大沢悠里のゆうゆうワイド その1
(TBSラジオ 2月15日)

平日午前中のラジオ番組に生出演され、1時間近くお話されました。
その内容を、録音も交えてレポートしました。

MC  大沢悠里  アシスタント 西村ちえこ 

 

大沢)加山雄三さんに朝早くから来ていただきました。おはようございます。

おはようございます。

大沢)放送前から来ていただいて、ありがとうございます。

とんでもないです、だんだん早起きになってきてますから。

大沢)でもあまり遅れないんでしょ?

西村)東宝にお入りになった時に茅ヶ崎からお通いになってたんですよね?
   どのくらい片道かかりました?

サラリーマンになったつもりで会社に入ったもんですから。電車乗り継いで1時間
ちょっとですけどね。茅ヶ崎から東海道線に乗って藤沢で乗り換えて小田急線で
成城学園で降りてバスに乗って撮影所まで。

西村)毎日行ってたんですか?遅刻しないで。

大沢)定期持って?

そうですね、定期持ってってましたね。1年半定期で通ってましたね。
初めてやることというのは精一杯最初からスタートするというのは、当たり前だと
思うんですけどね。気持ちから大切だと思うんです。

大沢)仕事成功するには遅刻しちゃダメ、遅刻はしないっていうことですよね。

遅刻ってどうしてするのかわからないくらい。目的がきちっとしてたらそれが一番
大切だ。楽しくやっていかなくちゃと思ってね。

大沢)きょうは、どう生きていくかの話も
  したいの。若大将のゆうゆう散歩、
  去年もう終わっちゃったけれども、
  あれでずいぶん街歩いたでしょ?

歩きましたね、相当。ほとんど毎日のよう
に歩いてましたから。楽しかったですね、
3年半やりました。

大沢)下町ですか?

そうですね、主に下町が多いんですよ。
浅草とか巣鴨とか。ああいうところは
すごく楽しいですよね。

加山さんと大沢さん

 

 

 

西村)初めてというところは結構あったんですか?

初めてですよ、街中(まちなか)歩いたこと無いんですね。撮影以外はほんと街中行かなかったですね。だから街中が新鮮で、皆さんが親しみやすく話してくれると、こんなに楽しいんだ街中はって、思いましたもんね。

大沢)町工場なんかも?

精密機械を作っているところ、観るとワクワクするんですよね。
作るの好きですからね。

西村)加山さん、お好きそうですよね?

大好き!みんな大きな会社の下請けをやって部品を作っておられる。これはここでしか作れないというのがたくさんあるんですよね。そういうのに出くわした時に
「いやあ、 たいしたもんだな、頑張ってもらいたいな」という気持ちになりますね。
ぜひ自分の船の部品を作ってもらいたいと考えているんですよ。

大沢)自分で船を10何歳で設計されてますからね。

西村)14歳が最初ですか?

14歳の中学2年ですね。それが木のカヌーですね。

大沢)でも14歳でも木で作らないですよ。くりぬいて?

くりぬいてじゃない。骨組みをちゃんと作って、それに薄〜い四分板(しぶいた)と
称する板を貼り付けて、塗料を塗って洩らないように繊維を使ったりね。ちゃんと
やって浮いちゃったんですよ。運よくその時うちに出入りしてたのが塗装屋さんの会社の社員だったので。ただでラッカーの一斗缶をもらったりして。
それが成功しちゃったのがいけなかったんですね。いままでずっとやめられずに続いてます。23隻目ですね、今の光進丸で。ちょっと馬鹿ですね。
大学の1年の時に、親父の力で動くようになりましたけど。親父が力を注いでくれなけりゃあ動かないで浮いてじっとしてるだけですからね。

西村)お父様は何してくださったんですか?

エンジンをね。
「万が一、僕がモーターボートを作ったらエンジン買ってくれるか?」って言ったら
「ああいいよ」って。絶対作れないと思ったんですね。

西村)高かったんでしょうね?

高いですね、その当時で25万円ぐらいしましたから。それをまけさせて。

大沢)何人乗りだったんですか?

乗れば7〜8人乗れましたね。従弟と作りました。近所にいた友達も。2か月半ぐらいかかりましたけど。いろいろ工夫しながら、知識が無いのによく作ったなと思います。
見本がないですからね。

大沢)この14歳のころから始まったこの気持ちが今の加山雄三さんのバックボーン
   なんですよ。

西村)現在進行形ですもんね。

やってることは全然変わらないですね。

 

ここまでの内容を音源でお楽しみください。配信は終了しました。

この後は、学生時代の漂流、そして臨死体験についてお話されました。
詳しく知りたい方はこちらからどうぞ!

今回は、ここまでです。次回「その2」をお楽しみに!

2016年03月10日新設