隊の歌を聴いていってください」、ディキシーさんはそういって、大聖堂へと案内してくれた。エルビスが愛した音楽にまた一つぼくは触れることができた。

本当に歌わないと だめ? ”ラブ・ミー・テンダー”
 を歌う。
(聖歌隊が歌う、ゴスペルソングを聞いて)
本当に素晴らしかった!本当にありがとう!

ディキシー)ぜひ、みんなに歌を聞かせてほしいの、お願い。
(ノーノーノー!と断る加山さん。”ラブ・ミー・テンダー”のイントロがピアノで流れてきます。)

歌い終え、照れながらも感激した様子。

ディキシー)あなたの好きな歌よ。

本当に歌わないと だめ?

とんでもないことになってしまった。

OK、やってみます。ディキシーにささげます。

”ラブ・ミー・テンダー”を歌う加山さん。
拍手喝采を浴びます。

でもなんかすごく、みんなあったかくてさ、素晴らしいね!こういう雰囲気があって、そんな中に自分がいて、神様が上から降りてくる。正直になにかできるんならやってみろって、懐の中入って、彼女を通してエルビスがニンマリ笑っていたような気がして、ビックリしちゃったよ、おれ。
でも素晴らしい体験だな、これは!俺の人生のなかでも結構貴重な体験の一つになったかもしれない。

ディキシー)最高だったわ、みんな気にいってくれたし、この教会で歌ってほしいわ、彼の声はすてきよね、今夜、彼の歌を聞けてうれしかったわ。

華やかなショービジネスの世界に身を置いたエルビス。しかし、そんな彼を、心のそこで支えたのはこうした神に対する愛の歌だったんだろう。
エルビスの魂は、今でも確かにこの教会に息づいている。そしてディキシーさんとこの歌声を通して、ぼくは今彼の心に触れている。そんな気がしてならない。

テネシー州メンフィス、今でも数多くのミュージッシャンをひきつけ、ブラック・ミュージックを語る上で、欠かせないこのアメリカ南部の街は、エルビスの第二の故郷となったところでもある。
エルビスは、世界のスーパースターとなってからも、この街を愛し続け、神に召されるまで住み続けた。ここには、彼の人生の思い出もまた数多く眠っている。

1958年、すでにアメリカを代表するスーパースターに上り詰めていたエルビスに、予期せぬ出来事が起こった、陸軍への徴兵。ぼくが訪ねたのは当時、徴兵センターとなっていた場所。
徴兵センターになる前は、食堂だったというこの建物。ここでは時折、パーティが開かれたそうだ。パーティでは、メンフィスのローカル・ヒーローだったエルビスは歌っていたという。その同じ場所で徴兵されることになったわけだ。これも運命の悪戯なのか。
陸軍に入隊後、エルビスの人生に大きな転機が訪れた。1958年8月、強い絆で結ばれた最愛の母グラディスがなくなった。そして翌59年11月、駐屯先のドイツで、将来の妻プリシラと出会う。時の流れが彼にもたらす別れと出会い。

メンフィスの街を歩く。 不思議だね、時間が経って・・。
不思議だね、時間が経って、今はこんな倉庫になっているけど。

今という時間の中で、僕はエルビスの歌を歌おうと思った。

(”ラブ・ミー”を歌う)

ぼくの大きな人生の節目っていうのはあった、1970年。お袋の死、それからかみさんとの出会いと結婚。
人生の大きな転換期みたいなものというのは、誰にでもあるのかなあと思うよ。

はい、出ました。これがエルビスが子供の頃から、お母さんが作って、大好きだったというピーナッツ・バター・バナナ・サンドウィッチ。
初めて食べますけど。

(ピーナッツ・バター・
 バナナ・サンドウィッチ。)

(一口食べて)
な〜んだ、こりゃあ!?すごいよ、これは!?
口の中の水分が、全部なくなってっちゃうみたいな。
それほどひどいもんじゃないけど、これはおやつ感覚だね。もういいや、これ!

サンドウィッチを一口頬張る。

もういいや、これ!

「ご自身の、お母さんの味は?」

おかかのおにぎり!極めて日本的だけど。
それには思い出があってさ。おやじにぶん殴られて、家出したことがあってね、家出して行くとこ無いから、海岸に居たんだ。真っ暗闇の夜、海のゴーゴーという音を聞きながら、夜10時頃になると、腹減って死にそうに。
そしたら、向こうの方からお袋が
「あんた、その辺に居るんだろ?居るんなら返事しなさいよ、おにぎり持ってきたから」
「お〜い、ここに居るよ!」ってすぐに返事をした。その味の尊さというものを、それがお袋の味だよ。

これが、エルビスのお袋の味。だいぶ違うなあ!
これ食べると、歌少しは上手くなるかなあ!?

後半はこちらから

10年09月11日新設