坂崎幸之助さんの
    オールナイト・ニッポン
     ゲストトーク(加山雄三さん@)  

2004年7月湯沢F音楽祭の数日前の午前零時から加山さんが坂崎幸之助さんの「オールナイト・ニッポン」にゲスト出演されました。

文中、赤文字は坂崎さん、黒文字は加山さんの言葉です。
写真は25周年記念コンサートパンフレットからの抜粋です。
20年前の加山さんをお楽しみください。

一時から生って言うのは初めてですか?
初めてですね
オールナイトニッポンの存在は?
それは凄い、だって30年以上やってるんでしょう。夜中だったんであんまり聴いてなかったけど
普段は早寝早起きなんですか?
そのときによって違うじゃん、昼と夜がひっくり返ったり根をつめるとバイオハザードやりだしちゃう。何かおもしろいことやってるとダメだねえ、すぐ夜中の3時、4時なっちゃう。
今日は大丈夫ですかね?
どうですかねえ?楽しければ大丈夫。俺はラジオ党ですよ。昼間っから結構ラジオ聴いてる。絵を描いてるときはFM系がいい。
最近、喋りが多くなったじゃないですか?
ウクレレも持ってきますので
どうして3台あるんだ、これが俺のウクレレの音(ボロロン♪)
そしてこれが僕のウクレレの音、二つあるけど(ボロロン、ボロロン♪)
あんまり変わらないね、そりゃウクレレだから同じだ。
マイナーひくとアンデス系にいくんです
と「コンドルは飛んでいく」のメロディーを弾きます
ハワイの山っていう感じですね、ハワイの山は雪が降るんですね?
降るんだよ、俺ね昔ハワイにスキーに行ったことがある。ハワイにスキーかついで行って飛行場降りたときに「お前これからどこ行くんだって言うからさ」「スキーしにハワイ島に行くんだって」言ったら、唖然として口あけて人の顔見て「そりゃ、出来ない事はないと思うけど空気が薄いから気をつけろって」言われた。4,000mくらいまで上がる。雪質は最悪だけど滑れた。
地元の人は行くんですか?
いやあ居ないよ、上で滑って、下で泳いで両方できるんだ。ハワイにもシーズンがあって冬はノース・ショアのほうに凄い波がたつんだって聞いて一度波に乗りたいと思って行ったけどあまりにも凄すぎてや〜めた。だって年にひとり、二人死ぬって言われてちょっと怖いよ。
今日はこれからどんな話がでてくるでしょうか?
楽しきゃ、ドンドン出てくるよ。

「坂崎幸之助のオ−ルナイト・ニッポン」という
坂崎さんのタイトル・コールからリクエストの受付等の案内への喋りを聞いて
凄いね、生慣れてるね、俺だったら絶対とちってるよ
最初、始めた頃(23、4年前)は緊張しましたよね
そうでしょうね、俺なんか緊張の極地だよね
どうですかね、TVのミュージック・フェアなんかと比べて
リハーサルとかは大変だけど、きめたものだけど
こっちはフリー・トークで歌もフリーですけど
フリーのほうが俺は楽だね、人間って思うと出てくる、出さなきゃいけないというのはつらいものがある
リハも程ほどにということで
さっきちょっと唄ってみたけど、ワン・コーラスくらいならいけそうだね、何やる?
加山さんがひとりで全部やられたアルバム”オール・バイ・マイ・セルフ”から
おー、宣伝してくれたね
何か一つ紹介したら一曲唄うということで
わかったよ
全楽器をひとりで演奏されたということですね?
まあ、打ち込みは誰でもやるんだけど、楽器を一つずつ重ねて多重録音するっていうのは余りないから、日本で最初に多重録音(宅録)をやったのが俺らしいんだ。原点に帰って45周年に向けてということで
最初に多重録音された時はテープ・レコーダー2台あったんですよね?
そうじゃ、ないんだよ。1台はワイヤー・レコーダーなんだよ。
ワイヤー・レコーダーってなんですか?
え?だろ、テープ・レコーダーが出来る前なんだよ、髪の毛みたいな細い針金が走るんだよ、それに録音されるんだよ、現物が俺のミュージアムにある、多分まだ聞けると思うよ
ワイヤーに磁気が入ってるんですか?
入ってる、それをリールで巻き取る、一つのところに集まらないようにヘッドが上下するんだ。巻取りの時なんかヒョイ、ヒョイとこーなるんだ。日本にテープ・レコーダーのないときに、高校のときに、買ったんじゃなくて オヤジが興味を持っていて買ってきた。オーデオが好きで学生時代から自分の昼飯を抜いてレコードやアルバムを買っていた。音楽が元々好きだったんだよな。それが功を奏したというか、で録音したら声が入るじゃない、ありゃ俺の声ってこんな変な声してんだ。
最初自分の声聴くと変ですよね、みんな
当時はギターとかじゃなくてピアノを弾いていたからジャズ系の曲を入れるじゃない、それを流したときにこれに伴奏つけて、その翌年にテープレコーダーが入ってきた、。そこで初めて多重をやってみたんだ。その頃にはベースもあったからボンボンボンってやった。「オールオブミー」とかそんなのを演奏していた。
そのうち歌をやりだした。一人で唄ってるのに重ねていくとデュエットになるし、こっちに戻したらコーラスになるって、そのうちに大学に入った頃に「ブラザース・フォオー」がでてきたじゃない、「グリーン・フィールド」あれは4回録音すればハーモニーが録れるってんでやったんだ。多分多重録音っていうのは最初だと思うから原点に戻ってやってみようぜってね
今回のはワイヤーレコーダーで録音じゃないですよね
違う(笑)ワイヤーレコーダー二つあったって4回やるのにあっちいったりこっちいったりシャーシャーいってだめだよ。
ここで「ブーメラン・ベイビー」をシンプルにアコギ二本でご機嫌に唄います。
生だよ、やばいよ〜と唄い終わって加山さん

今日は加山雄三さんを生でお迎えしております
生でお迎えいただきましたが、煮て焼いて蹴飛ばしたりしてください
ゲストとしては最高齢ですかね
まあ67歳というのはあまりいないだろうね、もう寝てて、今頃起きるんじゃないの
釣に行く時なんかは早いんですか?
航海に出るときは早いときもある。夜間航海もあるし、そのときは交替で寝起きするし
光進丸って一番最初は何時頃ですか?
昭和39年だから1964年です。東京オリンピックの年に進水した。今ので3代目
その都度グレードアップしてるんですか?
大きさがね、これが唯一の人生の幸せなんだ
これだけ何でも出来る人はいないですよね、楽器も全部出来る、スキー、お芝居、歌は歌う、絵は描く凄いじゃないですか
結構、好奇心があるんだろうね。
子供の頃からそういう少年だったんですか?
そうですね、虐められて育ったもんだから、のけ者にされたというか
それはお父様が俳優ということでですか?
そうだね、今は親が有名人だと子供が喜んだりするけど、俺の場合そうじゃなくて、いやでいやでしょうがなくて
HOゲージとかもやられてるんですか?
やってました、今でもやってます。
ほらね、何でもやるんですよ、カメラはやらないんですか?
カメラはやんないねえ、なんでだろう?
僕が唯一加山さんに勝てるのはカメラぐらいかな、撮ったり、現像したり、分解したりします。細かいのが好きなんです、釣も豪快にトローリングとかじゃなくて、小川でたなごとか
趣味の釣って感じだね、俺なんかはず〜と、引きずって走ってりゃいつかくるだろうという、結構でかい蛸みたいな格好をした餌を、ハトポッポみたいに水面をチョンチョンチョンと飛んでいくんでポッポと言ってんだけど、そうするとシイラとか鰹とかがかかるんだ。本当はカジキマグロを釣りたいんだけど、どういうわけか俺の船は一本も上がった事がない。多分来年当たりはと・・・。だから「明後日の光進」って言われてるの!明後日になったら釣れるだろうって。中々釣れないんで暇でしょうがないもんで日光浴してるかギター弾いて歌唄ってるかなんだ

船の上でウクレレは弾かれるんですか?
そりゃ、暇でしょうがなけりゃ弾くよ
一回、航海に出ると何日くらいでるんです?
そのときによって違うけど、10日間くらいは欲しいんだよね。長かった時は二ヶ月間の航海って言うのがあったけどそんなのは滅多にない、そんなに休んでたら船維持できないから
ウクレレものをなにか
と言った途端、加山さんは「ハワイアン・ウェディング・ソング」を唄いだします。
まあこんな感じでなんとなく夜だからよかんべや(拍手がおきます)
サビは結構難しいですね
シャッフルでと再度唄いだします。
ここがいいんだよ、元へ戻んなきゃだめなんだ。俺達の時代はカントリーかハワイアンだったから、俺は最初カントリーだったんだよ声がカントリーに向いてないんだ。
かまやつさんとは違いますもんね(みんなで大笑い)
鼻に抜けないといけないんだ。
「今夜の夜汽車で〜♪」と坂崎さん
そうなるといいんだけど、俺はレイ・プライス系統の曲ならいいんだ。
だからとトミ・コーレルのこんな曲を弾き始めます。(残念ながら曲名はわかりません)

勝手に演奏して勝手に終ってる。と弾き終えて加山さん
笑いながら知らないよな、そんなのな
わからないですね
笑うなって、聴いて覚えて唄って、カントリーでコードも覚えた。簡単だから、だからギターは上手くならないんだ。

ベンチャーズは芸能界入ってからだから。それまでは10年もあるわけよ。ベンチャーズに至までは。エルビスがでてきて、やってみたいなあと思った、でもA面は避けてB面ばっか覚えてた。シングル盤をよく買ってた。だから彼が金持ちになったのは我々のお陰なんだ。(笑)
だから彼に会ったときは舞い上がっちゃって、俺が高校のときからずっと憧れた人がコンサートの直後にバック・ステージでかみさんと俺とエルビスと付き人一人の4人だけになっちゃった。みんな帰っちゃってどうしたらいいか、何を話したらいいか、訳わかんなくなって
逆を言えば僕らは中学の頃から加山さんの歌を聴いて映画を観て育ってきた。
そういうのはわかるけど、あちらは世界の方ですから全然違うよ。ラベルが違うよ
でもエルビスと会ってビートルズと直接お会いした方に僕は会ってる。ビートルズもホテルまで行かれたんですよね
そう、レコード会社が同じ東芝だったんで、東芝の重役が一緒に会いに行きますか?ってきたから、行こう、行こう、行こうって
そりゃあ行きますよ。
エプスタインも居た。スゲエハンサムだったね、無口で我々とは口をきいてくれなかった。一番きいてくれたのはポール。彼が一番親しみやすく、ゲストに気を使って普通に話をしてくれる人、ジョージは何も言わなかった。写真を撮ったり、窓のところへ行って顔を出してファンが騒ぐのをみてニタッて笑っていた。彼はカメラマニアだった。似てるよ愛嬌があって、俺が部屋に入ったとたんに手を差し出してようこそとやったのがリンゴ、顔は小っちゃくて背がやたらと大きい、ひょっと下みたら高下駄を履いていた。ジョンはもともと日本が好きな人みたいで、スキ焼きを食べようって、テーブルの上にセットしたんだけど、日本は座って食べるんだといって、顎をテーブルに乗せて食べてた。行儀が悪いって言ったんだけど、いいんだ、俺はこれで行く、箸はつかえないから一本で鉛筆みたいにして使ってた。
そういう体験が出来てるっていうのは貴重だと思う。今居ない人がいるんだもん。
ジョンの死はショックだったよね、狙撃されたんだから。
ビートルズに直接部屋で会った人はいないですよね、星加ルミコさんと加山さんだけだよ。ライブも見られたんですか?
観た、前座がドリフターズだもん。短けえのなんのって、ビックリしたのは音もとらないでいきなり出てくるのあるじゃんコーラスで「ノーウェア・マン」あれには驚いちゃった。顔見合わせてせーのもないんだよ、どうやってでたんだろうっていきなりヒージーリアル♪〜。って、いつ音とったんだろうとかさ、それがスゲエ格好いいとか思ったんだ!
今思うと凄い小さいスピーカーですよね、
だけどバシッと音出てた。聞こえたもん。二階の席だったんでかなり離れていると思ったけどちゃんと聴こえた。
歓声は凄いでしたか?
そりゃあ、凄いよ。アルフィーには敵わないかもしれない。(笑)俺はあの時(武道館)ビックリしちゃったもん。たまげた。
来ていただいたんです。武道館へ、桜井の騙しで。桜井がなりきって最初「ふたりを〜♪」って唄うとそのあとに後ろから加山さんが「夕闇が〜♪」ってはいってきた。桜井は自分じゃない「えっ、おかしいな?」俺の声じゃない声が入ってるっていうような顔してパッと後ろみたら本物がいらしたんです。
いいファンの人達でさあ、もの凄く歓迎してくれて、俺今までこんな歓声を聴いたことがない。自分のライブだって聴いたことがない。
みんな喜びましたよ、あんときは。しかもリハーサルでは桜井をわざと他の仕事入れて、抜いて加山さんにきていただいて凄い手の込んだだましでしたが大成功でした。(CMへ)

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05年06月09日新設